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「うる星やつら」を、ちょっと語ってみる<5・最終回>/わたしのアニメ語り

この記事は、こちらの記事の続きなんだっちゃ。

「うる星やつら」アニメ作品の1981年版を「初代」、2022年版を「2代目」として、これまでダラダラ語って参りました。

マンガ「美味しんぼ」の中に、天ぷら屋の2代目店主の悩みを解決する『二代目の腕』というエピソードがあります。先代店主が亡くなり、息子が跡目を継いだところ、常連客が少しづつ離れていく・・・。

相談を受けた山岡士郎が食べてみたところでは、腕は遜色ないはずなのですが、「まだまだ親父さんの腕には及ばない」と客は言うのです。

なぜなのか。原因は「先代が名人」だったことにありました。先代への畏敬の念を抱く客にとっては、2代目の揚げた天ぷらはどことなく物足りなく感ずる。2代目にとって先代は『いつまでも超えられぬ幻影』となってしまったのです。

さて、この状況で士郎が2代目に告げたアドバイスとは・・・。
この先はネタバレになりますので、ご注意を!

・・・と、その前に「うる星やつら」の話でしたね。

「うる星やつら」の登場人物の中に、うさん臭い僧形の男がいます。
錯乱坊と書いてチェリーと読むこの男を見るたびに、思い起こしてしまうひとりの噺家がいます。

つるりと禿げ上がった頭に、ひとを小馬鹿にするような語り口。それでいて、憎めない近所のおっちゃんのような佇まい。上方落語の雄として一世を風靡した、桂枝雀師匠です。

緻密な構成と、多彩な話術で聴衆を魅了した名人・桂米朝。その一門の中で枝雀師匠はエキセントリックな芸で異彩を放ちました。
枝雀師匠の噺の中で、まだ少年だった私が魅了されたのは「さくらんぼ」というネタでした。
ん?「さくらんぼ」?はて、どこかで聞いたような・・・。

上方での「さくらんぼ」は、江戸では「頭山」という演目です。
もったいない、とサクランボのタネを飲み込んだケチな男。
その頭から芽が出て、みるみるうちに立派な桜の木に。
やがて頭山には花見客が訪れ、ドンチャン騒ぎを繰り広げます。
気に病んだ男が桜の木を抜くと、穴ぼこが池になり、魚釣りの人々が現れる始末・・・。絶望した男は、あげくの果てに頭山の池に身を投げて死んでしまうのでした。

どうですか、この壮絶メタ展開の噺。
これを外連味たっぷりに演ずる枝雀師匠の姿は、「ナニワの爆笑王」の呼び名通りの輝きを放っていました。

そして私には、この「さくらんぼ(頭山)」こそが、「うる星やつら」の世界観そのものであるように思えるのです。

「落語の中でなら、何でもできる」と、枝雀師匠はいったとか。
「アニメの中でなら、何でもできる」ともいえるのではないか。
アニメ「うる星やつら」が描こうとした宇宙は、こうしたものではなかったか。

アニメの中では四季の移り変わりにあわせて、年中行事が描かれます。
「ラブコメ」ならではの季節の恋愛イベントもあるため、1年=4クールで描く方が都合はよかったのでしょうが、主人公が年を取らないまま、季節イベントを毎年繰り返す世界。
思えばこの構造自体が「ビューティフルドリーマー」に繋がる土台だったのかもしれません。


さて、天ぷら屋のお話。
山岡士郎は熟慮の末、2代目店主にアドバイスを送ります。

それは『天ぷら以外のどこか一点で先代を超えること』

2代目店主は上質な「自家製ぬか漬け」と「米の質を上げる」ことで天ぷらの味を際立てることに成功し、常連客から「親父さんに並んだ」との評価を得るのです。

名人の、先代の呪縛から解き放たれるためには「どこか一点で超える」ことが必要だったのです。

2022年版「2代目・うる星やつら」。
スタッフ・キャストの皆様の奮闘を心より応援しつつ、これにて幕とさせていただきます。

また気が向いたら、別のアニメ語りをいたしますね!
ではまた!

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