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私にとって「カラビ=ヤウゲート」とはなんなのか!?(;'∀')/気まぐれ雑記

このところ長編小説を書いて、書き終わったと思ったら朗読配信の連打・・・という状況が続いていたので、気分転換に駄文を献上いたします。

子どものころからSF小説が好きで小学校時代は「本屋の子供に生まれたかった」と思ったほどの読書少年でした。小学校高学年以降はアニメや特撮にはまり、空想と現実の間を行き来する毎日。

星新一に脳をヤられるという通過儀礼も経験し、中学では札幌の中学校文化連盟が発刊する作文集「にれ」にショートショートを寄稿。

その後、折に触れてつらつらと短編を書いてはネットにあげるようなことを続けてきましたが、中・長編を書き上げることはできないだろうな、とどこかで諦めていた自分がいました。

環境が変わったのは2021年の2月。

機会があればまた別の機会に詳しく書きますが、「自分の声を残しておきたい」と思う出来事があり、Youtubeで朗読配信をスタートしたのです。

つたないながらも青空文庫などを朗読していくうちに、あるジレンマが生まれました。それは『著作権切れの作品は、イマのコンテンツではない』ということでした。

文学の歴史は学べるし、格調は高い。でも、『今を生きるリアル』をその中なら見つけ出すのは至難の業なのです。

そんな時に出会った「note」で、クリエーターの皆さんの創作・音声配信と出会い、おおいに心を揺さぶられました。さまざまなチャレンジを試みている皆さんの姿を見て、私の中にも決意が生まれました。

中・長編を書く。そして、自分で読む。

数十年にわたる自分の中のモヤモヤを解決するためには、まず、これをやりきるしかないと考えました。マラソンでいうなら、タイムではなく、走りきること。走りきった自分に誇りを持つこと。

この思いを果たすための自分なりの宣言として、年末にこんなものを書きました。

不退転。

そんな思いで書き始めたのが「カラビ=ヤウゲート」でした。

まがりなりにも、物語としての結末を迎えることができ、ここまでで半分。そして、ここからがもう半分。

『自作中編小説の完結』+『朗読コンテンツとして読み切る』

この2つを完遂することでようやく、次の何かが見えてくるのではないか。そんな気がしているのです。

前に書いたこともありますが、私は職業作家を目指しているわけでも、プロナレーターとして生業にしたいわけでもありません。


自分に、オトシマエをつける。


これを読んでくださっているみなさんを、過剰な自己満足に巻き込んでしまっているわけで、それについてはお詫びと感謝の思いです。

御用とお急ぎでないみなさまの、ほんの一時の時間つぶしにでもなれば、この上ない幸せです!


ではまた!

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