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Feliz día de los padres


1. 父の日


父親になるとはどんな気分なのだろうか。

もし自分に子どもができたら、なんて今は想像すらできない。

けれど、子どもができたらどんなに幸せなことか。

それだけは想像がつく。

責任も感じるだろう。

不安と恐怖で足がすくむかもしれない。

人生が一変して、まるで世界が変わって見えるのかもしれない。

誰しもみな人生の初心者であり、親になるのも初心者だ。

結局飛び込んでみるしかない。


僕の父はよく本を読む人だった。

英語が堪能で、世界中を仕事で飛び回り、週末には料理とワインをたしなむ、洒落た人だった。

音楽も好きで、今思えば父にしては意外に思えるロマンチックな曲を車中でよく流していたのを覚えている。

趣味でギターを弾いたり、ドラムを叩くこともあった。

公私ともに欧米の文化によく精通していたと思う。

そんな父との思い出はいくつかあるけれど、楽しく会話を弾ませることは少なかった。

子ども心には、父の姿は「何を考えているのかよく分からない人」に見えていた。

思春期の自分は、父と過ごす時間を避けるようにさえなっていた。

食事を二人で食べても、交わす言葉はひと言か二言。

そこに食事を作ってくれたことへの感謝などまるでなかった。

父からしたら、どんな思いだっただろう。


父は自分が高校生になると、自分が所属していたサッカー部の役員になり、3年になる頃にはPTAの役員にもなって、全校生徒が集まる集会の壇上でスピーチをしたこともあった。

常に仕事で忙しかったけれど、それでも役員に名乗り出し、学校の行事に顔を出す。

普通に考えれば、仕事で疲れた身体を少しでも家で休めたいところだろう。

当時の父の生活は、朝6時には起きて、仕事にいく支度をし、7時すぎに家を出て、終電で帰ってくる日々。

そんな父がなぜ学校の役員になったのか。

自分が高校を卒業した後だったが、父とふたりで食事にいった時にその理由を語ってくれた。

「気づいたら子どもは大きくなっていて、その姿を見逃したくない。

 そう思ったから忙しかったけれど、できるだけ近くにいようと思ったんだ。」

そんなふうに語ってくれた。

物心がついた後に、初めて父の愛を感じたのはその時が最初だったと思う。

もちろん自分が幼いころに父が愛情を注いでくれていた記憶はしっかりとある。

自分が認識していないだけで、ずっと大切に思ってくれていたのは間違いない。

子ども心には、父の寡黙な姿は掴みどころがなく、よく理解できない存在だったが、今は聞きたいことや、話したいことが山ほどある。

だがそれも今となっては叶わない。

自分が生きれば生きるほどに、当時の父の背中が大きく感じられる。

どうやっても父が成し遂げてきたことには敵いそうにない。

きっと足元にも及ばない。

そう思わせてくれることに、ただ感謝しかない。

どれほどの愛を持っていたのか、どれほどの愛を注いでくれていたのかは、計り知ることはできないのだろう。

ただ今は、記憶のなかに、目をつむるとそこにいる父さんにまた会いたい。










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