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エキナカ、電波少年、YOASOBIー生みの親が語る新規事業の苦悩と乗り越えるための秘訣【ONE JAPAN CONFERENCE 2021レポート:VALUE ④】

エキナカ、電波少年、YOASOBI── 誰もが知る、あの人気企画はどう生まれ、いかにしてヒットしたのか? 本セッションでは、それぞれの生みの親が当時の苦悩や成功の秘訣についてオフレコなしで言及。経験談をもとに、業界の常識を塗り替える「イノベーション」の共通項を探る。

【登壇者】(敬称略)
鎌田由美子 / 株式会社ONE・GLOCAL 代表取締役社長
土屋敏男 / 日本テレビ放送網株式会社 社長室R&Dラボ スーパーバイザー
屋代陽平 / 株式会社ソニー・ミュージックエンタテインメント
山本秀哉 / 株式会社ソニー・ミュージックエンタテインメント
【モデレーター】
濱松誠(モデレーター)/ ONE JAPAN 共同代表

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■ヒットの仕掛け人、秘訣を語る

【濱松】エキナカ、電波少年、YOASOBI── 今日はこの3企画の仕掛け人をお迎えし、ヒットまでの道のりや成功の秘訣を伺っていきます。まずは自己紹介をお願いします。

【鎌田】平成元年にJR東日本に入社し、35歳で駅構内の新規事業「エキナカ」を企画、その立ち上げや運営、42歳からは本社で地域活性事業を担当しました。その後、カルビーへの転職を経て独立。JR時代に出会った地域活性の仕事にやりがいを感じ、現在は「1次産業を元気にする」を掲げ、ものづくりや日本の食材・生活習慣・文化の発信などに取り組んでいます。

【土屋】45歳までは『進め!電波少年』や『ウッチャンナンチャンのウリナリ!』『雷派少年』といったバラエティ番組の企画や演出、プロデュースを担当。その後は、24時間生放送チャンネルを立ち上げたり、日本初のテレビ局のインターネット事業「第2日本テレビ」を作ったり、ドキュメンタリー映画や3Dスキャナーを使ったライブエンタテイメントの制作をしたり、様々なジャンルの作品に携わっています。

【屋代】私は、ソニー・ミュージックエンタテインメントに2012年に入社し、音楽配信業務を経て、7年ほど前から新規事業を担当しています。社内イノベーションのプログラムなどを運営する傍ら、2017年に小説投稿サイト「monogatary.com」を作りました。2019年に、サイト内企画として、ボーカロイドプロデューサー・Ayaseとシンガーソングライター・ikuraによる、小説から音楽を作るユニット・YOASOBIを会社同期の山本と立ち上げました。

【山本】ソニー・ミュージックエンタテインメントに入社後、ゲームやCDパッケージなど販促物の制作や、レーベルの宣伝担当を経て今に至ります。YOASOBIプロジェクトでは、主に小説や出版社との向き合いを屋代が担当、音楽やクリエイティブ周りを私が担当しています。

■エキナカは「ハレーション」から始まった

【濱松】ありがとうございます。単刀直入ですが、まずは皆さんに、それぞれの企画がどう生まれたのかをお聞きしたいです。

【鎌田】エキナカの立ち上げは、2001年に遡ります。JR東日本の2000年からの中期経営計画の中で立ち上がったのが「ステーションルネッサンス」計画。鉄道環境をとりまく明るい数字が見えない中だからこそ駅をゼロから見直し、バリアフリー化、建物の老朽対策、混雑t緩和対策を考え「通過する駅から集う駅へ」という言葉が生まれました。駅を抜本的にどう変えられるか、という新規事業がエキナカです。

今でこそ一般用語になりましたが、発足当時はエキナカという言葉も存在せず、社内ではまったく期待されていないプロジェクトでした。PTメンバーは、私と部下のたった3人。1番変えたかったのは、駅の空間。空調や照明、床の色等、すべてが社内を横軸で通す仕事でした。社内では各所でハレーションが起きてたたかれ、出店していただく取引先には「駅みたいなイメージ悪いところで商売なんかできない」と、10社いけば9社に断られと、そんな状態でのスタートでした。メンバー全員が、それでも駅を変えたいという強い想いを胸に、何度も交渉を重ね、オープンまでこぎ着けたのです。

【濱松】その日々があって、今があるわけですね。そもそも、なぜ鎌田さんはエキナカプロジェクトにアサインされたのでしょうか。

【鎌田】実は、人事異動でした。それまでも私は新規事業には携わっていましたが、お手並み拝見な感じだったと思います。(笑)会社はステーションルネッサンスを掲げていましたが、誰もが「駅を変える」という具体的なイメージは持ち合わせて居なかったと思います。逆風だらけでしたが、次第に協力者も増え、さらには揺るがない上司の姿も見て、チーム全員どんどんモチベーションが高くなっていきましたね。

■「社内チェックなし」が効いた電波少年

【濱松】土屋さんの『電波少年』はどう生まれたのですか?「アポ無しロケ」や「大陸縦断ヒッチハイク」などを生んだ、伝説的なバラエティです。

【土屋】鎌田さんのエキナカのお話と同じく、『電波少年』も当初はまったく注目されていない番組でした。通常、新番組が始まるときは製作発表会見を開くのですが、『電波少年』の会見に来た記者はたった1人(笑)。抑えていた会場を応接室に移したくらいです。

それもそのはず。「アポ無しのロケ」なんて成功しないと思われていたし、メインMCも当時はB級タレントだった松本明子さんと松村邦洋さん。さらに担当の僕も無名で、前作品ではゴールデンタイムの番組で視聴率1%を出すくらいダメなディレクターでした。

それでも、少しずつファンが増えていったのは、「今までにないテレビを作りたい」という制作チームの意志があったから。事前アポなしもそうですし、カメラマンをつけずにディレクターが8ミリビデオを持つ「大陸をヒッチハイクで横断する」や「懸賞金だけで生活する」といった新たな企画を出して、とにかく「テレビの常識と見る人を裏切り続ける」工夫をしましたね。

【濱松】そのスタイルが一世を風靡したわけですね。しかし、期待されていない状態で新しいチャレンジするのは大変だったのでは?

【土屋】むしろ、ダメダメからのスタートだったので「問題を起こしても、失敗してもいいや」ぐらいのマインドです(笑)。一つ良かったなと思うのが、社内チェックを通さない体制で企画を進められたこと。企画立案→ロケ→スタジオ収録→放送のサイクルを4~5日で回すので、いちいち社内に話を通していたら間に合わない。たくさんの人の目に触れるほど、企画は丸く、面白くなくなります。スモールチームかつプロダクトアウトで自分たちが面白いと思うものを出す。時に上との衝突もありましたが、「ハレーション上等」くらいの気持ちでやってましたね。

■無風から一転。YOASOBIがヒットした理由

【濱松】エキナカも、電波少年も期待されていない状態からスタートしたと。YOASOBIはどうでしたか?

【屋代】ブームに火がついてからは、広く知っていただけるようになりましたが、実はYOASOBIも最初の発表では驚くべき滑り方をしました。2019年7月に、YOASOBIの初の楽曲「夜に駆ける」の告知をボーカルのikura(ソロ活動名義:幾田りら)のワンマンライブの最後に流したのですが、まったく盛り上がらずシーンとして……チーム全員で冷や汗をかきましたね。

しかし、そこから地道にコンテンツ制作や拡散を進めて、少しずつ再生数が伸びていきました。「monogatary.com」として、小説を元に音楽を作るというコンセプトを立てたこと、それから『電波少年』と同じくikura、Ayaseと僕らのスモールチームで制作を進められたのも良い要素だったと感じます。

【山本】 特にコロナ禍の今、小さなチームかつオンライン完結で楽曲制作を進められたのは良かったですね。YOASOBIはアニメーションPVなので撮影もないし、電子音を多く使うので、大掛かりなレコーディングもしません。だからこそ、スピード感をもって新曲を作り、ストリーミング音源の準備も進められました。今までのアーティストとは少し違う、デジタル時代ならではのセオリーで売れた感覚はあります。

【屋代】シングルCDを出して、アルバムCDを出して、ツアーをやって……という今までのフローから考えると少し特殊かもしれないですね。YOASOBIでは全部シングルで楽曲を出して、年に1回4〜6曲程度のEPアルバムをだす形式を取っています。それと、今までのインターネット発のミュージシャンと違い、顔を出すということも新しい試みでした。逆張りの戦略で、じわじわと人気が出ていきましたね。

■「企画が通らない」どう乗り越えるべきか

【濱松】お話を聞いていて、企画の内容が新しいほど、会社からの理解は得にくいのではないかと想像します。この点はいかがでしたか?

【鎌田】社内で調整がうまく行かない時って、許可を出す側も一度ダメと言った手前「折れられなくなっている」ケースが多いです。そういうときには、「明後日の方向」から応援を入れてもらうことも効果的です。例えば、相手と関わりのある別部署の方にお話をして、第三者との関係からも案件にOKせざるを得なくなったというようなやり方もあります。

【屋代】僕らの場合はお客さんの声が一番の説得力になるので、そこを強く押しました。あとは、結果が出ていないときも堂々と「順調です」という顔をするのも大事かもしれません。プロジェクトの当人の顔つきも、当然一つの説得材料になると思います。

【濱松】社内と社外、双方をきちんと巻き込んでいくわけですね。土屋さんはいかがですか?

【土屋】繰り返しになるかもしれませんが、「こんなものはテレビじゃない」と言われても、ひたすら企画を出し続けることが大切です。そもそも、新しい企画は10個やって1個当たるか当たらないかの世界なので、逆にいえばその1個が当たればすべての失敗がカバーされるわけです。

だから、時には上の声を無視して(笑)、とにかく自分たちの直感と視聴者の声に向き合い続けました。これは経験上ですが、社内でハレーションが起きている時こそ新しいチャンスが埋まっている可能性が高いです。議論があるのは、これまでの常識を変えようとしているから。ならば、それがイノベーションの種になるかもしれない。それくらいの気持ちで、社内とのすり合わせに向き合ってみると面白いかもしれません。

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■まずは行動してスモールスタートを

【濱松】社内のハレーションもある意味、企画の種になるわけですね。スモールチームで始めて、逆風をうまくチャンスに変える。皆さんのお話の共通点は、この2つにあると感じました。最後に、新規事業に携わる方にメッセージをお願いします。

【山本】僕も長く新規事業に携わっているのでわかりますが、結果が出ない時は苦しいものです。しかし、少しでも結果がでると景色が変わるので、なにかしら行動を起こし続けることが重要です。なので、もし迷う方がいれば、まずはアクション数を増やしてみてほしいですね。

【鎌田】今日みたいに他の業界の方の話を聞いたり、意見を交換したりするのも、行動の一つだと思います。私自身、別の業種業界とアライアンスを組みながら新規事業をやってきましたし、それで成功した事例も多く見ています。多様性は、アイデアを生み出す重要な要素ですから。

【土屋】このセッションを聞いているのは大企業の方が多いでしょうから、ミニマムな体制で、スピード感をもって事業や企画を進めることをおすすめします。日本は先進国でも生産性が低いと言われていますが、その一つの理由は「共有カルチャー」にあると考えています。メールのcc文化しかり、上申文化しかりです。もちろん、共有の必要性は否定しませんが、新しいものを生み出すと考えると、やはり速度が落ちてしまう。だからこそ、これから事業を始める方には特に意識いただきたいです。日本から、もっと面白い、新しい企画が生まれていくといいなと感じます。

【濱松】非常に共感します。今日の話を受けて、今後どんなヒット企画が日本から出てくるのか、今から楽しみになりました。みなさん、面白いお話をありがとうございました。


構成:高橋 智香
編集: 岩田 健太、香西 直樹
デザイン: McCANN MILLENNIALS
グラレコ:本園大介(ぞの)


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