見出し画像

熱波とピストル

 「お休みの日は何を?」と聞かれても「趣味は?」と聞かれてもサウナと答えそうなほどサウナが好きだ。依然ブームは衰えず、今もどんどん若いファンと新しい施設が増えているので、中年の私はサウナが好きだと自分から言うのがちょっと照れ臭くなった。
 以前は銭湯に行っても無用のスペースでしかなかったサウナと水風呂が、今や自分にはなくてはならない重要な場所になっている。

 私だけに限らず、たいていの大人は毎日様々な役をこなしている。お母さんの私、会社員の私、妻の私、そして両親にとっては娘の私。元々何かに没頭することや我を忘れるのが下手だったので、着けるお面は多くても困らなかった。しかし器用に使い分けているうちに素の顔を失くした。
 多分それはヨガでもジョギングでもなんでも良かったのだと思う。私はたまたまサウナだった。
 サウナで汗だくになった直後に水風呂で寒締め野菜のようにシャキッとして、休憩用の椅子で恍惚となり蘇生する。それらをループしているうちに、私はサウナにいる間は手持ちのお面をすべて捨て置けるようになっていた。何の配役もない素の状態で己の心身の気持ち良さに自分を委ねることは、別に恥ずかしいことでも何でもないのだと今さらながら気がついた。

 頭を空っぽにして黙々と自分の身体を熱くしたり冷やしたりしているうちに、ちょっとした悩みやイラッとした出来事がだんだんどうでも良くなってくる。盛ったり着飾ったり、誰かを蔑んで自分を良く見せようとしたところで、こうしてスマホをロッカーにしまい日々のしがらみを忘れてぼんやりする時間の尊さを前にしたら、そんなことはすべてくだらないのだ。

 繰り返される小さく死んで小さく生まれ変わるサイクル。それはもう本当に悟りが開けるような爽快感だった。そして快適を知ることは、自分の中の不快や不調に気づけるということでもあった。だから今の私は、サウナを知る前よりも健全で欲深く自由だ。

 温度、広さ、導線、水風呂の深さ冷たさ、古さ、立地、値段。サウナに対してこだわりたいポイントは人それぞれだろう。私も気になるサウナは事前に施設の内容やレビューを調べる。しかし結局のところは肌感、トータルの相性だ。その感覚は恋愛に近いかもしれない。
 私がサウナという恋人に求めるのは愚直なほどの熱さと湿度だ。例えるならほぼ竹原ピストルだ。おしゃれ度はどうでもいい。むしろ変に垢抜けないでいて欲しいし『BRUTUS』には一生載らなくていい。駅から多少遠くてもいい。清潔ならば古臭くてもいい。テレビも要らない。お酒はぬるめの燗がいい。肴はあぶった烏賊でいい。
 ふらっと会いに行けばいつでもドアを開けてくれ、夏には扇風機が首を振る部屋で冷たい麦茶を、昼なら卵を落としたサッポロ一番塩ラーメンを黙って出してくれるピストルと、西日の当たる狭くて古いアパートで汗まみれになりたい。繰り返す快感と止まらない汗。化粧も見栄も体裁も剥がれてドロドロになって放心する私の素顔を、無口な恋人はきっと嗤わない。私はなんの話をしているのか。

 好きになると続けて通いたくなり、行けば帰るのが名残り惜しくなる。私にとってサウナはもはや情事である。
 繁盛していてもらわないと困るが、人気が出すぎて混雑するのも正直困る。だから贔屓の銭湯へは足繁く通うが、一番好きなサウナはあんまり人に教えたくない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?