『自分−サッカー』と『サッカー×○○』

■はじめに

はじめまして。浦田佳穂といいます。
2018シーズンの25歳の時に女子サッカー競技の現役を引退し、今は自分自身の指導スキルの獲得のため大学男子サッカーという土俵でサッカー指導者として日々勉強させていただいてます。(※2020年度より流通経済大学付属柏高等学校女子サッカー部にて教員と監督をしています。)

ここで伝えていきたいのはピッチ上での指導とは少し違った観点のものですが、いずれすべてリンクしてくるものです。
どんなものを書いて残していきたいのかはこの先に書いてあるのでぜひ最後まで読んでみてください。

まずは少しだけ私のキャリアと、noteをはじめた経緯についてお話しします。

JFAアカデミー福島で1期生として6年間のエリート教育を受け、その後順天堂大学に進学。主将を務めた4年次には創部初のインカレ(全国大会)出場を果たし、個人的にはユニバーシアード競技大会(2015/光州)のメンバーに選出され出場(大学生のオリンピックと呼ばれる世界大会)。大学卒業後はなでしこリーグ、ニッパツ横浜FCシーガルズで3シーズンプレー。現役中にB級ライセンスを取得し、今は日本一Jリーガーを輩出している流通経済大学男子サッカー部のコーチとして働いています。(※2020年度より流通経済大学付属柏高等学校にて教員と女子サッカー部の監督をしています。)

恥ずかしいですがわざと聞こえがいいように言ってみました。
まだまだ若造で未熟な人間ですし未完成な人生ですが、経歴だけを話すとよく「エリートコース」などと言われます。
(なでしこJAPANに入ったことがあるわけでもなく選手としても大した結果を出したこともないのに大抵そんな反応されます。)

「浦田には特別ズバ抜けた能力も技術もない」

私を指導してきた指導者に伺えばみんな同じことを言うと思います。
それでもこだわるものにこだわると目に見える結果で証明できるんです。

サッカーで特別なにか結果を出してきたわけでもないのに評価してもらえるようなキャリアを築けた

不思議ですよね。
でも私なりに追求してこだわってついてきた結果なので自信と誇りは持ってます。

“1度はサッカーを諦めたけど、〇〇を追求してみたらサッカーでも結果が出た”

生き方は人それぞれだから強要したいわけでも自慢したいわけでもない。だから公の場で話すことにためらいはありましたが、こういった話を人にするうちに、その考え方や視点をぜひ発信して欲しいとの声が多かったのがきっかけのひとつです。

・ひとつの考え方として知っていて欲しい
・公言することで自分にも責任が生まれる
・言葉に書き下ろすことで整理がつく

これらがnoteを始めたきっかけです。


■サッカー選手である前に人間であるということ

プレーをするのも、
指導をするのも、
サッカーを観るのも、
あくまで人間です

つまり、数値で出る結果以外の部分は
すべて人間の感性による評価です。

だからどの分野においても土台は人間性社会性にあると考え、その分野の専門技術で敵わないのであればまずは土台を整えること。そして底上げをすることの追求をしました。(サッカーに限らず他競技や学校生活、会社、人付き合いも同じ)

サッカーの技術には先天的な身体能力やセンスといったものが左右するためかなり個人差が出てきますよね。(限界を決めつけているわけではない)

私は中高時代その現実を目の当たりにして壁にぶつかり、1度はサッカーを諦めかけました。

でも“そうじゃない部分(=目には映りづらい部分)”でその差はいくらでも埋められます。

そう思って私が最後にこだわりにこだわって追求したのは、

“サッカーや日常において目に映りずらい部分”

つまり前の文章でいう、
“そうじゃない部分(=目には映りづらい部分)”
(数値や結果ではなく、目には映りづらいけど感じてもらえる人には伝わるもの)

そういった部分をこだわり続けました。

そこを追求し続けてみたら
サッカーでも社会でも
目に見える結果がついてきた

特にサッカーにおいては人間的な豊かさの獲得と比例するかのように、個人としてもチームとしても著しく結果が上昇した。

これが技術的な著しい成長は難しいであろう高校の終わりから大学年代における話です。

この期間が私にとって裏ゴールデンエイジだと言えるくらいサッカーにおいても成長できました。

自分自身や同じ組織で同じように追求し続けて結果を出した同志たちを見ているからこそ、人間力は無限大の伸び代と可能性を生むのだと実感し、確信しています。


■「こいつ特別上手いわけではないんだけどいい選手なんですよね」

私にとってこれはすごく褒め言葉でした。
もちろんこれを言われてサッカー選手として物足りなさや悔しさを覚えることもあります。技術的向上の努力もしないわけではありません。サッカー選手である限りもちろんそこは惜しんではいけないので。

でもチームには一人一人役割や立場がありますよね。
その中で“チームにいると助かる存在”っていると思うんです。

決してうまくはないけど大事なところには必ずいる選手
(≒やるべきことを徹底してできる選手)
・何か特別うまいわけでもないけどすべてをそつなくこなせる選手
(≒基盤が広く理解力が高い選手)
・どんな立場や状況であろうとチームのために動ける選手 etc...
(≒チームの方向性や現状を察知し行動できる選手)

ほんの少しの例ですが、こういった選手はどのレベルに関しても技術云々でなく、チームスタッフやチームメイト、サポーターから“必要とされる選手”になれます。その結果、信頼を得て出場機会を得るなどといった目に見える結果や経験が得られる。

※もちろん最低限の技術等は求められますが、技術が低くても理解力が高い選手は技術が低いというその穴を埋めることができる。(これについては今後も読んでいただけたらいつか理解していただけるかと…)

私が生みたい・育てたい、または増えて欲しいと望むのはこういった、チームや社会から必要とされる人材です。

年齢、在籍年数、上手い下手問わずチームや社会から必要とされる要素を持った人

人間性や社会性も高くサッカーもできる選手であればそりゃ素晴らしいですしそれが一番の理想です。そういった人が世界中から愛され求められるような選手、人間になれるのでしょう。

でも圧倒的にそうでない選手のほうが多い

だから前者だけを夢見て求めてはいけない

大事なのは一人一人が
“何にこだわって
自分に何を残すか”
です。

■自分−サッカー=?

この“?”の部分。
これがこだわった上に残る自分自身の財産です。
人にはそれぞれ特性があるので完璧でなくていいから自身がこだわった上での自分色の財産を残して欲しい。
『自分-サッカー』ですので、もちろんサッカー的な実績は抜きの力
できるだけこの財産が、いつまでも効力のあるものであって欲しい。

・サッカーができる時間だけ充実していればOK
・ほかのことを考えている余裕はない

勝負するところはピッチですもんね。
その気持ちもわからなくもない。

なぜなら過去の私はサッカー中心でしか
考えることができなかった人間だったから

でもそこに伸び代や可能性を増やすためにという余裕を持って考えてほしい。

たしかに人が持つ視点や感覚、感性や思考を変えるのにはものすごいパワー時間向き合ってくれる人が必要ですし、そこにこだわり続けることってものすごく大変な作業です。それは自分自身で経験してるので痛いほどわかります。

でも、

『将来のために』
と言っているわけではない
『今』
にも役立つから伝えたい

■上手いけどもったいない選手

サッカーをやってきた人ならイメージ付きますよね?そういった選手には何が足りないと思いますか?

足りない部分の例を挙げるとしたら、

状況判断力が乏しい
(≒したいサッカーとするべきサッカーの判断)
献身力の欠如
(≒仲間からの信頼が軽薄、大事な時に力が発揮できない)
理解力や思考力が低い
(≒個人技術だけが先走り、土台となるべきサッカーの原理原則やチームの方向性を理解できていない)

上手い(技術は長けている)のであれば、もったいないと思われる要因は恐らくこういった思考や心の部分

ならば、
サッカー選手としてさらに成長を追求するためには思考や心の豊かさといった、目には映りづらい部分の力が絶対的に必要ではないでしょうか。

『ピッチからは少し視点を外すけど、こういった力を獲得できたらサッカー選手としてさらにstep upできる』

そう考えてみると他人事や綺麗事ではなくなってくるはず

さらに、これらの力は社会やどの分野においても応用することができる力です。

だからこれらの力の獲得が、サッカーの向上とともに、人としての成長もできて将来を豊かにできる可能性が広がる。一石二鳥どころが、三鳥にも四鳥にもなる力だよね?というのが私の考えです。

ピッチ上から少し視点を変えて
追及したその先にあったモノ、
その時間で得られた出会いや感性、

ついてきた結果、
そして残った財産。

これらは計り知れないほど大きい。

日常とサッカーをリンクさせる力

少し具体的な話をしてみましょう。

今の女子サッカー(女子サッカーに限らず)を見ていると個人技術が高くてもなにか乏しさを感じることがものすごく多い。
その理由として技術以外の部分で個人的な見解を言わせてもらうと、以下の2つの水準が低すぎるからだと考えます。

①サッカーにおける目に見えない部分(理解力・思考力・判断力・察知力・観察力・応用力・徹底力・自己犠牲心・受容力・コミュニケーション能力・自己解決能力etc...)

②社会において女子サッカー選手の需要を高めるための選手や人としての質

⬅︎①②は、
ずっと言っている“そうじゃない部分(=目には映りずらい部分)”

ではこの両者を向上させるためには?ってところですよね。

私なりの理論でいうとこれらの向上の決め手であり近道となるのは、

“日常とサッカーをリンクさせる力”の獲得

この感覚を持てるようになるか、
さらにはそれを実感しイメージできるようになるか、
です。

ひとつの例を挙げてみますと、

『社会的マナーが守れない人間は、サッカーの原理原則を守れない選手』
つまり、
『ダメだと知っていてもマナー違反をする人(善悪の判断ができない人間・自分に甘い人間)は、サッカーの原理原則を知っていたとして原理原則の上でのプレーができない選手(適切な判断ができない選手・自分に甘いわがままな選手)である』
ということです。
どんなにスキルがあったとしても原理原則やチームの方針を守れない選手はチームとして穴になる。守備にしろ攻撃にしろそこでノッキングを起こしますよね。だから“もったいない選手”、“使いづらい選手”で終わってしまう。
であれば、
『社会的マナーを守れるようになれば、サッカーの原理原則を理解の上できちんとプレーもできるようになる』
(=判断力や献身性が身につけばサッカーでも社会でもそれが活きる)

これが日常とサッカーをリンクさせるということです。

かなり大雑把で抽象的な例ですので多少無理矢理感もありますが少しはイメージできました?

●日常やサッカーで自分に足りないものを知る(自分と向き合う、周囲に指摘される)
↪︎日常における意識が変わる
↪︎見えない部分の力が増す
↪︎サッカーにおける見えない部分の力に反映され、サッカー能力が向上する
↪︎相乗効果として人としての規律も整い、社会性が高まる
↪︎そして選手や人としての質が上がる
↪︎万能な効力をもった財産が増える

こういったサイクルが理想ですし、ぜひ獲得して欲しい。

■サッカー×〇〇=?

ではこの“?”の部分。
これがリンクする力によって生み出されるものであり、答えは無限大にあると考えます。サッカーにおける技術であることもあれば、社会性や人間性に置き換えることもできるでしょう。

noteでは先ほど例で挙げたようなことをもっと噛み砕いたような話をしていきたいと思ってます。

基本的なサッカー理論×日常や人としての〇〇の部分

あくまで具体的な日常場面やサッカーの要素を絡めたモノを時間がある時に伝えていければと思ってます。

きっと読めば納得するようなあたり前なことです。

次のお題は、

『エレベーターですぐに下座に入れる人はサッカーが上手くなる、という話。』

で書こうと思ってます。
興味がある方は次もぜひ。



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