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今日が私の独立記念日。

私は自信があるようでいて、いつでも自分に自信がない。

こんな相反する思いがあるのかずっと不思議だった。

私の原体験といえるものは小学校高学年にあった。

小学校4年生で転校した私。もともと内気な性格もあり、なかなか馴染めず辛い時間を過ごした。友達は出来たけど、誰かを無視したり、陥れたりするような子がいて、私もターゲットにされたり。
保育園、小学校低学年まではわりと目立つ明るいグループにいて
自分で言うのもなんだがモテたし、かわいいと思っていた。
ところがどっこい、転校して高学年になるとどうだ。
毛量がすさまじく多く、加えてかなりつよい天然パーマの私。また歯並びが悪く、顔もベース型。
そこへ口の悪い男子が「サイババ」だの「顔が四角」だの「歯へっこんでるやん」だの。もう、私の心はズタズタ。
勉強もあまり出来なかった子で、たいして努力もしないので点数もとれず、それがまたコンプレックス。
運動神経もそれほどよくなく、プールが苦手で毎回苦痛だった。

小学校3年まで自称モテていた私は変にプライドも高く、5年6年で仲良くなった友達はモテる子で頭もよく運動神経抜群ときた。それはそれで悔しくて。悔しいと思っている自分も醜くて。
 
そんなみじめな小学校高学年時代を過ごし、中学校ではめっちゃ勉強頑張って、常に学年20位以内(自慢するには微妙)。バレーボール部で汗を流し、中2には矯正ストレート(当時は画期的)をあて、徐々に自信を取り戻す。
一丁前に告白なんかされて付き合ってみたり。そこからはわりと順風満帆に今に至るのだけど、ずっと本当のところは自分に自信がない理由を原体験ジャーニーをしてはじめて分かった気がする。

友達からつまはじきにされるのが怖い。
出来ない子と思われたくない。
容姿コンプレックスを指摘されるのが怖い。

過去のトラウマから私は周りに合わせたり、苦しくても笑顔でいようと頑張ったり、明るくみせたり、相手優先で考える癖がついたり。
手前味噌だが私は優しい。でもその優しさは自分を守るためのものだったのかもしれない。

誰にでも消せないシミのようなものはある。
私は不用意に相手を傷つけたくないあまりに、自分を殺して生きてきたんだ。だから自分がないと思い今まで悩んでたんだ。

私の原体験が何に役に立つかはまだ分からない。ただ原体験ジャーニーを終えて、大好きな原田マハさんの「独立記念日」の一節を思い出した。

『自由になる』っていうことは、結局『いかに独立するか』ってことなんです。ややこしい、いろんな悩みや苦しみから。

私の悩みや苦しみがどこから来ているものなのかが分かって、向き合えたことで、少し自由になれた気がする。

昔、Twitterのヘッダーでこんな文言を書いてたの。

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「自分軸」と「他者との調和」。
私の思い描いているなりたい姿はこれなんだと思う。
少しずつ内なる声に耳を傾けていこう。

そして原体験は複数ある人もいるんだそう。私はまだ1つあるの。こっちはどちらかというとポジティブな原体験。それはまた次回に。

このnoteを見てくださった方も、悩みや不安から少しでも独立ができますように、そしてもっと自分を好きになれますように◎

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