小説を書くことー16(A)+(C)

猫のタマちゃんに先導されて着いたところは私のフラットでした。厳密にいえば、昨日まで住んでいたフラットで、私と猫のタマちゃんは小さな台所(私のところでは物置に代わっていたところです)の中に居ました。

廊下を隔てたリビングから私の妻と息子の声それにテレビの音が聞こえてきました。私は台所にいるので当然私自身の声は聞こえてきません、と思ったのですが、私の妻が息子に言っているのが聞こえてきました。「パパ、相変わらずねぇ。ねぇもう寝ているのよ」私のいびきが時々聞こえてきます。

少し身を乗り出してみると、ブラウン管の張りだした恰幅の良いテレビの側面だけが見えて妻と子供の姿は見えないのですが、籐椅子の先に脚を載せた大人の足が見えました。そのまま見ていると足の先が引っ込んで、廊下越しに台所の方を見ている僕の顔が見えました。注射で注入したかのように籐椅子の上にいるの意識が少しよみがえってきました。

ー僕は寝たふりをしているだけなのです。少し現実味を加えるために時々鼾の音をさせます。このゆりかごのような籐椅子の上でリラックスすることだけがなので僕の唯一の休息なのです。

今日の仕事は大変でした。ドイツから飛行便で送ったメッセに出店していた大型の機械が香港で止められてしまったのです。香港で飛行機の機種を小型に変えたために、大型機械を運ぶスペースがなくなってしまって、東京まで運べなくなってしまったのです。大阪の商社員の怒りは半端じゃなく馬鹿、アホ、間抜け、損害賠償、首を吊れ、ほとんどの罵詈雑言が僕に降ってきました。「この機械は、売り先は決まってて、納期は1週間、納期を過ぎれば、違約金、2週間以内でなければ、キャンセルやで、もし最悪そうなったら、わしとこあんたとこの会社に全額賠償してもらうからな、ともかくはよ何とかせえ、アホ」

あれほど僕はオペレーターにフランクフルトから東京の直行便に乗せるように言ったのですが、オペレーターが助べえ心を出して、仕入れ値の安いキャセイの香港経由を選んだだめです。

キャセイから出す東京向けの大型の機種はいつになるかわからない、明日かもわからないし、1週間後かもわからないし、1年後の可能性もありというようなことをとうとうと説明しだす航空貨物担当の部長と大喧嘩をしました。電話口で怒鳴っていた僕に対する最後の部長の捨て台詞は「そこまでわしにたてつくんだったら、俺はお前の給料を払わないからなあ」とがちゃんと電話を切られました。僕は日本人向けに貨物の営業をしているために陸上輸送、海上輸送、航空貨物のそれぞれの部門から持ち出しのような形で給料を受け取っています(各部門とも、それなりにプロフィットをおとしていますので別にどこからも不平不満はありません)あとで支店長に呼ばれ、態度が悪いと怒られました。

こんな仕事上のことを説明しても読んでいただいている方には退屈なだけで、まあ、僕の仕事はあらかたこんなもん(かなりのストレス)という説明です。

そのあと帰宅すると、家に入る間もなく、そのまま車でスーパーに買い物です。土曜日にまとめ買いをしているので、通常の買い物は殆どないのですが、塩、コショウ等の小物をよく忘れるために買い物をするのですが、100メートルも離れていないスーパーなので、どうして、妻が一人で買い物に行かないのか、わかりません。買い物を終えて、家に帰って、息子が腹が減ったというので、昨日の残っていたご飯でチャーハンをつくりました。それから、台所にたまっている皿とナイフとフォークの類を洗い、ようやく籐椅子のところで休息。

悲しい現実ですが、僕はほぼ90%家事をしています。会社の仕事は営業なので、家の仕事が片付かないときは、セールスに行くと称して家に帰って家事をするぐらいだったのです。どうして家事を妻がしないのか、わかりません。時には、妻にかなり怒ったりするのですが、一時しのぎにわかった、わかった、これからは私、一生懸命に家事をするようにしますから、と言って、何もしないのです。結局消去法ですよね。妻の家事放棄、息子もまだ小さい、あと残っているのは僕だけ、ということです。

台所で皿を洗っていると、僕はヨーロッパで長い間皿洗いをしたころを思い出します。大学を卒業して、すぐにヨーロッパに来て4年半ほどいたのですが、メインは、キッチンヘルパー、くだけていえば皿洗いで、生計を立てていました。そして、僕はいまだに皿洗いの境遇から抜けていないのです。

最近ではこの境遇(結婚を含めて)から僕は抜け出せるのだろうか、という根本的な人生の疑問が沸き起こっています。

「パパ、もう起きてベッドで寝たら」という息子の声で」僕は目覚めたふりをして、寝室に行きました。

廊下を歩いて寝室に行く途中僕は台所をのぞき込みました。明日の朝食用の最低限の皿と、ナイフとフォークとスプーンは洗っておきました。それにしても不思議な夢だったのです。僕が猫と一緒に台所にいて、妻と子供の声を聞いていたのです。

                            ー続くー









ドイツ生活36年(半生以上)。ドイツの日常生活をお伝えいたします。