小説を書くことー7(A)

そんな短い会話を交わした後、私は2駅先の私の降りるべき駅を乗り過ごしたのに気づきました。

改めて市電の行く先案内を見ると、ラッティンゲンと入っていました。デュッセルドルフ郊外の小都市で、昔私と彼女が働いていた事務所がありました。

今は、IT関連の会社が事務所を使っています。

30年前のKさんなので、勘違いをして、会社に行こうとしているのではと思いましたが、午後2時以降出社ということはありえないので、わたしはKさんの横顔を黙って見つめていました。Kさんの横顔には何となく懐かしさがあるのか、時々、「なに、これ?」というような声を出し車窓の外を眺めています。進行方向に向かって右側には小高い丘があり、木々の群れが小高い丘を覆っているのですが、昔は市電が並木通りの中を通っていたのですが、片側左側にはビルが連なっています。

彼女もデュッセルドルフからの通勤なので、30年前に、私も同じような光景を眺めていたわけです。私は外回りの営業で、同じ電車に乗り合わせたことはめったにありませんでした。

電車は森林地帯を通り抜け小都市ラッティンゲンに入ります。

Kさんは私にスマホのことを聞きます。30年前にスマホは存在していなかったのです(というよりは、私の周りで見ることはなかったのです)。それと充電のことを聞きます。私はよく充電を家でするのを忘れるために充電器を持ち歩いています。それを見せると手に取って、珍しそうに見ていました。

ラッティンゲンに入る前に彼女は降りようとしました。私に目線で、さあ降りてと合図を送ってきました。

今は不仲になっている怠け者の妻と来ることはなくなったのですが、私たちが降り立った場所は、時々、妻が散歩したいから、という場所でした。但し10分も歩けば、疲れたからと言って、すぐに引き返しましたが・・・。

だから小高い丘の上に何があるのか、私自身知らないのです。

Kさんは何も言わずに歩を進めていきました。おそらくこの辺りは30年前と変わっていないだろう、と思われるぐらい手を加えた痕跡がありません。

私も黙って、Kさんのあとをついていきましたが。30年前のKさんは27歳の若さで、70を超えた私は時々立ち止まって息を整えなければなりません。

私の休憩の気配を察して、すこし立ち止まってKさんは私を待ってくれました。

それから、また歩をすすめます。小高い丘の森林地帯は、案外広大な土地に立っているようで、どこまで、行くのだろうか、と思われるぐらい長い間歩いたように思われます。

あと、100メートルぐらいだから、とKさんは後ろでゼイゼイ肩で息をしている私に向かって叫びました。

100メートルといっても先はほぼ頂上で、休憩所があるわけではなく、そんなところで何をするのかわかりません。

人影はなく、私が危惧したのは、もしかしたら、道に迷ったのでは、と思っていたことです。

丘の頂上に立って、私はアッと驚きました。頂上から下を見ると少し霧がかかっていて、下が見えません。小高い丘と思っていた森林地帯は、丘ではなく山のように思われるぐらいの高さがあるようです。

時々運動をする人のためにところどころ、鉄棒とか、子供用にはジャングルジムとか、滑り台とかが置かれていたのですが、頂上にあったのはブランコでした。

ブランコは頂上のところに近接しているのではなく、少し離れていました。

Kさんはブランコに乗り、ゆらゆらしながら私のほうを眺めています。

あなたのチョイスだけど、もし興味があったら、私のやるとおりにして、といって、Kさんはブランコを漕ぎ出しました。ほぼブランコが天辺と並行ぐらいになるとKさんは頂上の少し先に飛びました。叫び声もださず、私は無声映画を見ているようにKさんを見ていました。飛んだあとのブランコはぶらぶら揺れていました。

下は霧が濃く何が起きているのか見えません。あんな勢いで落下すれば、間違いなく、灌木と木々に引っかかっているはずですが、霧の中からはKさんのうめき声とか叫び声は聞こえてきませんでした。

私はブランコを止めて、乗ってみました。最近は2歳ぐらいの孫娘をブランコに載せて、ゆらゆらしたことがありますが、Kさんのようにブランコを漕ぐのは小学校いらいです。ブランコに乗って、漕ぎ出すと、周りの景色の揺れで、少し吐き気がしました。大体70を超えた老人に対する要求としては無茶であります。

少し休憩。それから、ブランコに乗り、漕ぎ出しました。小学校のころ校庭で放課後ブランコ漕ぎをしたことを思い出しました。それからそのころの友達、先生。私は知らぬ間に、ブランコの台を思いきり踏んでいました。

丘の上を飛び越えて、あの霧の中に入るのは、何か意味があるのあは確かです。

私の怠け者、不仲の妻。私の最愛の孫娘、さようなら。

私はブランコから飛び出す直前に、ブランコの綱を誰かが、後ろから引っ張るのを感じました。その衝撃で、落ちそうになったのですが、ブランコの勢いは止まらず、私は頂上を飛び越えて霧の中に飛び込ました。

                            ー続くー




ドイツ生活36年(半生以上)。ドイツの日常生活をお伝えいたします。