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記憶のなかの台湾旅〜虹色のおじいちゃんに会う〜

※これは2019年に一か月かけてゆっくり台湾を一周したひとり旅を振り返ったエッセイです。

台湾バスの恐怖体験
 
 台中に来たら必ず行きたかったところに「彩虹眷村」が一番にあげられる。ガイドブックによるとその小さな集落は家の壁一面に鮮やかなイラストが所狭しと描かれていて、それが傍から見ると虹色の村に見える為、「レインボーヴィレッジ」とも呼ばれているそうだ。そんなの気になりすぎる。
 ただそのスポットはややアクセスが悪く、台中駅から鉄道で隣の駅へ行き、そこからまたバスを乗り継いで行く必要があるらしい。(台中からのツアーももちろんある。割高になってしまうが)
 まあ自分でなんとか行けるだろと高を括ってバスに乗り、いつも通り社内でグーグルマップを見ながら移動していた。しかし……

台湾バスの車内(台湾版Suicaである悠々カードも勿論使える)


 (あれ!!!!高速に入っていくぞ?!)

 乗っていたバスは思っていた方向へは進まず、まさかの高速道路らしき大きな道路に入っていった。やばい、夜には台中駅のホテルに戻らなければいけないのに(連泊なのでスーツケースもホテルに置きっぱなし、しかもパスポートもホテルの金庫に入れっぱなし)私一体どこへ行ってしまうの?!
 パニックになって乗客や運転手に聞くなどもできず、これ以上駅から離れないように急いで次のバス停で降りた。降りた停留所は、台中のどこだか全くわからない大きな道路の真ん中。ネットで調べると目的のバスとは逆方向のバスに乗っていたようで。元の道に戻るバスが一時間後だったのでヤケになってその通り沿いにあったフルーツカットのお店でスイカの盛り合わせを食べて時間をつぶした。
 それは内心かなり動揺してるのを、こんなの屁でもないですよ、と自分を落ち着かせる意味もあった。


ふいにみつけた長崎カステラの看板

 異国の見知らぬ街で自分の知らないうちに自分の知らない場所に連れていかれる。帰り道が急にあやふやになる。それはなかなかの恐怖体験だった。
今はネットという強い味方もいるので(SIMカードも買っていったのでWIFIなしでも使えた)スマホを紛失しない限りは帰り道が分からずに路頭に迷うことはまずないだろうけれど、十数年前のバックパッカー達はガイドブックの情報が命綱だったはずだ。
 急に放り出されても、わけがわからなくても、今ある手持ちの装備でなんとか乗り切る。その能力はは人間の「生きる力」そのものに直結しているように思えた。
 

 
極彩色の村の虹おじいちゃん
 
 もう一度駅まで戻り、正しいバスに乗り(乗車の際に「ゴートゥーレインボウヴィレッジ?」とちゃんと運転手に確認もした)目的地の彩虹眷村(通称虹の村)までなんとかたどり着くことが出来た。
 その奇抜さ・艶やかさ・美しさは、写真で見るのと実際に見るのでは全然印象が違った。どこを見ても目に入り込んでくる絵のパワーに圧倒される。

 村といっても家が数件ある小さな集落なのだがその家の壁、屋根、塀、地面すべて所せましと動物、色々な国の人々、それと謎の生き物がユーモラスに赤、青、黄色と目立つ色であまりに自由に描かれていて、胸がぐわーっと熱くなるのを感じる。なんて明るくて、綺麗で、みんな楽しそうな絵を描くんだろう。

 これらの絵はすべて、当時八十過ぎのおじいちゃんがたった一人で描いたというから驚きである。
 おじいちゃんの名前は黄永阜さん。(通称虹のおじいちゃん)黄永阜さんは取り壊し予定だったこの集落の家の壁面にイラストを描き始めたという。そして実際にその活動と作品が評価されて、保護運動が広まり、取り壊しは中止、今は芸術公園として公開されている。
 壁面に描かれたイラストたちは生きる喜びと楽しさに満ち溢れていて、あたたかい。それらを見るだけで黄永阜さんの人柄が手に取るようにわかった。

虹村についての歴史の展示もされていた
おじいさんについての日本語の説明。最後に一文がとてもいい

 虹の村はすっかり観光地化されていて、インスタ映えスポットとしても近年有名らしいが、その日は天気も悪く平日だったこともあり大勢の観光客でにぎわっていることもなかった。絵をじっくり見てからグッズ等が販売されている売店(マスキングテープとキーホルダーを買った)を覗いてみると、売店の隣にちょこんと椅子に座っている小さいおじいちゃんがいた。黄永阜さんだった。(あまりに普通にそこに座っているので、他の観光客も気づいていない人も多かった)

 私はどうにかご本人に「あなたの絵のパワーはすごい」「感動しました」「生きる元気をもらいました」などと感想を伝えたかったが、黄永阜さんは高齢だし私のつたない英語では何もわからないかもしれないと思い、敬意を表して横の募金箱に五十元札を入れた。するとお返しのつもりなのか黄永阜さんは黒糖の飴を手渡してくれる。
 握手を求めると、にこやかに応じてくれた。おじいさんの小さなしわしわの手に触れて、この手からあのダイナミックで楽しい絵たちが生まれたのかと実感して思わず泣きそうになった。生命力というものは年齢関係ないのだなと強く感じた。
 黄永阜さんは現在九十八歳、今も毎日絵を描いているらしい。

黄永阜さん、許可をとって写真を撮らせてもらうとポーズをつくってくれるお茶目さ


購入したグッズたち。ポストカードは友達に配った


当時の日記①
当時の日記②


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