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HUNTERCITY 進撃のWEEK [自分理念と企業理念]

結論:今日の研修で学んだこと

今日から5日間、進撃のWEEKに参加することになりました。
1番の学びは、「投資家は人を見てくれるんだ」と確信したことでした。
戸村さんは言いました。
「多くの場合、6割は起業後ピボットする。投資家は事業内容に投資するのではなく、この投資家なら諦めない、やりぬく、人類に貢献する人かどうかに投資をする。だから自分理念をしっかり持っている人に投資が集まる」
というようなことを。

https://youtu.be/N9bgBJAkNRk

私の自分理念

私が創業した2011年の時は、自身が結婚出産とともに引っ越し、転勤、育児と会社員の両立に葛藤を抱えていたため「あきらめない、頑張りすぎない、自分のCOLORでいこう」というキャッチコピーのもと、”結婚、出産、病気、介護etc…を機会と捉えて明日が楽しみな社会"をつくるためにキャリアコンサルタントとして独立しました。
その時の自分理念ができた原体験は「結婚、出産、育児」が大きかったわけです。

その後、COLORという屋号で、女性のキャリア相談、企業向けキャリアデザイン研修、大学生の就職支援、若手社会人の転職支援、1歳からの子ども向け絵本料理教室、小学生によるご当地弁当商品化プロジェクトなど、相談にくる方、訪問した企業で起こっている問題、社会で起きていること、子どもたちが成長する中で直面することなど、遭遇するたびに、これをやったらどうか、あれをやってみよう、と色々とチャレンジしてきました。

創業当初。ご縁のあったマイ工務店さんのモデルルームをお借りしてキャリアサロンを開きました


さまざまなチャレンジをしていく中で、大学生の就職支援で1人1人面談して棚卸しをしていった際に、とても大阪の有名国立、私立大学の彼ら彼女たちの口から常に「親」の影響で人生の選択をしてきていることがわかりました。7人担当していたうちの6人は、二言目には「親が、これやった方がいいと言ったので」「親が理系がいいと言ったから」というわけです。

リクナビのエントリー画面に親が勝手にIDパスワード入れて、勝手にエントリーしているという子もいました。東京のベンチャーに行きたいけれど、大阪のインフラ系を親が進めるから最終的に大阪に残ることにした、という子は普通にいます。

私はリクルートで人材採用育成に関わる営業をしていました。大手企業の人事部長や課長さんがインタビューのたびに「上司にちょっと怒鳴られると、メンタルの診断書を持ってきて休む、辞める新入社員が増えている」ということを聞いていました。会社側の体制、本人の志向や、マッチングの問題もあったと思いますが、
「あ、自分で決めてないもん、そりゃあちょっと嫌なことがあったら辞めたり、休んだりするよな」
と妙に納得したわけです。

そして同時に危機感を覚えました。
親が(特に奈良にいた時はお母さんの比重が大きかったです)、結婚や出産で仕事を辞めた後、子どもに自分の人生を託してしまっているんだなと。
そして子どもたちはとてもいい子です。お母さんが嬉しいと思う進路を選んでいくことになり、いつしか自分の納得よりも親から認められたいという動機で人生を選択していくことになっていきます。

起業家でなくても、自分の理念なく人生を歩んでいたら、転んだ時に立ち上がるための信念、理念、使命感、目的感、がなければ、転んでも起き上がれない、煉獄さんのように鬼になることを選ばないことができなくなります。

慌てて、いろんな調査研究を調べたり、本や記事を読み漁りました。
私が2人目出産時に移住してきた奈良県は、女性の就業率は全国ワースト1、専業主婦率は全国1、2位を当時誇っていた地域でした。子どもの通塾率は全国で2位くらいでしたでしょうか。専業主婦で働いていないお母さんが、子どもの教育にすごく熱心になっている地域でした。

しかし、女性のキャリアを応援しようと動いていると、働きたい、自己実現を諦めていないお母さんたちが少なくありません。

私の自分理念は、子どもたちが自分の人生を自分で決めて送れるように、お母さんがまず自分の人生を生き直す支援をしよう、という方向に変わっていきました。

「全ては子どもたちの未来のために」
そのための女性のキャリア支援に切り替わっていきました。

この辺りのことを当時greens.jpで記事にしてもらっています。
絵本に出てくるお料理を、親子でつくってみよう!楽しみながらママの働き方を考える「COLOR」 [マイプロSHOWCASE]

eightの企業理念①「ママが働くを通して自分サイズの場をつくる」

豊田市に来て、0からまたスタートとなった私の起業人生は、法人化という転機を迎えます。
茨城で生まれ育ち、社会人で東京、結婚後三重、奈良、愛知と転々としながらも、なんとか自分の人生を歩めてきている実感があるのは、とにかくその土地その土地で素晴らしいご縁をいただいたからです、
株式会社eightを設立したのも、まさにご縁でした。

創業当時の思いを持って愛知県豊田市にやってきて、奈良と違って産業が確立され、とにかく仕事がある地域です。女性のキャリア支援と言っても、課題は全く違うのではないかと思ってきましたが、奈良の時となんら根っこは変わりませんでした。

こんなに仕事する場所があるのに、復帰しない、再就職しない女性が多く、結果、育児期女性の就業率は全国、愛知県平均よりも豊田市平均は低かったのです。

https://www.city.toyota.aichi.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/011/133/chojyu01/chojyu01_03.pdf

奈良県も愛知県豊田市も、お母さんたちは有り余るエネルギーを子育てに注ぐことになっている構図は変わらないことも多くのお母さんたちに出会う中で実感しました。

企業が多いなら、企業研修で会社員の女性たちが働き続けたいと思ったら働き続けられるように支援していこうと法人化に至りました。

奈良から豊田へもgreenz.jpの記事があります。ぜひ!こちらも
“奈良で仕事をつくる”ってどうやるの?プチ起業したママに聞く特集「ママごと・しごと・じぶんごと」キックオフ対談!

堕落的な生活から、株式会社の設立へ! 奈良から豊田市へ引っ越して”ママノ輝ク場ヲツクル”、おにきりえさんの移住と起業ストーリー

その時の企業理念は「ママが自分サイズで働く場をつくる」でした。
男性社会の中で勝ち残っていく活躍の仕方ではなく、子どもたちの未来のためには、生き生きと自己実現をしていくお母さんでなかれば意味がないと思いました。
だから男性社会の色濃い製造業で何がなんでも活躍し続けるではなく、自分サイズの起業をと、ママながら起業塾をスタートしました。

ママながら起業塾15期生卒業式

eightの企業理念②「誰もが創造的で豊かなキャリアを築ける社会へ」

2015年の設立後、私は第3子を出産。正直会社が潰れちゃうかもと本気で危惧しましたが、多くの方に支えられました。スタッフさんの支え、ママ友さんの支え、家族の支えがあって、小さな企業の経営者でも産める、3ヶ月休める、ある意味それを示すことができました。家でもできるし、おんぶして打ち合わせも出れるし、お客様も寛大で本当にありがたかったです。
3ヶ月から託児所に預けることになりましたが、とてもいい先生に出会い安心して預けることもでき復帰もできました。

ただ、この時、とても残念だったのが、2人目の時は育休を2ヶ月とってくれた夫が、転職先の自動車メーカーでは全く育休を取ってくれなかったこと。
この地域はこの会社が変わらなければ、私たちがいくら頑張っても変わらない、そう強く思った出来事でした。

企業研修では、女性活躍を応援してもらうために管理職(ほとんど男性)の意識を変えるという研修も増えてきました。
そんな中で、
「男はつらいよ」ということを実感することが多々ありました。
育休取りたいけど、「男が育休なんて取れるわけがない」
本当は好きな仕事をしたいけれど、「家の大黒柱は男が担わなくてはならないから今の地位は守らなくてはならない」など、固定概念や周囲のプレッシャーを受けて生き生きしていないお父さんに多く遭遇します。

『ああ、私の夫もそういうことだったんだな』と最初はむかついていましたけれど、納得したわけです。

そして、お父さんも生き生きしてもらわなければ「子どもたちの未来のために」は実現しないぞ、と思いました。

そうした実体験を経て、キャリアモデル開発も学び、社会実装するため
「誰もが創造的て豊かなキャリアを築ける社会へ」が企業理念になります。

MaasとかCASEとかで自動車産業界では仕事がなくなると言われて久しいです。
だから「創造的で」が重要です。
仕事がなくなることを悲観するのではなく、機会と捉えて創り出せばいい。
起業支援だけでなく、副業やプロボノなど複業を支援していこうということで現在事業を展開しています。

プロボノシナジープロジェクトで、お父さんたちがキャリアモデルを創造!

すべては子どもたちの未来のために

今、戦争が起きています。私は、大学生の就活に携わって危機感を覚えました。その危機感というのは、奈良に住んで、日本の古代の素晴らしさに触れて、日本人のDNAを絶やしてはいけない、日本人が第二次世界大戦で悲しい経験をしたことも含めて、平和を心から愛する民族だから、日本人がいなくなってはいけない、としみじみと思ったのです。

五体満足、教育も受けられ、美味しいご飯も食べられる恵まれているはずの子どもたちが、大きくなって社会に出たらメンタル不調で復帰できなくなっていく、これでは日本人がいなくなってしまう、世界の平和がもっと崩れてしまう、なぜだかそんな思いに駆られました。

自分の子どもたちの未来のためにも取り組んでいますが、
なぜか縁もゆかりもない奈良県で創業した私は、勝手に日本人のDNAを絶やさないでというメッセージを受け取ったような気がして、日本の子ども達の未来のために働いているんだなと思っています。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

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