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恋愛嫌いは人間嫌いか? 〜Aセクシュアル兼スキゾイドの勘違いと自己分析〜

※2020/5/22追記
タイトルの「恋愛嫌い」「人間嫌い」という表現は、本記事で触れているアロマンティックとスキゾイドパーソナリティを表すには不適切な言葉でした。
アロマンティックは決して「恋愛を嫌っている」わけではなく恋愛対象が無い(他者に向かない)性質です。スキゾイドパーソナリティも同様に「人間嫌い」の性質を表す言葉ではありません。
自分で振り返ってみてかなり誤解を生む表現だと感じたので、ここに訂正させていただきます。適切な表現が見つかり次第タイトル修正するかもしれません。
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先回のnote「恋愛が分からない人が分からないなりに感情分析する例」を公開したのは、自分の中では結構な思い切った行動だった。もともと自分の存在が形として残ること恐怖症??なのに過去の感情を振り返って文章化してインターネット上に晒すなんて一大イベントをついにやってしまったんだもの…。情報収集ツールにしてたTwitterアカウントからイラストと一緒に投稿したら想像より遥かに反応があって驚いたし。でも匿名のおかげか案外心に負担もなく乗り越えられて良かった、ので第2段の挑戦。マイペースが1番。


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自分と社会の間にあった違和感について調べ始めて、はじめに行き着いた単語「アセクシュアル」。Twitter上でいろんな方々の活動をromって1年、はじめて自分から行動起こしてみて気づいた。ハッシュタグや検索機能でユーザーを覗き見してた頃より、具体的なビジュアルをばーんと提示してリアクションもらった今の方が、「アセクシュアル」という存在に対する多面的な意見が見つけやすい。(例えが悪いけど通販で本買うか本屋図書館に足運ぶかみたいな違いがあると思った) 気持ち悪くてすみませんがイラストにいいねリツイートくれた人とか逐一ツイート見に行ってました。
感情に賛同してくれる人、アセクシャル自称してる人、もしくはそうかもって考えてる人がほとんどだったけど、他のセクマイの方もリツイートしてくれてたり。知らなかったこと知れて、自分から発信してよかった。

以下は、反応くださった方々のつぶやき見て気をつけなきゃなと思った点と、自分の中でAセクと同等もしくはそれ以上の割合を占める「スキゾイドパーソナリティ」について。大層な書き方してるけど先回同様ただの覚書です

⑴日本語でのアセクが意味する範囲の違い
⑵子育て・パートナー有無などセクシュアル、ロマンティック以外の欲求について
⑶自分の課題その2「スキゾイドパーソナリティ」


⑴日本語でのアセクが意味する範囲の違い


⬜︎ア-セクシュアル(A-sexual)
狭義:自己の性自認に関わらず、他者に対して性的欲求を抱かない人
広義:自己の性自認に関わらず、他者に対して性的欲求や恋愛感情を抱かない人
※アロマンティック(恋愛感情を抱かない人)と対になる言葉として生まれたため、当初は「アセクシュアル=他者に対して性的欲求を抱かない人」という意味を持っていた。
⬜︎ア-ロマンティック(A-romantic)
恋愛指向を持たない。他人に恋愛感情を感じないこと、恋愛指向を持たないこと。
⬜︎ノン-セクシュアル(Non-sexual)
他者に対しての恋愛指向は持っても、恒久的に他人への性的欲求を持たない。 日本生まれの単語。海外では人を指す言葉としては使われていない。=ロマンティック・アセクシャル (Romantic Asexual)

いろいろ調べたけど、ひとまずこういうことでいいんか…な?
人それぞれロマンティック(恋愛指向)とセクシュアル(性的指向)を持っていて、頭にそれらの指向を示す言葉がつく?その言い方に従うと、自分はア-ロマンティック・ア-セクシュアル。(恋愛指向も性的指向も何にも向かない)
これを完結に伝えようとして「アセクシュアルです」と言うと、
①恋愛指向あり/性的指向なし(狭義のAセク、ノンセク、ロマンティック・アセクシャル)
②恋愛指向なし/性的指向なし(広義のAセク、アロマンティック・アセクシュアル)
③恋愛指向不明/性的指向なし(恋愛指向については言及していないA-sexual)
の3つに受け取ることが可能…。

…これをちゃんと理解してなかったのでプロフィール見に行って勝手に混乱してた。

Aセクってセクシュアル・マイノリティの中でも出会う確率低めだと思ってて、プロフに単語見つけると見つけたことが嬉しくて反射的に自分と同じ種類の生き物だと勝手に思い込んでしまいがち(あほ) 。でも、その中にはデミロマンティック・アセクシュアルの方とかリスロマンティック・アセクシュアルの方とかも沢山いて…、ああ…勝手に仲間と思ってしまったすみません勘違い恥ずかしい…と思いつつお互い頑張りましょう…と温かい目で見守ること多々ある。共有できる感情は共有すればいいけど、全てが同じつもりで話すとかなり食い違いが出るので注意しなきゃいかん。(自戒)

(同時に、AはA、××だからBと呼ぶって区別するのもデリケートで難しいと思った。カテゴライズされることによって同じ境遇の人を見つけやすくなって助けられたり、安心したりするから必要なんだろうけど、何かを括ると必ず「そうじゃない人」が生まれるから。自分が有性愛者に囲まれてずっと感じてきた疎外感は「そうじゃない側」で悲しかった気持ちだと思うし。条件全てに当てはまる属性もないだろうから、「傾向がある」「要素を持つ」あたりの言葉積極的に使って行こうかな…)



⑵子育て・パートナー有無など、セクシュアル、ロマンティック以外の欲求について


一番衝撃的で、かつ気付けてよかったこと。
「幼いころから結婚制度に(金銭面以外で)憧れた覚えがなく未来予想図にはいつも己1人だった」うえに自己肯定感バリ高で疑うことを知らなかった自分は、恐ろしいかな、Aセクというマイノリティの中でさえこの思想「結婚欲求ない」「子供を特に欲しいと思わない」がマジョリティだと信じて疑っていなかった。
そもそも自分がこうして感情を文章化してネット上に残してる根本の目的、「社会生活をいかに低ストレスで生き抜くか考えるため」「自分に出来ないことと出来ることを言語化して整理。そこから改善策を考えて計画・実行する」こと。セルフカウンセリングみたいなやつ。その中ではじめにざっくり決めた、自分が幸せになるために必要だと思う条件にも「出来るものなら結婚しない(手段として必要なら条件次第で可)」「1人で生きていく(精神的に)」「そのためにお金が必要」が含まれていて、結婚を望む人間の気持ちがまっっっったく理解できていない様子がわかる。
そして自分は恋愛欲求がないことと結婚を繋げて、結婚願望がないこともアセクシュアルっていう要素で説明がつくと思ってた。でもそれだけじゃなかった。

Aセク(ここではあえてAロマAセクを中心に言う)の方の中でもパートナーが欲しいかどうか、子供が欲しいかどうかは人それぞれだった。よくよく考えてみれば当然なんだけど、恋愛をするか・性的欲求があるかどうかと、人生のパートナーを欲するかどうかは全く関係ない。いろんなセクシュアリティの人の話を読んでみて、現代はたまたま恋愛関係→人生のパートナーっていうケースが多いだけなんじゃないかと思った。
ながーい時間を共にする他人が欲しいかどうかって、本人のパーソナルスペースの広さだったり寂しがりや(他人の愛情を欲する?)かどうかだったりが関わるんじゃないか。自分はそれが薄くて、かつ恋愛をしないだけ。そうならば「Aセクで恋愛はしないけど深い精神的交流を持つパートナーが欲しい」人がいることに矛盾は何もない。

人付き合いを欲してない、愛することができない、冷たい…Aセクに対するよくある勘違いイメージなのに、自分があまりにも人付き合いに対する欲求薄くてみんなもそうだと勘違いしてた。すいませんでした

恋愛  性行為  パートナー保持  育児


いろんなセクシュアリティの方の意見きいてて、世間一般では上記4つ全てに欲求を持って→ルートで辿るのが当然みたいになってるけど、なんでそうだと思い込んでるのかはよく分かんないなと思った。ただのアンケートみたいに欲しいものだけに○つけて実行すれば済む話だもんなとも思った。それぞれ選びたいものを選べれば楽になるのに。恋愛はしないけどパートナーは欲しい、恋愛も性行為も欲求はないけどコミュニティの中で子育てはしたい。全部普通のことだと今更思った。

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考え方雑すぎかな…


自分個人に話を戻すと、現時点で恋愛、性行為、パートナーを持つこと、育児、すべてとくに興味があるわけでも無い。(イラスト中央下のタイプ)  後半2つはそもそも精神的超接近戦を半世紀以上続けるっていう長期的人付き合いコンテンツだから、これを必要だと強く思わない要因として「スキゾイドパーソナリティ」の比重が大きいんじゃないかと思ってる。はなし。



⑶自分の課題その2「スキゾイドパーソナリティ障害」


スキゾイドパーソナリティ
他人への関心が低く欲求も乏しい、孤独が性に合っている、喜怒哀楽の感情が乏しい、周囲からの評価に無頓着、異性に関する関心も乏しい。

・家族の一員であることを含めて、親密な関係を持ちたいとは思わない。また、それを楽しいと感じない。
・ほとんどいつも孤立した行動を選択する。
・他人と性体験をもつことに対する興味が、もしあったとしても、少ししかない。
・喜びを感じられるような活動が、もしあったとしても少ししかない。
・第一度親族以外には、親しい友人または信頼できる友人がいない。
・他人の賞賛や批判に対して無関心に見える。
・情緒的冷淡さ、離脱、または平板な感情状態を示す。
アメリカ精神医学会出版『精神障害の診断と統計マニュアル』第5版(DSM-5)より
※以上7項目うち4つ(またはそれ以上)が当てはまるとスキゾイドと見なせます。


この存在を知ったのもつい最近で、とある方がTwitterでイラストと共に紹介してたものを目にしたのがきっかけ。ブログの文章も項目項目に頷くばかり、今まで誰にも共感されず言語化できなかった気持ちが全部そこにあって、自分が書いてんじゃないかって何回も思った。アセクシュアルってカテゴリに次いで、「自分これだーーーーーーー!!」ってなった言葉。こちらもめちゃくちゃ考えて活動してらっしゃる方がいるので、気になる方はお調べ頂ければと…。

順序としてAセクの次に遭遇したのがスキゾイドだったので「恋愛しないのってAセク以外にも属性あるんだ〜」くらいの意識だったけど、恋愛関係以外の日常生活で感じてた他人との価値観の不一致はたいていこれで説明できたので有り難かった。
《日常で感じてた違和感の例》
・孤独であることに安心する、寂しさを感じることがほとんどない
・他人と積極的に親密な関係性になろうとしない
・共感を必要としない、自己完結する など…
※これらは個人的に感じてたことでスキゾイドの条件とは異なります。

スキゾイドパーソナリティにとって恋愛・性行為に興味を惹かれないことは副産物みたいなもので、根本には愛情を自己完結できる(無敵感に近い)高い自己肯定感があるんかな?いろいろ本読んでるけど難しくて整理できてなくてよく分かんないから適当なこと書いてるかもすいません 
スキゾイドの精神状況としては、なんらかの原因により他者と自己の境目が曖昧→他者からの感情の影響をダイレクトに受けやすい(共感性が高い)→他者に感情を脅かされる危険(侵入不安)から逃れるため、自分の空想世界に篭りがち→自分が基準の世界、自分が最高の味方、なので他者の共感は必要ない 的な感じかと自分は解釈してるんだけど…。
他者と精神的肉体的にぶつかり合う恋愛や、物理的に深い関わりにならざるを得ない性的接触は高いエネルギーを要する危険なもの(楽しさは多少あれど消費エネルギーに対して割に合わない)、なので結果アロマンティック・アセクシュアルと言える状況になる。


そういった意味では2つの分類に共通の要素が含まれている。スキゾイドを自称する方々の中でAセクの話もたまに出るように思うけど、なんだかあまり大きな話題にはならない感じがしてそこが異なると思った。そもそも人間関係に強い執着を持たないスキゾイドにとっては、恋愛関係で誤解されて絡まれることも恋愛以外の人付き合いで誤解されることも変わらないのかな…。そうだとしたら、スキゾイドではないAセクのほうが生きるのは大変なのかな。人付き合いはしたいし深く心を通わながら恋愛関係は避けねばならない、って難しくない…?毒草のある草原で暮らす草食動物より、断食中の肉食動物のほうが安全よな…


もうなんの話かよくわかんないけど
Aセクの方々の体験談を読んでいて、よく登場する親友や理解者の人々、正直そんな登場人物がすごく魅力的に感じた。あと、自分の人生にも同じように彼らが登場する日を、心から欲することが出来ない気がして少し悲しくなった。パートナーが欲しいってなんなんだ 寂しいってどんな気持ちなんだ…。そこがきっと自分の中で引っかかってるんだと思う。原初の疑問点に戻ってきた感じ。「寂しがりやでお話ししたがりで人間と関わりたがりな人間」が生きやすく働きやすい日本社会をどうやって生き延びるか、彼等の生態模倣は可能か。


纏まらないからまとめる+今年やること(書いて追い込む)


結局のところ、Aセクにしてもスキゾイドにしても「恋愛をしない/人間関係積極的ではない」自分が寂しいとも思わないし楽しくないわけではない、これは確か。けれど持ってない何かを持っている多数が羨ましいのも事実。
一時、メンタルクリニックでカウンセリングに通ってて、はじめは過去の話をぽろぽろしたりしていたんだけど、目の前にいる頭いい診療士さんに聞きたいことがどんどん溢れ出てきて途中からはほとんど講義みたいになった。その中で「恋愛をしてみたい」と思っていたことを打ち明けたとき正直に教えてくれた。

「貴方がしたいのは他人と心を通わせること?それとも他人と心を通わせた経験を手に入れること?」

その通り、他者と心を通わせたいんじゃない、心を通わせた経験が欲しい体験が欲しい実感が欲しい、結局のところコミュニケーションではなく自分の知的興味心を満たしたいだけのこと。自分は知らないことを知りたくて仕方がないだけだった。それが良いことなのか悪いことなのかは知らないけど。
薄々気付いてるけど、自分を完全に隠して擬態して生きていくの無理なタイプな感じする。どう考えたって裏を読んだってうまくいったことないもの。なんかずっとこうやって無い物ねだりで生きていくのかなと最近思う。そうして何十年暮らしていくと、きっと最後に残るのはやっぱり恋愛と寂しさへの憧れ。なんかそれもかっこいい気がしてきたぞ
実際のところ社会適合を諦めるのはいくらでも可能だしやらない選択は簡単だけど、下衆な話そうゆうコミュニティに所属することが細々とでもライフラインつなぐから、パートナーなし社交力虚弱の民こそ参加した方が吉な気がするのでね…。引き続きちょっとずつでも方法を考え進めよう



さいきんの心得!

・自分はスキゾイド気質ありのアロマンティック・アセクシュアルである

・人付き合いを欲するようになりたいから孤独を極めてみる(たのしい)(いつか花粉症みたいに寂しさ人恋しさが生まれるかも)

・人間から得られる情報や体験、交流が欲しい(これも根っからのエゴイスティックな欲求だから憧れの共感欲求ではないけど)

・一人の時間をより深いものにしつつ他人と関わる(前年比)(既に怖い)(書いただけでストレスで心臓ザワザワする)

・自分の心地よい行動、居場所を守る。無理しない 自分に優しく!!!!!!


ひとまず上半期に今までしてた書き殴りメモをまとめて公開、アウトプットに対する抵抗をなくす。そのときの精神状態が良ければ他者の意見を取り入れて交流を図る。


正直人間付き合いほっっっっんとに苦手じゃ無いけど得意じゃなくて、酔っ払ってるときか匿名で距離がある場合しか対話できない精神引きこもり嘘つき陽気マンだから、インターネットの距離感だからこんな恥ずかしい心内書いてるだけです。アウトプットはごみ箱に捨ててるようなものだけど、相互交流は恐ろしいと思う本音がちょっとある 他者に目の奥を針でスッて貫かれて眉間の奥に鎖を繋がれてどこにいてもジャラジャラと音を立てて居場所がわかってしまう感じ そんな被害妄想を忘れるために今日も酒を飲んで正気を失う


これを感じなくなれたらもっと人生楽しいんだろうな〜!!!!わ〜〜〜


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