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生きて、いたくても――Oct#18

 それからは偶見の個人的な買いものや、ちょっとした甘味巡りなど、僕がつき合う形で色々な場所を訪れた。一人では行かないどころか、僕の知らなかった様々な過ごし方を偶見は知っていた。街には夜景の完成が近づきつつあって、同じ器に入った、比重の違う二つの液体の様に、星を含んだ紺青の下で緋の色がまだ残っている。
 ゲイム・センターがあると偶見はそこに入って、「プリクラ」を撮ろうと誘う。僕なんかはそんな化石の様なものがまだ存在するとすら思っていなかったのに、寧ろ機能はずっと新化していると言われた。化石はどうやら僕の方らしかった。
「色んな補正があってさ、加工されるんだよね。凄い変な感じ」と説明を受けたけれど、やっぱり僕には今一つ理解が及ばなかった。撮るのが早いとばかりに中へ引き込まれる。装飾もないのに妙に華やかな猫額大の空間は、僕を落ち着かない気持ちにさせた。
 偶見と並び、錆びついた蛇口のハンドルみたいなぎこちなさで、曖昧なピース・サインと共に待つ。大仰な表現にも思えるけれど、心地としては生殺しの気分だ。
 二枚目は目を瞑って撮ろう、と言う彼女の申し出にまたも僕は首を捻る。補正のオフや調節が利かない機種では、敢えて補正機能を無視する、こうした撮り方もあるそうだ。どうせ僕には何も分からないのだから、大人しく従う。 ――突然だった。
 シャッターが切られるまでの数秒間。隣の彼女が動く気配、そして僕の唇に、何か温かく、柔らかいものが触れて―― 「えっ……、な……!」
「…………」
 反射的に目を開けて飛び退くと、僕の動きに呼応したみたいに、彼女がさっと外方を向く。俯いて、何の反応もしない。気まずい様な、気恥ずかしい様な沈黙を、無情な機械が切り取る音がした。
「……あ、あの」
 よく見ると、何だか様子がおかしい。体を震わせて、くつくつと笑っている。
「……偶見」
 冷静さを取り戻して呼び掛けると、遂に彼女は吹き出した。そうして暫く盛大に笑った後、「くっ、あははっ、吃驚した?」ピース・サインを表す二本の指を閉じて横倒しにすると、その指の腹を、自分の唇に重ねる。「これだよ、種明かし。何かされたと思ったでしょ? 純情だなぁ、宮下君は」
 最初に、偶見を苗字で呼んだ時の事を想起する。こう言う方面では、からかい甲斐のある奴と言う位置づけでもされているのだろう、きっと。ああ、正しい分析だ。
「……死にたい」
「あはは、それちょっと、冗談が過ぎるんじゃない? ……ねえ」そう言って彼女は、二本の指と口元を強調した。「だけどさ、これ、間接だよ」
「え……っ」
 バネ仕掛けの機構で弾き出された様に、再び心臓が跳ねる。動揺して言葉に詰まった僕がその不体裁を取り繕う間もなく、彼女はまた哄笑した。「あーもう、本っ当に面白いなぁ。宮下君にしたのは、左手だから。安心して」……思う壺だった。恥じ入るくらいに単純だ。奇異に昂ったアナウンスが響いて、またおかしなシーンを記録する。
 数回の撮影を終え、筐体外部の取り出し口から偶見がシートを取る。気が済んだのか、彼女は出入口へ向かい、僕はその後に続く。既に夜景は仕上がっていた。
「流石にそろそろ帰ろっか。つき合わせちゃって、ごめんね」
「……ううん、全然。寧ろ、今日はありがとう」顔を背けながら言う。まだ恥ずかしい。
 僕たちは同じ駅の、違う電車に乗る。荷物は全て、僕が預かる事にした。思い入れのある方が、僕の感情をより吸収してくれそうだったし、僕もこの代行者に対して信頼を抱ける気がした。何となくだけれど、アートにとってちょっとした拘りは中々に大事だ。
 荷物を床に置き、心地よい疲れの重みだけを自分の胸に抱き止めて、残り全ての質量を座席に預ける。この駅は始点だから、まだ空席が目立っていた。
 暫くして、電車が動き出す。一駅も移動しない内に、偶見からメイルが届いた。
〈次は宮下君の番。いつでも、どこでもいいから、どっか行きたい所決めといてね〉
 返信の内容を考え、入力、確認している間に、乗り換えの駅に到着してしまった。結局すぐに浮かぶアイディアも特になく、「決めておくよ」で済みそうなのに長々しくなった文面を、自分なりに整えて送る。そうして彼女の顔を思い浮かべると、ふと、唇にあの時の感触が蘇った。瞬間、鼓動が変わる。心臓を裏側から小人に叩かれているみたいに、小気味よくリズムを刻む。その中で同時に生まれた、感情なのか、現象なのか、名状しがたい何かを荷物と一緒に持って、扉の前に立つ僕の体は心臓の弾みで電車を降りる。

 自室に着くと、すぐに袋の中身を取り出した。数セットの紙コップと、何の変哲もない折り紙、そして、気取った容器の外国産の塩を、机の上に整列させる。復讐の為に用意された道具だけれど、そんな禍々しさなどなくて、寧ろ楽しかった今日一日の事を明々と思い出す。
 僕はここに、願いを込めて行く。復讐と混合された、願い。
 今日みたいな日を、この先に、僕の未来に。
 別れ際に彼女から貰った、小分けの画面で埋め尽くされた一枚のシート。それを構成する中で、硬直した僕と大笑する彼女を捉えたものは、美しくも素晴らしくもないけれど、今まで見て来たどんな写真芸術でも撮り得ない最高の作品だった。
 目まぐるしくて、知らない事だらけで、何より楽しい彼女との時間の、
その一瞬でも切り取って残せるのなら……あんな機械も、悪くない。


(一〇月 了)


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