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【建山義紀】テキサスで躍動したサイドハンド 日米ともに常勝軍団に在籍する運命に導かれ、痺れる場面で颯爽と現れては伝家の宝刀スライダーを操りピンチの火を消す仕事人

おはようございます。
世界で戦うために、海を渡ったサムライたち。
今回は、建山義紀さんを取り上げていきます。

https://www.youtube.com/watch?v=pQ-7tLnM0wI&t=38s

本塁打王にも輝いた西武ライオンズの
中村剛也など
多くのプロ野球選手を輩出し続ける大阪の
名門ボーイズリーグに中学時代は所属し、オーバースローの
6番手ピッチャーでしたが、
サイドスローに変更すると、その才能が一気に開花。

進学した東海大仰星高校でも同級生の上原浩治を抑えてエースに君臨、
卒業後は専門学校を経て松下電器に入社します。

都市対抗野球でチームのベスト4に貢献する
好投を見せた事でプロ注目の投手となった1998年。

日本ハムファイターズからドラフト2位指名を受け
入団するとプロ入り1年目から先発ローテーションに定着、
防御率2.89の安定感で6勝を挙げるなど
即戦力として活躍しました。

1勝ごとに1万円をヤンバルクイナ保護施設に寄付する
活動を行っていたため、
募金箱に6万円を投入しましたが、突然、募金箱に
大金が入ったと施設は騒然となり、
警察に届けようと騒ぎになった事があったそうです

2002年からは中継ぎに転向、
短いイニングに専念した事でストレートの球威が増加し
鋭いシンカーとスライダーも効果を発揮した事で
リリーバーとしてポジションを確立すると
プロ初セーブを挙げるなど
45試合に登板して防御率2.29の好成績を残しました。

2003年はチーム事情から抑えを任されると、
防御率2.17、15セーブを記録、

翌2004年は、ストッパーの横山道哉(よこやまゆきや)に繋ぐ
セットアッパーとして、41試合に登板し防御率2.33、
リーグ最多の13ホールドを挙げ、最優秀中継ぎ投手にも
選ばれました。

3年連続防御率2点台前半の安定した内容は
最優秀救援投手に輝いたストッパーの横山とともに
タテヨココンビと称され

2006年には、武田久、岡島秀樹、
マイケル中村らと、
リーグ屈指の強力リリーフ陣カルテットを形成、
自己最多の46試合に登板し、チームのリーグ優勝
ならびに日本一に貢献したのです。

2008年も23ホールドを記録、2010年にも宮西とともに
セットアッパーとして58試合に登板して
チーム1位の26ホールド、防御率1.80の自己最高成績で
シーズンを終えると
同級生の上原や同期の川上がメジャーでプレーしている姿に
触発されたと海外FA権を行使、ついに
メジャー挑戦の機会を手に入れました

日本の契約より金額は下がりますし、お金は
欲しいですけど、リスクがあっても
アメリカで野球をしたいんです。マイナー契約でも構わないし
希望球団も全くありません。と海を渡ります。

早い時期から入念な調査を続け、スカウトが
30試合以上も視察に訪れていたアリーグ西地区の強豪
テキサス・レンジャーズが獲得の意思を固めると、
2010年11月30日、1年80万ドルで契約を締結し
傘下の3A(トリプルエー)ラウンドロック・エクスプレスに
所属、夢の第一歩を踏み出したのでした。

キャンプ地アリゾナの真っ青な空の下、
メジャー屈指の充実した施設で汗を流す
プロ13年目、35歳の建山は、新鮮で刺激的、
とても興奮していますと目を輝かせ、

2月27日のロイヤルズ戦で、オープン戦初登板、
マダックス投手コーチからも認められたそのピッチングで
1勝0敗1セーブ、防御率2.14、という好成績を残し、
メジャー昇格を勝ち取ったのです。

マイナーではナイターが終わった後、朝の3時半に起床して
レンジャーズの本拠地から車で2時間のマイナー球場を出発、
3段ベッドで天井までは15センチくらいの寝台バスで
12時間移動して4試合、さらに10時間かけて次の試合に
移動するなんて当たり前、

食事はピーナッツバターを塗った食パン2枚だけ
食べて登板したり、ハンバーガーリーグとも呼ばれて
いるように、毎日ハンバーガーで食事を済ませる
選手も多いタフな生活でしたが、

やってみると意外と乗り越えられた。自分の中で無理だ
という先入観を壊すことができたのは新鮮な体験でした。

と、メジャー昇格が決まった瞬間、
用意された飛行機のファーストクラスに乗り込み
わずか30分で本拠地アーリントンまで移動したそうです。

5月24日のシカゴ・ホワイトソックス戦で
メジャー初登板を果たすと、4日後にはメジャー初セーブ、
6月21日にはメジャー初勝利と安定した投球を続け、

女房役のトレアルバ捕手は、仕事に臨む姿勢が素晴らしい。
どのイニングだろうと必要な時はいつでもマウンドに立って
ストライクを投げてくれる。頼りになる男だ。と
23戦で10度登板していたタフネスぶりを賞賛しました。

7月4日には、なんとオリオールズから高校の同級生、
上原浩治が移籍してきて、アーリントンの外野の片隅で
試合前に力強く抱擁を交わすと、チームメイトとして
共にプレーオフ進出に貢献。

デトロイト・タイガースとの
リーグチャンピオンシップ第3戦にも登板を果たすなど
1年目からポストシーズンも経験したのです。

2年目となる2012年には、
建山のおかげで日本流の調整や文化も勉強できたから
日本人、大歓迎だ、とマダックスコーチの言葉通り、

今度は日本ハムの後輩で、5年連続防御率1点台の
日本人最強ピッチャー、ダルビッシュ有も合流。
3人の日本人投手でワールドシリーズ制覇を目指しました。

するとその翌年の6月、突然、監督室に呼ばれると
ヤンキースにトレードが決まったからすぐ行け、と
引っ越しの準備をし、翌日の朝、飛行機で移動。
手続きやらフロントへの挨拶を済ませ練習に合流した
翌日にはヤンキースの一員として登板したのでした。

ニューヨークではイチロー、黒田博樹、
そして鳴り物入りで移籍してきた
田中将大とチームメイトとなり、
次元の違うところにいる3人から、
いいものを勉強させてもらいたいと思います。

日本ではトレードというとネガティブな感じがしますが
アメリカでは逆にチャンスと捉えます。
ヤンキースは名門中の名門で移動時のドレスコード一つとっても
レンジャーズ時代のジーンズにシャツとは違い、
必ずスーツと決まっているような伝統あるチーム、
チームメイトや関係者からは、おめでとう、という
お祝いの言葉を受けました。と、

トリプルエーでは、日本にも来日したウィーラー選手と
一緒にプレーしながら防御率1.70の好成績を残しました。

日本の高卒ルーキーは生活に困らないだけの年棒と
寮や食事まで球団が手配してくれますが、
メジャーの下にあるマイナーリーグはAAA (トリプルエー) 、AA(ダブルエー)、
アドバンスドA(エー)、クラスA、ショートシーズンA、
ルーキー・アドバンスド、そして一番下にルーキーリーグ。
まであり、コンビニでバイトしたほうが良いくらい
給料が低いうえに、クビになると、その日以降のお金は
一切カットになります。

アメリカの野球はとにかく合理的で、フロントでも
有能な人が欲しければ選手とトレードしたり、
カンザスシティ・ロイヤルズの5ヶ年計画のように
ここから5年勝てませんが、その間にチームづくりをしますと
宣言したり。マイナーでもどんどん必要ないと
判断すればクビをきられる環境でした。と、

アメリカ野球を経験した翌2014年6月、
阪神タイガースに入団が決まり帰国の途につきました。

7月29日に日本球界復帰後初登板を果たしましたが
今年限りで現役引退を表明、その後は
北海道放送の解説者や侍ジャパンの日本代表投手コーチを
務めるなど、野球界の発展、後進の指導に尽力しています

躍動感のあるサイドスローから切れのいい最速148キロの速球を
見せ球に、ブレーキの鋭いカーブ、ナチュラルに変化するシュート、
スライダーとシンカーを左右に投げ分けるウイニングショットで
メジャー通算奪三振率9.00と非常に高い数字を誇りました。

特にダルビッシュ有から球界最強と言われた
スライダーは110キロから130キロまで緩急を自在に操り、
全投球の51パーセントをスライダーが占める事もあるほどで
対右打者の通算被打率は1割9分2厘と圧倒的な武器でした。

野球界のスーパースター、アレックス・ロドリゲスには
自由にスイングをさせず、
首位打者にも輝いたメジャーリーグを代表する
完全無欠のスラッガー、
ミゲル・カブレラも打ち取るなど、

ゲームの流れを左右する場面でランナーを背負っての
登板は、やり甲斐を感じます。特に右バッターには
絶対に打たせないと思っていますし、
それが自分の役割だと考えています、と語りました。

明石家さんまさんからホンマにメジャーリーガーかと
驚かれるほど、178センチ、75キロのスマートな体型に
ワイン通で博識な銀行員のような雰囲気でありながら
誰よりもリリーバーとしての仕事に誇りを持ち、
ここという勝負どころに全精力を注ぐサイドハンド職人、
テキサスの右殺し、建山義紀。

いかがでしたでしょうか?

これからも海を渡り、世界で戦った
偉大なサムライたちをご紹介していきますので
是非ご登録よろしくお願いいたします。

ご視聴ありがとうございました

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