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【ジェームス・ピータース】メジャー未経験ながら横浜にやって来た俊足強肩の外野手は遠投110メートルの守備でチームに貢献するも大砲を欲していた球団とズレが生じてわずか1年で帰国した助っ人

おはようございます。
日本で戦うために、海を渡ってきた
愛すべき助っ人たち。

今回は、ジェームス・ピータースを
取り上げていきます。

【ジェームス・ピータース】メジャー未経験ながら横浜にやって来た俊足強肩の外野手は遠投110メートルの守備でチームに貢献するも大砲を欲していた球団とズレが生じてわずか1年で帰国した助っ人 - YouTube

1953年、アメリカ合衆国カリフォルニア州に
生まれた本名ジェームス・グラント・ピータースは
サンベルナルディノ高等学校を卒業すると
俊足強肩の外野手として
マイナー球団ソルトレークシティーに入団しました。

メジャー経験はなかったものの
遠投で110メートル投げる左打者がいるとの
情報を聞きつけた横浜大洋ホエールズから
日本行きのオファーを受けると
身長190センチ、体重81キロの助っ人は
海を渡って来たのです。

黒人選手特有の長い脚にスラリとしたスマートな
体形と、ギョロッとした目が印象的な28歳の若者は
6番、7番あたりを任されると
一発長打は無かったものの、広い守備範囲と
シュアなバッティングで活躍、
1年目の1981年は123試合の出場で
打率2割7分3厘、15本塁打、40打点に8盗塁と
まずまずの成績を残しました。

特に8月6日の阪神タイガース戦で放った
代打満塁ホームランは残留を勝ち取るのに
十分すぎるインパクトを首脳陣に与えましたが
もっと長打が期待できる大砲を求めていた
横浜球団は翌1982年、
中国系アメリカ人のマイケル・ラムに
マーク・ブダスカという2人のメジャー経験者を
獲得した事からピータースは第3の外国人となったのです。

「それなら実力で勝負してやる」と1月の合同自主トレから
積極的に参加し、高いモチベーションを見せましたが
1軍に上がれず、何とか出場機会を得ようと
強肩を生かして投手コンバートを
志願するなど模索しましたが実る事は無く、
帰国後はメキシカンリーグで2年間プレーしたのち
静かにユニフォームを脱いだのでした。

2軍では33試合の出場で打率3割1分3厘、4本塁打、14打点と
一定の成績を残していた助っ人は
愛車、日産サニーで横浜スタジアムにやって来ると
大好きな日本のスイカを頬張り
チームメイトが「いい奴だった」と口を揃える
ハマのピーちゃんこと、ジェームス・ピータース。

いかがでしたでしょうか?
これからも海を渡り、日本に衝撃を
与えてくれた最強の助っ人たちを
ご紹介していきますので
是非ご登録よろしくお願いいたします。
ご視聴ありがとうございました

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