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FGO浮世絵を描こうとした経緯

前回に続き、Twitterでいただいたお題になります。

こちらの作品は5年前に描いたものでして、前提としてわりと昔から東洋的な描き方が好きだったというのがあります。平面的で、事実よりも理想を反映するかのようで、そして線にこだわった描画というのが東洋的だなと勝手に思っているのですが、たとえば浮世絵や日本画に限らず仏像にもみられる「柔らかなライン」が自分にとって非常に魅力的でした。

余談になりますが、学生の時に開催していた東京国立博物館の「国宝 阿修羅展」に、私も講義をサボって覗きに行ったんです。休日になんて行ったら見られるものも見られないと思いまして。仏ガールという言葉が登場した時期でもあったかと思いますが、それより以前からわりと興味があったため何冊か仏像関係の書籍を持っていたんですね。そんなだからいざ実物を見るともう興奮してしまって。興奮もそうですが、見とれたという方が正しかったかもしれません。立体から線を起こすというのが好きな私は、携帯していた小さなメモに一心不乱に部分的な模写をしていました。すると警備員さんに「何を描いているかちょっと見せてください」と声をかけられて。ドキリとしたのをよく覚えています。警備員さんによれば、撮影だけでなく美大生などによる写生もNGだったらしいです。しかし実際には私にしかわからない萌えポイント(しかもかなりマニアック)をぐちゃぐちゃと描いただけでしたので、お咎めなしでした。懐かしい。


話を戻しますが、本来自分が得意とする絵柄と商業的なキャラクターを組み合わせた作品は「戦国大戦」のイラストコンテストで賞をいただいて以降、描かなくなります。というか先日の記事でも喋ったように、「自分にイラストの仕事は向いてない」と痛感したり就職したりでそもそも描く絶対量が落ちてました。そういう状況下のため、浮世絵風のファンアートを描こうという発想にももちろんなりませんでした。

それからしばらくは世間に公表できるような作品はろくに描かない生活が続いたのですが、ひょんなことをきっかけにFate/Grand Orderをプレイし、見事沼に嵌まることとなります。しかし、それでもしばらくは浮世絵風に描こうとは全く思っていませんでした。そもそもFGOで活動を開始した時点では、思いのほか自分がインターネット上の同人浦島太郎になってしまっていたこともあり、まずは流行の絵柄についてリサーチしたり、キャラクターやストーリーを掘り下げたりすることでいっぱいいっぱいだったんです。それらを並行しつつではありますが、FGOを始めて1年くらいは、久々に味わう二次創作の楽しさにどっぷり浸かっていました。寝る間も惜しんで取り組む、というのは他の娯楽でも経験がありましたが、やはり自分に関して言えば同人に勝るものはないなと改めて思いました。

はじめの1年の間、漫画とイラストを同じ割合で描いていたんですが、描いていくうちにそれなりに悩みというか、課題も生まれます。これは同人(趣味)のいいところの一つですが、「流行に乗るか」「独自路線でいくか」といったことは自由に選択することができます。自分さえ満足できれば好きにする。漫画については今回触れませんが、イラストの方では、FGOで描き始めて1年くらい経ったころから結構迷いが出始めました。ツイッターを眺めているだけでもの凄いファンアートがバンバン流れてきます。既存のキャラクターの魅力をお借りして成立しているのがファンアートなわけですが、それらの共通点は、ベースとなる魅力と作家さんの色が相乗効果を生み出しているということでした。

イラストについては、浦島太郎からの復帰が精いっぱいで自分のスタイルが確立しているとは言えないと自覚していたため、ついに自分の課題に向き合うタイミングが来たなと思いました。そこへさらにやってきたのが「葛飾北斎実装」。これはもうやるしかないと思い、その時年末年始で実家に帰っていた自分は、買ったばかりのiPadで夢中になって描きました。寒いしベッドの上だし深夜~早朝にかけての作業だったしで作業環境としては最悪でしたが、アドレナリン出まくってました。ブランクはあったものの、自分に染みついた手癖がまだ残っていたこともあり、わりとすんなりと描き上げられました。今見返すと当然拙い部分はあるんですが、その時は深夜テンションと寝不足でいい具合に判断できなくなってたので勢いでアップしました。受けたらうれしいけど、まあ受けなくても自分は満足して愛せると思えたことが一番でした。

といってもやっぱり反応が気になってしまう人間なので、想像以上にツイッターでは受け入れていただけたのはまさに僥倖ってやつです。浮世絵”風”(未熟という意味で)というだけでオリジナリティがあるとは思っていませんが、少なくとも自分がストレスなく自然に描けるという点において、スタイルと言ってもいいのかなと思っています。一方で、浮世絵風だけでやっていこうとも思ってはいません。今となっては模索するのも楽しいですし、そういう中で蓄積したものをまた組み合わせていくことが本当の意味でのオリジナリティに繋がると信じています。