原始共産制について

 「原始共産制」の説は今でも根強く支持されているのだろうか。

マルクス主義者あるいは共産主義者たちの失敗の源は、人間の原始の状態を共産社会=支配・被支配関係や貧富の格差のない状態と考えたことにあるのではないだろうか。

 かつてそのようなユートピア的な状態があったと考えるから、いつかまた同じようなユートピアに戻れると考えるのだろう。

 人間と猿の祖先が共通だとする進化論の説が正しいとすれば、そして猿たちの社会が、ボス猿が他の猿たちを支配、抑圧する不平等なものであることを考えるとすれば、人間の太古の状態も力の強い者が他の者を征服、支配する不平等な社会だったのではないだろうか。

 原始共産制説の根拠の1つは、原始の時代においては権力者を埋葬した王墓のようなもの(そしてその中に添えられた権力者の富を象徴する財物)がなかったことにあるらしい。

 だがこれは、権力者や支配者がいなかったことを示しているのではなく、権力者を埋葬する風習、墓の中に権力者の財物を一緒に埋める風習がまだなかったことを意味しているだけなのではないだろうか。

 太古から人間の社会は不平等で、力のある者が他者を支配、抑圧している状態だったのなら、共産主義者たちは、人間にはつくりだすことのできない理想の社会を追い求めているだけだといえる。

 だが、猿たちの中には支配・被支配関係のない比較的平等な社会を営んでいるものもいるそうである(このような猿を「共産猿」と呼んでおく)。

 これから述べる説は、科学的には何の根拠もない想像にすぎないのだが、もしかしたら人類というのは「ボス猿」の祖先と「共産猿」の祖先が交配した結果生まれたのではないだろうか。

 人類は「ボス猿」の祖先の遺伝子をつよく受け継いでいるため、その社会から力による支配がなくならず、力のある者への憧れを抱く人たちも多くいる。

 一方、人類へと受け継がれた「共産猿」の祖先たちの記憶が、「原始共産制」への郷愁、そして失われたユートピアを求める思考をもたらしているのではないだろうか。

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