「文芸誌」における需要と供給のバランス

・ブログに2010年11月8日公開した文章の転載
 
以下の文章は元々は90年代半ばに書いていたものなので、現時点では内容がかなり古くなっています。
 
 
”「文芸誌」は二重の意味で需要と供給のバランスが悪いだろう。
1つめは、読者の数(需要)と出版社・編集部側の売りたい数(供給)の関係で、需要の方が少なすぎるというバランスの悪さ。
(90年代中頃には、文芸誌の売上とその雑誌が募集している新人賞の応募数がほぼ同じという話がちょっとした話題になっていた。)
2つめは、出版社・編集部側の書き手に対する需要と、書き手側の供給の関係で、出版社・編集部の要求をみたす書き手の供給量が不足しているというバランスの悪さ。
(書き手側の供給の少なさは、人数の少なさというよりも売れる書き手が少ないという意味に解釈した方がいいかもしれない。)
 
 
このバランスの悪さを、単純に経済的な合理性だけから考えれば、各出版社が1誌ずつ「文芸誌」を発行しているという現状を改善し、各出版社が協力して1誌か2誌、非常に質・密度の高い「文芸誌」を出版すれば、状況は少しずつ好転していくかもしれない。
 ただ、雑誌ごとに独自のカラー(あるいは文化や伝統といえるもの)があるから、それらを無視して経済合理性だけから文芸誌を統合するという考えは賛同がえられないだろう。
また、文芸誌の赤字は、単行本の売上でカバーしているそうだから、この案を実施した場合、売れる作家の本をどこの出版社から出すかで揉め事がおこる可能性もある。
それに、雑誌の数が減ると作品を発表する場所も減るから、多くの作家が開店休業状態に陥る可能性もあるだろう。
だが、出版社の経営状態が悪くなり、赤字の雑誌を発行し続ける余力がなくなれば廃刊・休刊に追い込まれる雑誌が増えるだろうから、余力のあるうちに対策を講じたほうがいいのではないだろうか。”
 
 
などということを15年近く前に考えていたが、その後出版不況が深刻化して、こんな冗談半分のアイデアを言っている余裕もなくなってきたのかもしれない。
言論誌・総合誌などは、多くの雑誌が廃刊・休刊に追い込まれたが、文芸誌の方は大丈夫なのだろうか。
雑誌だけではなく、出版社自体がなくなるかもしれないとこまできてたりして……。
 
 
漫画家で、4人位がチームをつくり作品を発表している人たちもいるみたいだが、小説も同じような制作方式にしちゃえばいいんじゃない。
アイデアを出す人、執筆する人、広報担当としてメディアに出る人。
広報は芸能人としての魅力・人気のある人に担当してもらい、バンバンメディア露出して話題作りをしてもらう。
どんなに質が高くても、話題にならない作品は存在すら知られず読まれさえしないのだから、もう何でもありでいいんじゃないか。
でも、小説は漫画ほど売れないから、複数で1つの作品を作ると一人あたりの取り分が少なくなり生活出来ないおそれがあるか。
それに、文学や小説のコアな読者層はやらせや仕掛を嫌悪する人が多いだろうから、本を買ってくれる重要な客層が離れてしまい、結局は出版社が自分で自分の首を絞めることになりかねないけれどね。
  
 [追記]2011年4月26日
後半部分は、水嶋ヒロのポプラ社小説大賞受賞のニュースを聞いて書いたものです。

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