ラッシャー木村が好きだった

・ブログに2011年7月11日公開した文章の転載

小学生の頃、一時期国際プロレスにはまったことがある。場末という言葉が似合う、そこはかとなく漂う哀愁感、洗練されているとはいえないが、強烈なレスラーたちの個性に痺れたものだった。当時はグレート草津とマイティー井上が好きだった。

中学生の頃、全日本プロレスと国際プロレスとの対抗戦(交流戦?)があり、かつて国際プロレスのファンだった者としては、エースとして出場したラッシャー木村をひそかに応援していたが、ジャイアント馬場とは力の差をみせつけられての不可解な結末だったし(リングアウト負けだったはず)、ジャンボ鶴田とはたしか引き分けだったような気がした。

確かな記憶ではないが、中学時代には既に国際プロレスのテレビ中継は終わっていたような気がするし、それ以前に国際プロレス自体にはまっていたのも一時的なことだったので、それ以後高校三年の秋まで、プロレスとは縁のない生活を送っていた。

中学時代、同じクラスのプロレスファンが「猪木とタイガー・ジェット・シンが~~」とか「藤波辰巳が~~」とか話していたのを耳にしていたので、レスラーの名前だけは知っていたが、新日本プロレスは一度もみたことがなかった(家族が裏番組の「太陽にほえろ」を観ていたせいもある)。
全日本プロレスの方はたまにみていた(土曜の8時から夕方に放送時間がかわっていたはずである)。ドリー・ファンクJrはルックスもプロレススタイルも好みだった。

プロレスにはまるきっかけとなったのは1981年秋、アントニオ猪木とラッシャー木村の一騎打ちが行われたときである。昔よくみていた国際プロレスへの懐かしさからみる気になった。
国際プロレスが潰れたということは、その時知ったはずだし、猪木と木村の一騎打ちの1カ月ほど前に、有名な「こんばんは事件」があったということは、その後雑誌をみて知った。

試合の内容は、満足のいくものではなかった。両者の力量がありすぎて、試合内容自体もいいものではないし、木村の良さも全くみることができなかった。中学の時みた馬場と木村の試合を思い出し、ああ、馬場・猪木と木村の間には超えることのできないプロレスラーとしての格のちがいがあるのだな~と悲嘆にくれたものだった。

ただ、この試合をみたのがきっかけとなり新日本プロレスにはまることとなる。応援するレスラーは、昔のよしみであいかわらず国際軍団の三人(ラッシャー木村、アニマル浜口、寺西勇)だったが、新日本プロレスの試合自体が充分魅力的で、レスラーの好き嫌いに関係なく毎回夢中になってテレビにかじりついていた。タイガーマスクブームが起きていたのもその頃で、特にタイガーのファンではなかったが、試合そのものは熱中してみていた。
プロレス雑誌もよく立ち読みし、半年たつ頃には知識だけはいっぱしのプロレス通になっていた。

木村の試合に関しては、猪木との絡みではまったく良さがでていなかった。猪木が格のちがいをアピールするかのように木村の攻撃をすべて防ぎ、エンターテインメントを無視した試合をしていた。村松友視の書いた「例のマイク事件で木村に怒りを感じていた猪木がわざとサディスティックな試合をしていたんだ」という記事を読んだことがあるようなないような。

ラッシャー木村は、アントニオ猪木との試合はスイングしていなかったが、藤波辰巳と絡んだ時は非常にいい動きをしていた。スピード、テクニックとも両者とも見応えがあり、なぜ猪木との絡みでこうした動きをみせてくれないのかと不満に思った。木村と藤波は結構相性が良かったのかもしれない。ただ両者の絡みはタッグマッチばかりで、シングルマッチはみなかったような気がする(テレビ放映しなかっただけか、マッチメーク自体なかったのかは不明だが)。
ラッシャー木村は、マスクド・スーパースターに一本負けしたりと成績そのものは、特に目立ったものはなかった。むしろレスラーとしてはアニマル浜口の方が感情移入できる熱い試合をみせてくれた。

自分がラッシャー木村を好きだったのは、その佇まいや存在感だった。どんな過酷な状況にも不満を漏らさず、黙々と自分の仕事をこなす姿に、日本の古き良き父親像というものを勝手にかさねあわせていたように思う。特に、才能は人一倍あるが同時に野心家であり自己顕示欲もつよく、自分の目的達成のためには平気で人を踏みつけそうなイメージのアントニオ猪木と比較すると、木村の実直そうなキャラクターに一層惹かれるものがあった(ただし、村松友視の本によると、ラッシャー木村は見た目のイメージとはちがい、バッグ集めが趣味のお洒落な一面があったとか)。

それと、自分がラッシャー木村が好きだったもう一つの理由は、なんとなく自分の父親に雰囲気が似ていて他人のような気がしなかったからかもしれない。
そんな父も何年か前に他界し、ラッシャー木村ももうこの世にはいない。

補:1年ちかく前、ラッシャー木村死去のニュースを聞いたときに下書きを書いたままほったらかしにしていた文章をUPしました。

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