言葉についての雑考・その3「大東亜戦争・太平洋戦争」

5ちゃんねるをみていたら、X(旧ツイッター)上で「大東亜戦争」という言葉の使用をめぐってレスバトルらしきやりとりがあったとあった。
「大東亜戦争・太平洋戦争」の呼称をめぐっては、自分も10年以上前、ブログに記事を載せたことがあったので、noteにも再録しておく。

「大東亜戦争」と「太平洋戦争」の呼称をめぐって

・ブログに2010年8月31日公開した文章の転載

 日本が1940年代に連合国と行った戦争に対しては「太平洋戦争」と「大東亜戦争」という2つの呼称がある(数年前に岩波書店から出版された本では「アジア太平洋戦争」という言葉が使われ、学者の中にはこの呼称を使っている人もいるが、一般には浸透していない)。

 「太平洋戦争」という呼び方に否定的な人は、おおざっぱにわけると2種類いる。

1つは、アメリカの占領政策に批判的な考えをもっている人。

「太平洋戦争」という呼称自体が、元々はアメリカの占領政策の一環として日本人に強要されたものらしいので、反米感情をもつ人やアメリカへの従属状態を脱したいと考えている人の中には、「太平洋戦争」という言葉を使うことを拒否している人が多い。

 もう1つは、日本の行った戦争を肯定している人たち、あるいは軍国主義時代の日本に肯定的な感情を抱いている人たち。

この2つは矛盾するものではなく、「太平洋戦争」という呼び方を否定して「大東亜戦争」という言葉を使用している人たちには、上記2つの考えを両方もっている人が多い。

 一方、「太平洋戦争」という言葉を使っている人は、「大東亜戦争」という言葉に軍国主義的なイメージを感じ、それへの嫌悪感から「太平洋戦争」という言葉を使っている人が多い。

 といっても、1940年代から60年代にかけて、この2つの言葉がどのようなイメージをともなって使われていたのかは知らない。

だが少なくとも、私が小学生になった70年代には、「”大東亜戦争”という言葉は、日本の行った戦争や軍国主義時代の日本を肯定・讃美している極右・国粋主義者たちが使用している」という印象がつよかったので、多くのリベラルな思想や価値観をもっている人たちは、この言葉に対して拒否感や嫌悪感をもっていた。

 右派の中には、「戦後の日本人は、アメリカに洗脳されたから”太平洋戦争”という言葉を使っている」と主張している人も少なからずいるが、実際には日本の行った戦争や戦前の日本を擁護している人たちが「大東亜戦争」という呼称を使っていたので、その言葉が使用されなくなっただけだろう(少なくとも70年代以降に関しては)。

 「アメリカの占領政策を肯定するか否定するか」「日本の行った戦争を肯定するか否定するか」「”太平洋戦争”と”大東亜戦争”、どちらの呼称を使うか」という観点から、いくつかのタイプに分類できる。

*注意 ここで言っている「アメリカの占領政策を肯定するか否定するか」とは、占領政策全般ではなく、「太平洋戦争という呼称を強制した政策」に限定しています。

1・太平洋戦争使用派-「アメリカの占領政策を肯定」「日本の行った戦争を否定」

2・太平洋戦争使用派-「アメリカの占領政策を否定」「日本の行った戦争を否定」

3・大東亜戦争使用派-「アメリカの占領政策を否定」「日本の行った戦争を否定もしくは肯定しない」

4・大東亜戦争使用派-「アメリカの占領政策を否定」「日本の行った戦争を肯定」

 1970年代以降、大多数の日本人は1か2の立場から「太平洋戦争」という言葉を使用してきた。

そして右派・保守派の一部(または多く)が4の立場に立って「大東亜戦争」という言葉を使用してきたと言える。

 呉智英などは、「戦争への評価と、(太平洋戦争・大東亜戦争の)言葉の使用は分けて考えるべきだ。」という考えのもと、「大東亜戦争」という言葉を使い続けてきた極少数派の人といえる。

(「大東亜戦争」という言葉を使用している理由が、「”太平洋戦争”という呼称を強制したアメリカ」への批判的な考えからなのか、それとも別に理由があるのかはよく知らない。)

 なお、新書館から発行された「日本思想史ハンドブック」の中でも、3の立場から「大東亜戦争」という言葉が使用されていたから、徐々にではあるが3の立場の人が増えてきているのかもしれない。

 冒頭でふれた「アジア太平洋戦争」という呼称も、「”太平洋戦争”という呼称を強制したアメリカの姿勢」には否定的だが「大東亜戦争」という言葉は使いたくない、そのために「太平洋戦争」でも「大東亜戦争」でもない呼称を使っているのではないかという気もするが、正確なことはわかりません。

 ちなみに自分自身は2の立場から「太平洋戦争」という言葉を使用している。

「太平洋戦争」という言葉の使用をアメリカに強要されたことに反発する感情も理解できなくはないが、「大東亜戦争」という言葉には戦前の国家主義や軍国主義の匂いがぷんぷんと染みついているような気がしていて(特別な場合を除いては)使用する気になれない。

現時点での感想

冒頭に述べた旧ツイッター上のやりとりに関しては、日本の行った戦争を肯定しているわけではないが、なんらかの理由で「大東亜戦争」という言葉を使用した人に対して批判や非難がおこったためにレスバトルが生じたらしい。

閣僚とかが、大東亜戦争という言葉を使用すると、外国から非難や批判がおこる可能性があるから、外国と余計な摩擦をおこさないためには、公職に就いている人は、大東亜戦争という言葉の使用を避けたほうが賢明ではあろう。

ただ、差別語や侮蔑語でないのなら、どのような言葉を使うかは個人の自由だから、大東亜戦争という言葉の使用を非難する人たちは、表現の自由に対して硬直した考えをもっているのだろう。

アンケートや世論調査の結果をみたわけではないから正確なことはわからないが、「大東亜戦争・・太平洋戦争」を肯定的に評価している人の数は、1980年代までと比べて増えているのかもしれない。


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