アメリカ人が銃を手放さない理由

○ブログに2010年7月7日公開した文章の転載
 冒頭のラジオ放送は、2010年6月頃のものです
 
 
TBSラジオDigでパーソナリティの神保哲生が、アメリカで銃の所持規制が受け入れられない理由を話していた(6月後半か6月末の放送だったと思う)。
そこでは、革命権、市民の抵抗権の観点から理由を説明していた。
政府が権力を不当に行使した場合には、市民は革命をおこして現行の政府を倒し、より良い政府をつくる権利がある。そのために、市民が武器(銃)をもつ権利を保障しなければいけない、とアメリカ人は考えていると神保氏は説明していた。豊臣秀吉の「刀狩」との比較も話していたような気がする。
「市民の抵抗権を保障するために、市民の武装権を認めるべき」といった主張は丸山眞男もしていた、と何かの本で読んだような気もする(多分、水谷三公の「丸山真男」[ちくま新書]だったと思う。ただしその本では、憲法9条を擁護し国家の武装放棄を主張した丸山が、市民の武装化は認めるのはおかしいと書かれていたはず)。
番組で神保氏が説明していた説は、学者の間では主流となっている考え方なのかは不勉強にして知らない。
 
 
私自身は、次のような考え方をもっている(岸田秀が同様の主張をしていた気もするが)。
先住民を暴力によって追い出して新しい自分たちの国や社会を作ったアメリカ人は、あらたな侵略者によって自分たちが住まいを追い出されるのをおそれているのだろう。
アメリカ人が所持している銃は、犯罪者に対してでも政府に対してでもなく、将来やってくるかもしれない侵略者に対しての備えなのだろう。
自分たちが先住民に対して行ったことを、自分たちもされるおそれがある。そのために、銃を手放すことは怖くてとてもできないのだろう。
岸田氏はこのことを「アメリカ人の原罪」と表現していた気がする。
民主主義的な理想を追求した国家が、先住民の土地の略奪によって成り立っているという点に皮肉を感じざるを得ない。
 
 
アメリカが「自由と平等の国」だというのは、誰がいいだしたのだろう。
アメリカ人が自らそう名乗ったのだろうか。それとも、アメリカに憧れを抱いた日本人が言い出したのだろうか。
「自由と平等の国」というのはアメリカの表の顔にすぎず、アメリカの裏の顔は「暴力と差別の国」だろう。
アメリカの自由には暴力の自由も含まれているし、平等な社会をつくりたいという願望(理想)と差別をする人間性の矛盾に引き裂かれているといえる。

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