見出し画像

てめえの誤解

寒い3月とか言ってたくせに最後の最後に夏日。過去最高。
身体が追っつかないですよね、実際。
酷く疲れるはずです。普段より。
まだ汗腺とかも開いていないわけですから。
皆様、お気を付け下さいまし。

さて、最近気付いたことがあるのですよ。
僕のですね、口癖っていう程でもないんですけれども。
使う言葉の中に「てめえ」って言葉があるのです。
「そこは、てめえでなんとかするべきだな」とか。
いつからなんだろう?多分、だいぶ大昔から使用しています。
芝居を始めた頃とかなのかなぁ。
もしかしたらもっと前だったような気もします。

さて僕がこの言葉を使う時の意味は「自分」って意味です。
いわゆる「手前」ってやつです。
「自分」という言葉だと、自らのことを俯瞰で観ているという感覚があって、自分自身というよりも他者から見た自分に近い意味の時に使います。
「手前」は内側からみた自分自身みたいな時に使うのですけれど、そのままテマエだとちょっと武士っぽくて気恥ずかしいのもあって、町人的な「てめえ」のほうがしっくりくるなぁって感じです。
要するに使い分けしている感じです。

多分、日本語的には正しいと思うのですけれども。
言語は当然、日々使用方法が変化していくものなので、いつしか「手前」なのに「あなた」という意味で使う人も出来た言葉です。
完全に正反対だし使い方としてはどう考えてもおかしいんだけど、あなたに向かって「自分で考えて」という言葉を使うこともあるので「てめえで考えな」みたいな使用方法から「あなた」みたいな意味も追加されたのでしょうか。
それにつけても一時期のピカレスクものやら喧嘩もの、時代劇で、相手のことを「てめえ!」みたいに呼んだり「てめえら!」みたいに使ったり、そんなこともたくさんあったので、相手に使う言葉だと認識している人も多いのだと最近気付きました。

でもねでもね。ヤクザの親分さんとかが映画でさ。
「てめえら、しずかにしやがれい!」なんて言ったとすると。
あれは、全部子分に言ってるセリフだからね。
目の前の敵に言っていると思っている人が想像以上に多い。
相手に言う時は「おめえら」「きさまら」ですから。これほんと。
特にやくざ者なんかは、その辺は厳密なはずです。
ほら、寅さんの前口上でも「手前、生国と発します所」から始まるでしょ。
相手のことを「てめえ」なんて口にするのはかなりの半端ものだと思います。

で、わかっちゃいるんですけれども。
「あなた」という意味で認識している人がいるってことは。
それでもふとした時に出てくるんですね。
「自分自身」みたいな言葉がちょっとニュアンス的に客観的すぎるなってときとかに「てめえ自身」みたいに言ったりするんです。
ほいでね、え?みたいな顔をされることがあるのです。
いや、話の流れでわかってよと思ったりもするのだけれども。
まぁ、しょうがないよね。そりゃあねって思って言い直します。
でもそんなにね、悪い言葉だとも思ってないんですよ。
むしろ、丁寧語だった言葉なので。

皆様はどうしているのだろう。
客観的な自己と、他者と一本線を引いた内面的な自己。
言い分けたりしていないのかなぁ。
そしてしっくりくる言葉とかあるのかなぁ。
まぁ、一人称だったらいいのかな。「僕自身」みたいな。
ちょっと「自分自身」よりも内面的な感じするでしょ?
でもなんかあるんだよなぁ。
僕とも、私とも、自分とも違う「手前」ってのが。
ウチとソトでいうところのウチに近い言葉だよなぁ。
この微妙なニュアンスを表現できる言葉が欲しい。

まぁ、ちょっと、てめえで考えてみます。

投げ銭は全て「演者」映画化計画に使用させていただきます。