見出し画像

坂本龍馬さんの再現方法

ハリウッドの俳優たちがAIを使用することに反対してストライキを起こしていたことは日本でも報じられていた。
日本では割にその辺は強い危機感を感じていないのか、CMなどでは最新技術で故人を登場させたり、CGの人物が登場したりしている。
日本はわりとその辺は寛容というか、それはそれみたいな感覚だからだろうか。思えばボカロなんていう文化が根付いちゃう感じも日本的なのかもしれない。人の表現とデジタルが生み出す表現の境目はどんどん薄くなっているものの、デジタルはデジタルっぽい方が面白いよねという考え方を出来るという柔軟さなのかもしれない。
おかげさまで日本の映画は、今はアニメーションが稼ぎ頭で海外でも評価が高い。

さて、最新のCM。なんと坂本龍馬をAIで再現して起用したのだという。
現存している写真や情報から骨格も計算して声まで再現しているとか。
まぁ、そもそも写真も白黒でかなり引き延ばしているし誰も会ったこともなく、これから会う可能性のない人なのだから再現率なんてわかるはずもない。とにかく再現したという。
僕はですね。坂本龍馬の役を何年も何年も演じてきた経験があります。
なので、人よりもずっと龍馬さんには詳しいのですけれども、なんでその写真から再現したのよ!っていう方の写真からなんだよなあ。他の写真も参考にしたのかなぁ。わからないけれど。

それでね。すごくリアルに、ああ龍馬さんはこんな感じだったのか!ってなるのかなって思っていたんですけれども、、、。全然ならない。むしろ、安っぽい感じに見えてしまっている僕がいます。
AIの技術者が目指す再現と、演じる俳優が目指す再現っていうのはこうまで違っちゃうのかって思う程、根っこが違う。
だってさ、坂本龍馬さんっていう人は、ものすごい数の自筆の手紙を残している人なのだけれども、とってもとっても感情豊かな人ですよ。それは文面をみてもわかるし、自由闊達な字をみてもわかるのです。顔を再現して声を再現して土佐弁を再現しても、そこに人間が見えないっていうのはもうアプローチから根本的に違うよなぁって思って。

まぁ、もうちょっとどぎつく言えば。
歴史上の人物で毎回1位2位を争う程のファンの多い坂本龍馬さんのイメージがコマーシャルにマッチしていると考えたのかもしれないけれど、坂本龍馬さんのファンのほとんどは、あんまりしっくり来ていないと思うのですよ。コマーシャルとしてキャスティングするなら失敗なんじゃね?って思っちゃうほどなのです。龍馬さんを好きな人たちとも何人も会ってきたけれど、ああ、このCGはそんなに龍馬さんが好きじゃない人が描くヤツだなぁって感じてさ。それってマイナスでしかないんじゃないかなぁって。
まぁ、新しい技術とか、革新とか、話題性とか、メッセージがあるのかもですけれども。
もちろん草莽の志士の一人ではあったのですけれど、多くの志士と何が違っていたのかと言えば、とっても自由だったことで。その自由を感じなければ多くの龍馬ファンは納得しないと思うのです。声から表情から目の光から。

多くの人が残している龍馬さんの人物評。その人間性だとか器の大きさだとか自由な発想とかさ。歴史上の歩みをみれば、なぜ誰もが諦めてしまうような局面ででも足を前に出し続けることが出来たのかとかさ。
最大の謎が暗殺事件だと世間的には言われているけれど、それは別に謎でもなんでもなくて、むしろなぜこの時代にこんなに自由なやつが生まれてきたのかっていうことの方が大きな謎で。
ああ、そこをAIやらCGやら、あるいはその技術者たちは再現しようという発想にはならないんだなというなんか変な脱力感。
髪の毛一本一本のくせ毛のディティールとかさ、肌の質感とかさ、すごいんだけれどもね。まぁディティールっていうなら衣装はどうなんだって思うのだけれども。脱藩の時の龍馬さんの衣装がそんなに綺麗なわけねぇだろ!みたいな。袴の紐を堅結びして、余りがブラブラぶらさがっちゃって、その端をくちゃくちゃ口にいれて噛んだり、それを振り回してツバキが飛び散ってたなんて証言もある人なのに、山道を綺麗な和服で歩くわけねぇだろが!と。

まぁ、あれですよ。
縄文人の再現とか、アウストラロピテクスの再現とか。
そういう方向性で偉人を再現して、なんの意味があるんだろうなぁと。
龍馬さんの遺骨は京都にあるわけだけれど、そこから再現とかしないのはそこに意味なんかないからだと思うわけですよ。骨に残った刀傷の跡なんかを調べたりはするんですから。

CGだけの作品は増えるだろうと思うのです。
きっと豊かな感情表現も違和感なくCGが演じる日が来ると思うのです。
でもたぶん、そこにそんなに意味はなくて。
CGだからヒットした!みたいな作品は生まれないんじゃないかなぁ。

安っぽい言葉で言うならソウルです。魂です。だけで説明いらない。
俳優たちは龍馬の魂という謎に一歩でも近づこうとするのです。
髪型だとかのディティールも大事にするよ、それは。
でもそこじゃなくて、その人の存在そのものに迫ろうとアプローチするのです。
当然、俳優によってその個人差は出てしまうでしょうけれど。
必ずそこに人間の持つデジタルでは再現できない何かがあるはずだなと。

だからさ、ハリウッドもそこまで気にしないでもいいかもよって思った。
むしろ回想シーンで若き日に変えてくれたりしてくれるわけだし。
やっぱり俳優が一番だよなってとこに落ち着くよ。
まぁ、ヒット作が出ても作品としての完成度が高ければ、CGの方が良いみたいな評価にはならないと思う。脚本だとかダイナミックな表現が評価になるんじゃないかなぁ。

むしろポリゴンカクカクのバーチャファイター1みたいなCGで映画創っちゃった方が面白いんじゃないかなぁ。それの方が変な違和感がないよ。
龍馬さんだって、カックカクのCGで3頭身ぐらいで描いちゃった方が意外に納得しちゃうんだろうなぁって思う。それが生きているように見えることこそ表現なわけだし。

いつの時代も中身がなけりゃね。
何も感じないよ。

あんなのが坂本龍馬なわけがない。
1mmも似ていない。

投げ銭は全て「演者」映画化計画に使用させていただきます。