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【コミティア128】「作家探偵」同人誌について

前回の記事でもご案内しましたが、2019年5月12日(日)に開催されるCOMITIA128に参加します。

「少女文学館別館」 AホールF01bにて、一迅社メゾン文庫より出版された「作家探偵は〆切を守らない」の個人制作による同人誌を頒布します。

※お隣の「本館」とも合同会計です。「本館」サイドで発行される合同誌については別途ご案内します。

「作家探偵は〆切を守らない ピンときちゃったらやるっきゃない!」

文庫サイズ/カラーカバー/オフセット/本文120頁/予価800円

※デザイン協力:soundsea

※諸事情により、今回はイラストなしでの作成となりました。あらかじめご了承ください。

●登場人物紹介

・白川照
テルテルというPNで作家をやっている主人公。癖が強い作風だが、不思議に後味が爽やかと評判。天性のヒラメキによって事件の核心を突くが、本当に核心しか突かないので場を混乱させることも多い。担当の黒澤には頭が上がらない。

・黒澤育郎
照の担当編集。ドエス眼鏡ツンデレスーツ。照に対して非常に当たりが強い反面、その才能を誰よりも認めている。黙っていてもモテる知的イケメンだが、本人は仕事一筋。

・恋姫
売れっ子問題児漫画家。作画も作風も濃いので「濃姫」とも呼ばれる年齢不詳の美女。

・灰島仙人
黒澤の上司で編集長。ノホホンマイペースで洒脱な初老の紳士。

人はいいが問題も多い電波作家探偵・テルテル先生こと白川照と、彼の担当編集であるドエス眼鏡ツンデレスーツこと黒澤育郎を中心としたライトミステリーです。

ミステリー部分はとってもライトなので、どっちかというと世知辛い出版界でヒーヒー言いつつも、愛と勇気と正義を掲げ続けるテルテル先生の姿をお楽しみいただければ幸いです。

今回の本は短編連作が二話入っています。時間軸としては商業版の続きですが、上述の登場人物だけざっくり掴んでおけば、この本だけでも特に問題なく読めます。

BOOTHでの通販(電子書籍版含)も予定しております。始まりましたら、改めて告知します。

以下はまるっと一話分のサンプルです(pixivに先行して載せていた内容と同じです)。当日はよろしくお願いします!

「作家探偵だって謝恩会に呼ばれる」

 出版社が主催するパーティと聞いて、人はどんなものを思い浮かべるだろうか。
 ミリオンセラーだ、やったね! 祝賀パーティだろうか。映画化発表記念! ハッピー記者会見付きパーティだろうか。
 広い出版界のどこかでは、そんなドリーミンパーティも行われていることだろう。だが大して売れない作家であるテルテル先生こと白川照のために、そのような会を開いてくれる酔狂な出版社は存在しない。未来はいつだって無限の可能性に満ちているが、少なくとも現在はない。
 従って照が招待されるパーティとはすなわち、お世話になっている真ん中文庫編集部の版元である風伝出版が年末に開く謝恩会オンリーなのであった。
「あー、なんか、ここに来ると一年が過ぎたって感じがするよなー」
 パーティ会場である高級ホテル「ドラマティックタウン」。その一階のロビーに入った照は、地下のホールへ移動しながらしみじみとつぶやく。
 ごく稀に取材旅行などをする時以外、ホテルにお世話になることはない。担当との打ち合わせの八割は電話とメールで済むからだ。
「……たまに顔を合わせる時は、一足飛びで俺のバイト先に来ちゃうもんな、あの人」
 照のバイト先こと天晴堂書店と、風伝出版が入っている貸しビルは徒歩圏内だ。そのため、担当編集の黒澤育郎がバイト終わりに裏で待ち構えている、ということがしばしばある。
 といっても、照の〆切がヤバい時だけであるが、照の〆切は大体いつもヤバい。しかも照はキャラ文芸のシリーズを持つ作家だ。読者に忘れられないよう、半年に一回ぐらいは本を出さねばならぬイコール、年中〆切に追われている。黒澤の待ち伏せ率も必然的に上がるのだった。ごめんなさい。
 そのせいかどうか知らないが、パーティ会場の受付に来た途端、照は黒澤とばったり遭遇した。
「いらっしゃいませ、テルテル先生」
 ホテルマンもかくや、とばかりのお辞儀を繰り出した黒縁眼鏡のイケメンは毎度ながら礼儀正しい。
「びっくりするほど普段着ですね」
「そっちだって、いっつもスーツじゃねーか!」
 形だけ礼儀さえ正しければ、何を言ってもいいと思ってない!? プンスカする照であるが、黒澤は毎度のごとく動じない。
「濃い色のスーツは、冠婚葬祭なんでもこなせる万能着ですからね。それと、あなたはマルチタスクができないんですから、話しながら名札を着けないほうがいいと思います」
 招待状と引き換えに受け取り、胸元に装着した名札は見事に裏返しだった。しかも斜めになっていた。受付をしてくれた女性が笑いを噛み殺す様に顔を赤らめながら、いそいそと正しい位置に直す。
「そりゃ俺だって、初めて呼ばれた時は、ちょっと気取ってスーツを着てたよ。でもさ、女の人はそこそこめかし込んでるけど、男の作家って数年すると大体が普段着になるじゃん」
 黒澤の指摘どおり、本日も照はカジュアルなジャケットにジーンズと、暇な大学生の冬服である。在学中に投稿作の拾い上げで作家になり、以降は執筆とバイトの兼業で食い繋いできたため、スーツを着る習慣はない。
「それにさぁ、風伝出版の謝恩会って、今年賞を取ってデビューした新人作家の授賞式も兼ねてるだろ。下手にスーツとか着てると、受賞者と間違われて話しかけられたりするしな……」
 拾い上げとは、受賞に至らなかったが磨けばどうにかなる、と判断される補欠合格のような制度だ。デビューして六年目の今も、賞を取れなかったことは照の心の傷なのである。そこを無邪気につつかれるのは避けたい。付け加えるなら、違います、と説明する際に相手との間に流れる空気もなかなかの地獄でオススメできない。
「そうですね。さもなくば、出版社の下っ端と間違われて雑用を言い付けられたりしますしね」
「俺の心読むのやめてくれる!? どーせ本も顔も売れてねーよ悪かったな!!」
 若く見えるのを喜ぶべきなのかもしれないが、貫禄がないと言われているも同然だ。キレる照を、黒澤は慣れたしぐさでなだめた。
「まあまあ。どんなに売れている作家であっても、広く顔を覚えられている人は稀ですから。あなたは見るに堪えないほどブサイクではありませんが、眼が覚めるほどの美形でもないですから、記憶に残らないのも無理はありません」
「知ってるわい!」
 フォロー雑すぎない!? とますます憤る照であるが、黒澤とはデビュー以来の付き合いだ。雑な扱いにも慣れている。加えて、さっきから別に気になることがあった。 
「ところでさ。なんか、人、少なくない?」
 まだ開場まで三十分以上あるとはいえ、例年であれば受付付近にたむろして、年に一度の再会を楽しむグループがあちこちに点在しているはずだ。それが今年は、やけに閑散としている。
「……ああ、今年から作家さんを招待する基準が変わりましてね。うちから本を出したことがある、だけではなく、今期中に一冊でも出版している、が条件になったんです」
 説明する黒澤の声も心なしか物憂げだ。
「うわ」
「同伴者一名OK、というのもなくなりましたから」
「そ、そうなんだ……」
 うなずく照の声も思わず小さくなる。なんとなく受付の側を離れ、壁際に寄ってコソコソとささやいた。
「やっぱさ、ヤバいんだね、出版不況……」
「まあ、いずこも同じですね。パーティを開けるだけ、うちはまだマシなほうかと」
 肩を竦めた黒澤は、照の不安を読み取ったようだ。
「大丈夫ですよ。今執筆中の本が問題なく仕上がれば、少なくとも来期中には一冊、本が出るでしょう? あなたは来年も呼んでもらえますよ。うちがパーティを開いているなら、ですが」
「うん……」
 色を違えた照の相槌に、黒澤は無言でその肩を叩いた。
「出ますよね?」
「がんばる……」
「出しますよ。絶対に、必ず、何があっても、出しますよ」
「……はい……」
 指先が静かに肩に食い込む。怖いよう。決して眼を合わさぬまま、虚ろに返事をする照に黒澤はため息をつく。
「ここに呼んでもらえなかった作家さんだって、いるんですからね。〆切を待ってもらえるだけ、ありがたいと思ってください」
「そ……そうだよな!」
 最初はパーティに呼んでもらえなくなるかもしれない、とブルっていたのだ。そのくせ本を出すための努力を嫌がってはお話にならない。
 拾い上げだろうが背負い投げだろうが、出版にこぎ着けた者が勝ちの世界だ。しかもそれは長い戦いの初陣に過ぎない。最優秀賞を取ったはいいが、諸般の事情により一冊出してそれっきり、というのもザラなのがこの業界である。
「分かったよ! がんばる!! ちょっと今は、アイディアの神様に会えてない感じがしてるけど、パーティでいろんな人に会えば来てくれると思う! 俺はそう信じてる!!」
「俺も信じてますよ、今のところは。それじゃ、他の担当作家さんにご挨拶してきますので」
 チラリと時間を確認して、黒澤は移動しようとする。
「え、待ってよ。まだ会ったばかりなのに!」
「会って挨拶をすれば十分でしょう。現状打ち合わせるべき内容もありませんしね。なにせ、まだアイディアの神様が来ていらっしゃらないそうですし。〆切まであと何日か、覚えてますか? いくらプロット段階とはいえ、最初がコケると全部後ろ倒しになっていきますからね」
「うぐっ」
 自業自得の理由で突き放され、返す言葉を失った照だったが、周りに黒澤以外の見知った顔が一人もいないせいだろうか。妙に胸が騒いで、引き留めてしまった。
「いや、でも! し、知り合い、誰も見当たらないし。せめて開場まで、雑談でも……」
「なんです、いい年こいてお友達がいないからって寂しいんです? なら、絶好の機会じゃないですか。友達を作ればいいでしょう、ここで」
「……ここで?」
 突然の無茶振りをオウム返ししてしまうが、黒澤は平然としている。
「テルテル先生は人当たりはいいし、一見どうとでもできそう、失礼、警戒心を抱かせないですけど、例のヒラメキで全部ひっくり返しますからね。デビュー前から長続きしたお友達は少なく、デビューしたことによって、その全てとほぼ完全に縁が切れてしまったんでしょう?」
「うぐぐぐぐぐぐぐぐぅ!!」
 反論できない。なぜなら、黒澤にそう愚痴ってきたのは照なのだ。照にとって何よりも大切な、小説の神様が気紛れに投げ寄越すヒラメキに従って生きてきた結果である。
「作家さんは地方にお住まいの方も多いですが、ネットがあれば友情の維持は可能でしょう。あなたの場合、SNSで繋がり合うのはオススメしませんけど、スカイプでもラインでも使えばいいじゃないですか。一般社会に出会いを求めるのはやめなさい。出版関係者ぐらいの物好きじゃないと、あなたの友達は務まらないと思いますよ」
「そうだな、俺のこと拾ってくれた黒澤さんぐらいの物好きじゃないとな!」
 ただでさえ照相手には容赦のない黒澤であるが、パーティ期間中の編集者はホスト役としてホテルマン並みに動き回らねばならないのだ。そのせいか、いつにも増して物言いが刺々しい。
 ふくれる照の反応から、黒澤も言い過ぎたと感じたようである。少しだけ声の調子を和らげて、
「まあまあ。手が空けば、どなたか紹介してあげますよ。一か八か、心当たりはありますから」
「一か八かで人を紹介するのやめてくれる!?」
 ますますムクれる照を適当になだめつつ、黒澤は今度こそロビーのほうへと歩いて行った。今から来る担当作家か誰かを出迎えに行くのだろう。
「俺のことは、ほったらかしだったくせに……」
 まだムクれている照であるが、すでに何度もパーティに出席している中堅作家だ。お手々を引いてもらわなければ、会場に入れない訳ではない。気を取り直し、自分も誰かに挨拶をしようと名刺入れを取り出した時だった。
「輝田先生!」
「ようこそいらっしゃいました!!」
「お会いできて嬉しいです!」
 弾ける歓声、にわかに集まってくる群衆。流行のラップバトルかフラッシュモブでも始まったのかと誤解したが違った。受付に向かってくる一人の男性の周りを、大勢が我先にと取り囲んでいるのだ。
「代表取締役の色坂です。こちらは営業部の……」
 恰幅のいい男性がにこやかな笑顔で幹部社員たちを紹介している。風伝出版の代表者である色坂取締役だ。彼も彼が紹介するのも、受賞歴のない照は直接話したことがなく、契約書で名前を見かけるのが精々のお偉いさんである。
「わたくし、ブラックスワンの副編集長を務めております緑埜と申します。編集長の灰島も、改めて挨拶をしに伺いますので……必ず……絶対に……ああもう、どこに行ったんだ、あのマイペース仙人め……!!」
 風伝出版の稼ぎ頭、漫画雑誌「ブラックスワン」の副編集長である緑埜雅之も汗を拭き拭き挨拶に駆け付けていた。小説家である彼と照に接点はないが、ブラックスワンと真ん中文庫の編集長を兼任しているのは灰島仙人。ノホホンマイペースで着道楽な初老の紳士に照はいろいろとお世話になっているのだが、緑埜はお世話をしているほうらしい。この大事な時に何やってんだと、殺意がダダ漏れである。
「お目にかかれて光栄です、輝田先生。真ん中文庫編集部の黒澤と申します」
 さっき姿を消したはずの黒澤まで、華麗なユーターンをキメて折り目正しく挨拶をしている。誰かを迎えに行く様子だったが、この輝田先生なる相手がそうなのか?
「……待てよ」
 そこでようやく、照も話題の中心人物に思い至った。人波の中から頭半分突き抜けた、スラリとした長身。黒澤だって割と背が高いのだが、彼のほうがもっと高い。俳優として成功した経歴も納得の爽やかで甘いマスク。なんてことのない上着にシャツにボトムという出で立ちだが、きっと照の百倍ぐらい金のかかった服なのだろう。
「か、顔なんて、グラサンかけてちゃわかんねーけどさ……!」
 芸能人よろしく、室内だというのにでっかいサングラスをかけていても、照も知っている。彼の顔がハイパーよろしいことを。なぜかといえば、彼は出版界だけではなく、芸能界でも知られた有名人だからだ。 
「えっ、まさか、もしかして、本当にあの輝田集先生……?」
 ちょっと声が大きかったようだ。ハンサム輝田がこっちを向いた気がして、照は慌てて手近にあった柱の陰に隠れた。休憩用のソファが置いてあったので、これ幸いと座り込み、両手で口を囲って叫ぶ。
「輝田先生、まだ風伝出版で書いてねーじゃん!!」
 王様の耳はなんとやら。輝田を取り囲むざわめきに紛れ、思いっきり愚痴ってしまった。
「一年以内に本を出してない作家しか呼ばないんじゃねーのかよ!? なんかそれ、ちょっとズルいじゃん!? ズルいじゃーん!?」
「うぅっ」
 うめいたのは、もちろん照ではない。同じソファの横に座っていた、トレンチコート姿の見知らぬ男性だったが、輝田ショックで手一杯の照はまだ彼の存在に気付いていない。
「……まー、でも、しょーがねーよな……輝田先生、きっと今度は風伝出版から本を出すんだな……」
 一回盛大に感情を吐き出せば、あまり怒りが持続しない照である。ため息をつきつつも、心は納得へ傾いていった。
「そりゃ先行してパーティにぐらい呼ぶよ。だってあの人の本、どんなジャンルでも絶対売れるもん……なんなら自分でデザインもするし、挿し絵だって描くもんな……」
 輝田集、本名同じ。彼ほど肩書きの多い人間も珍しいだろう。前述どおり俳優であり、シンガーソングライターであり、歌手やアイドルに楽曲の提供も行っている。
 特に最近は作家としても評判が高い。処女作である、孤独な青年の青春を描いた群像劇は有名な文学賞を受賞した。その後もエッセイだの絵本だの、何を書いてもうまいし、売れる。
 なにせとっても顔がいいので、女ウケがいいだけだとのやっかみも絶えないが、実際に輝田の本を何冊か読んだ照はその才能は本物だと感じていた。正直めちゃくちゃ面白かったし笑ったし泣いた。デザインもよかった。一回装丁をお願いしてみたいぐらいだ。
「まだ一冊も本を出してなくたって、あの人レベルの作家なら、とりあえずパーティに呼んで機嫌を取るぐらいするよな……はー、俺にも才能を一個ぐらい分けてほしい……」
「う、うう……」
 切なる願いを口にする照の横で、件の男性はまだうなっている。そこに至って照も彼の存在、ならびに、やけに具合が悪そうなことに気付いた。
「だ、大丈夫ですか? ホテルの人、呼びましょうか?」
「いえ……お構いなく……」
 声をかけられた男性がおずおずと顔を上げる。最初はトレンチコートの襟を立て、顔を隠す素振りだったが、その眼が照の胸元に着けられた名札を捉えた。
「えっ!? もしかして、あなた、テルテル先生ですか……?」
「はい、そうですけど」
 そりゃ確かに端正な肉筆で「テルテル」と書いてあるが、初対面の、それも年上らしき男性に呼ばれるとちょっぴり面映ゆい。相手が少し長めのよれよれウェーブヘアが妙に似合う、青白い肌をした気怠い美形だから余計にだ。トレンチコートと相まって、現代に馴染もうとして失敗した吸血鬼か耽美な探偵といった風貌だが、彼も作家なのだろうか。
 戸惑う照であるが、彼は大層嬉しそうだ。こけた頬に少し生気が差して見えた。
「奇遇だなぁ! 僕、テルテル先生の作品のファンなんです。何が飛び出してくるのか分からなくて、とても刺激的で……だけど登場人物がみんな優しくて、読んでいると不思議に癒されるんですよね! すごいな、ご本人も思ったとおり、明るくて穏やかで優しそうで……感激です!!」
「あ……ありがとうございます! すごく、すごく嬉しいです!!」
 照も頬を紅潮させ、彼の手を取らんばかりに喜んだ。誰が擬態の下手な吸血鬼だよ、失礼な。俺の本を読んでくれている上に、こんなに褒めてくれるなんて、ハチャメチャにいい人じゃん!!
 作家同士であっても、相手の本を読んでいるとは限らない。そもそも作家だからといって読書家だとは限らないのだ。影響を受けたくないので、映画などは参考にするが、小説は読まないと断言している作家もいる。
 そもそも娯楽が溢れたこのご時世、小説を読んでくれるだけでありがたい。その上で、こんなに嬉しそうに感想を言ってくれるなんて、ありがとう、本当にありがとう! えーと、ところで、誰……?
 ここにいるということに加え、この世間から浮き上がった風体はおそらく作家だ。女性作家陣は結婚式に出席できるレベルに擬態していることが多いが、男性作家は照のような普段着、もしくは普段着のつもりで不思議なセンスを発揮していることが多い(※あくまで照の感想です)。
 しかし、輝田のように顔を見てパッと名前や著作を思い出すということはない。そもそも彼のように顔が売れている作家が稀である。やむを得ず、さり気なく胸元に視線を向けてみるが、名札も着けていないのだ。
「あの……失礼ですけど、あなたも作家さんですよね? よろしければ、お名前を伺えませんか?」
 こんなに褒めちぎってくれたのだ。できれば名前を聞いておきたい。知っている作家なら感想も言えるし、知らない作家ならお近づきの印に本を一冊買ってもいい。ぶっちゃけ、お近づきになりたい。お友達になってほしい。
 作家は孤独な職業だ。家に引きこもり、ひたすら思索に耽り、あーでもないこーでもないと頭を捻りながらキーボードを打つ仕事を続けていると、季節の移ろいどころか曜日感覚も消える。カレンダーどおりに働く会社員となった友人などとは、まずスケジュールも話も合わない。
 おまけに照は、例のヒラメキのせいで元々の友達が少ないのだ。叶うなら、同じ作家の仲間を一人でも増やしたかった。テンション高めで電波フル稼働な作風のせいで、好き嫌いがバッキリ分かれる照の作品を気に入ってくれている相手ならなおさらだ。
「あー……、ああ……」
 ところが、期待に震える照とは逆に、彼はにわかに歯切れが悪くなった。
「あ、ごめんなさい。無理なら……」
「いえ! そういう訳じゃ……うん、まあ……どうせ僕の名前なんて、分からないだろうしな……」
 ブツブツと迷うこと数十秒、思いきったように彼は名乗り始めた。
「失礼しました。僕、影踏と申します。影を踏むと書いて」
「えッ」
 その名を聞いた瞬間、照は思わずソファの上で後ずさった。
「か、影踏先生?」
「え、テルテル先生、まさか僕のことをご存じなんですか……?」
 影踏の瞳が期待に見開かれる。照の眼も別の意味で見開かれていた。
「もちろんですよ! 忘れたくても忘れられない、心に突き刺さって離れない、精神をガリッガリに削り取るトラウマ作品の生みの親……!!」
 影踏は照とは別の意味で、好き嫌いがバッキバキに分かれる作風の作家である。
 彼の生み出すキャラクターたち、特に年若い少年少女たちはいずれも明るく素直で、心優しい天使のような子たちばかりなのだが、そんな子供たちを悪夢のような出来事が容赦なく襲い、読者のハートにまで深く爪を立てるのだ。ドエス、もしくはドエム御用達との評判であった。
「そ、そうですよね。僕を覚えてくれている人って、そういう作家として認識していますよね……」
 シュン、と肩を落とす姿は、さながら現代に馴染めない吸血鬼、傘を忘れて雨にずぶ濡れの図だ。同情をそそられる反面、彼が作中の人物に課した試練を思うと複雑な気持ちになってしまう。
 いやいや、作者と作品を安易に同一視するなんてダメダメ。照自身が「びっくりするほど作品と同じですよね、あなたは」と言われてしまうタイプであるが、創造者と創作物は別物である。自分に言い聞かせ、照は謝罪した。
「ご、ごめんなさい! あの、でも影踏先生の才能はすばらしいと思うんです!! ご本は全部買ってます! ただ、精神状態がサイコーの時に読まないと引きずるから、眼を通せないまま本棚の奥に封印してある作品もありますけど……!!」
 影踏作品内で起こった陰惨な事件の数々が脳裏を過ぎり、ちょっと泣きそうになりながら必死に弁解する。あくまでフィクション、現実とは違うと分かっているつもりだが、なまじ才能があるだけに、時には現実を凌駕するインパクトを叩き込まれるのだ。脱稿後のご褒美だと手を付け、布団の中で震えて一日が終わったこともある。
「……僕はただ、僕の思う可愛い子たちの、いろんな顔を見たいだけなんです」
 誤解しないでほしいと、影踏は反論を始めた。口調は控えめだが、瞳には熱い光がある。
「笑顔も見たい。照れた顔も見たい。同時に、泣いた顔も見たい。苦しんでいる顔も見たい。信じていた恋人に裏切られ、しかもその恋人を奪ったのが幼馴染みで大の親友だったショックでヤケになった顔も見たい。それが僕の、愛なんです……!」
「うぅっ……! それ、まさにこの間布団の中で一日潰れたやつ……!!」
 創作者として影踏の気持ちも分かるのだが、読者としての照が悲鳴を上げるので、そろそろ勘弁していただきたい。切なる思いが伝わったのか、とりあえず言いたいことを言って気が済んだのが、影踏は再びシュンとした。
「第一、僕はまだ風伝出版で本を出していないですしね……すみません、ノコノコと……」
「それについては、こちらこそ誠に申し訳ございませんでした」
 輝田への嫉妬に駆られた失言を、うっかり聞かせてしまったのは本当に悪かった。互いにペコペコし合った後、照は話の流れを変えようと試みる。
「でも、謝恩会に呼ばれているってことは、影踏先生も風伝出版から本を出す予定があるんでしょう?」
「一応は」
 輝田同様、そのために招待を受けたのだと影踏も認めた。
「ですけど僕は、どうもトラウマ製造機みたいな見方をされがちで……一部の同じ嗜好を持つ読者さんには愛好していただいていますけど、正直あんまり売れてなくて……」
 口にこそ出さなかったが、照は心の中で「だろうな」と思っていた。
 もちろん、照は本当に影踏には優れた才能があると思っている。思っているが、全人類が彼の作品を瞳を輝かせながら読む世界になってほしいかと問われると、言葉に詰まってしまうのだった。
「だから、作風も少し変えて、ペンネームも変えて、再デビューしようかって担当さんと話してるんです。今日はその相談も兼ねて、招待されていまして」
「再デビュー、ですか……」
 照自身は考えたことはないが、デビューからある程度年数が経つと、周りからチラチラ聞こえてくる話である。デビュー時のペンネームで発行した作品の売れ行きが芳しくない、全く傾向の違う話を書きたくなったなどの理由により、名前を変えて仕切り直すのだ。
「でも、影踏先生、ご自身の作風にものすごーくこだわりがあるんじゃないですか? そのこだわりを変えないと、その……」
「……そうなんですよ。僕も、僕の愛の形を変えてしまったら、小説を書く意味がなくなってしまうので、それは避けたいと思っています。ですが、僕の愛の形がなかなか理解されないから、本が売れない訳で……」
「下手すると影踏先生のフォロワー、最悪パクリだとか言われてしまう可能性もありますもんね……」
 謝恩会そっちのけで話し込んでいると、やけに聞き覚えのある声が割り込んできた。
「おや、珍しい組み合わせ……でもないか。お二人とも、それぞれの作品がお好きだとおっしゃっていましたからね」
「あれ、黒澤さん」
 思わぬ再登場だ。一瞬、普段どおりの対応をしかけた照は、プイと眼を逸らす。
「な、なんだよ。輝田先生への挨拶は、もういいの?」
「一編集者として見過ごせない才能を持つ方ですからね。お見かけしたので、とりあえず名刺は渡しておきましたが、あとは灰島編集長がするでしょう、多分。でなければ、緑埜さんが真ん中文庫の分までしてくれますよ。どうしました、妬いてるんですか?」
「妬いてねーよ! 輝田先生に妬けるレベルの作家じゃねーのは分かってるしな!!」
「自覚されているようで何よりです」
 あっさりかわした黒澤は、逆に「テルテル先生は輝田先生にご挨拶しなくていいんですか?」と尋ねてきた。
「あの人の作品も、かなり褒めていましたよね」
「だって、悔しいけど、どれもこれもものすごーく面白かったもんな! え、どうしようかな、せっかくのチャンスだしな……」
 ソワソワしながら見回すが、すでに輝田たちの姿はない。いつの間にか会場入りした様子だ。
「ええ、このチャンスを逃さないほうがいいと思いますよ。輝田さんは今回、謝恩会への招待自体は受けてくださいましたが、まだうちで書くと正式に決まった訳ではありませんし」
 次の機会が巡ってくる可能性は低いのだ。ただし、と黒澤は付け加えた。
「もう少し待ったほうがいいと思います。そろそろ開会しますし、輝田先生は今、恋姫先生に捕まっていますからね。触らぬ神に祟りなしってやつです」
「きょ……巨頭会談……!!」
 風伝出版一の稼ぎ頭であり、同時に問題児である恋姫と輝田の会話に割って入ったが最後、ばっさり返り討ちとなるのは眼に見えている。黒澤の言うとおり、時期を窺うことに決めた。
「分かったよ。それじゃ、俺たちも会場に入りましょう、影踏先生」
 他に声をかけてくる相手もいないところを見るに、影踏も照同様ボッチなのだろう。もう少し話してみたいと思って誘うと、影踏も同じように考えてくれていたようだ。
「ありがとうございます! 嬉しいな、テルテル先生とご一緒できるなら、来た甲斐がありました」
 イソイソとソファから立ち上がった彼は、猫背気味であることを割り引いても照よりだいぶ背が高い。作家は身長じゃないぜ、顔でもないぜ、出版部数でもないぜ、心だぜ、と心の狭いことを考えている照と、前を行く黒澤(照と影踏の中間の身長)を交互に眺め、影踏はそっとささやいてきた。
「黒澤さんと仲がいいんだね、テルテル先生」
「悪くはないと思いますけど……あれ、もしかして……」
「うん、そう。僕の担当も、黒澤さんなんだ」
 慣れてきたことに加え、同じ担当と分かって影踏の口調も砕けてきた。
「えっ、じゃあ、影踏先生も、真ん中文庫で書くんですか!?」
「一応、その予定なんだけど……」
「ど……どうかな。真ん中文庫の購買層は若い女性で、穏やかで優しい話が好まれるらしいですけど……」
 どうマイルドにしたところで、影踏の作風では難しいのではないだろうか。「宇宙から来た納豆」「飛来するくさや、お代わり」などと評される自分の作風を棚上げし、考え込んでいる照を黒澤が不意に振り返る。
「そうだ、テルテル先生。小説の神様にはできるだけ早急に会っていただきたいですが、ここで例のヒラメキは避けてくださいね。万一ヒラメいてしまった時は、すぐに手を挙げて俺に知らせるように。くれぐれも、他の出席者に迷惑をかけないでください。俺は他の作家さんにも挨拶をする必要があるので、あなたにばかり構ってはいられないんですから」
「分かってるわい!」
 歯医者じゃないんだよ!? とばかりに言い返すと、案の定影踏が不思議そうな顔をした。
「テルテル先生、ヒラメキってなんですか?」
「あー……とにかく、色坂取締役の挨拶を聞いてからにしましょうか」
 数々の友達を失ってきたヒラメキについて、初対面の影踏にあまり聞かせたくない。照は慌てて話を逸らし、立食形式のパーティ会場へ足を踏み入れた。黒澤は宣言どおり、すぐに離れていってしまった。

 色坂取締役による開会の挨拶は適度な冗談に紛らわせていたものの、謝恩会の開催形態が変化したことなどにも触れ、昨今の出版業界の苦しさを色濃く匂わせるものだった。
「まあ、辛気くさい話はこれぐらいにしましょう。笑う門には福来たる! ちょっと早いですかね、ハッハッハ。乾杯!!」
 影踏の思考もそちらに引きずられてしまったらしい。ウェイターがせっせと配り歩いてくれた飲み物を手に乾杯を終え、自由な歓談が始まっても、例のヒラメキについて追及されることはなかった。
「いや、聞いていたけど、やっぱりどこも苦しそうだなぁ……」
「そうですね……」
 ヒラメキの話題が遠くに去ったはいいが、出版不況は照にとっても重い話題である。影踏と一緒に、はあ、とため息をついてしまった。
「不況は出版界だけに限らないですからね。みんな苦しい思いをしているせいか、明るく楽しく、後口爽やかな話が求められる傾向は、年々強くなっているらしくて……」
「……そうみたいですね」
 作風は置いておいて、照の嗜好自体は一般読者のそれに近い。途中がどうであれ、最後ぐらいは絶対にハッピーエンドにしてほしい。頼む。そういう意味では、影踏の作品も最後はハッピーエンドといえるのだが……ダメダメ、食べる前に思い出すのダメ。冬の寒い日、ご飯をもらえなかったあの子を思い出すの禁止。
「あの、ところで、そろそろローストビーフをもらいに行きません? 列が」
「分かってるんです。僕みたいな作風が、出版界の主流になることはない。もちろん愛好してくださる方は一定数いらっしゃいますが、一定数以上は増えない。そうであるからこそ、テルテル先生みたいな明るすぎるぐらい明るい作風の方に、がんばってほしいと思うんです」
 夕飯をガッツリ食べていこうとする照の気も知らず、影踏は熱弁を振るい始めた。
「主流になれないけれど、一定数の購買層が見込めるなら、母数を増やして対応すればいい。テルテル先生なら、きっと新たな読者層を開拓してくださると思うんです。黒澤さんとも、よくそういう話をしていて……!」
「黒澤さんとそんな話をしてるんですか!?」
 喜んでいいのだろうか。複雑な気持ちで突っ込み返した照は、大それた話だとすぐに首を振る。
「それは買い被りすぎですって。俺だって、自分で言うのもなんですけど、極めて狭い範囲の読者さんにしか刺さらない作風ですし……新たな読者層の開拓なら、それこそ輝田先生にでも任せましょうよ。あの人なら一人メディアミックスも可能そうですもん。自分で小説を書いてドラマ化して主演やって主題歌歌って……あれ?」
 輝田に全てをぶん投げようとしていた照は、なんだか周囲がザワつき始めたことに気付いた。
「あ、もしかして、ローストビーフがなくなった……?」
 寿司だの天丼だの、人気メニューはたくさんあるが、ここで一番有名なのはローストビーフなのだ。出遅れたか。背筋をヒヤリとさせた照であったが、そうではなかった。照に向かってまっすぐ歩いてくる男の姿が周りをドヨめかせているのだ。
「こんばんは、テルテル先生! ローストビーフ、ほしいの? よかったら、これあげますよ」
「き、輝田、先生……?」
 仰け反りそうになっている照の前で立ち止まったのは、噂の輝田集、その人である。取り巻きがたっぷり貢いでくれたらしく、ローストビーフが山盛りになった皿を手に、彼はにっこり笑った。
「嬉しいな。俺のこと、知ってるんだ。思いきって声をかけてよかった」
 いまだグラサンをかけっぱなしであるが、その奥から覗く瞳に嫌味はない。輝田は本当に、照との出会いを喜んでくれているようだった。
「わあ、こう言っちゃなんだけど、予想してたよりずっと普通の人だね。俺はてっきり、カクニャンみたいな人かと……」
「いや、さすがに俺も人間ですけど……たまに謎の宇宙生物みたいな扱いを受けているのは、分かってますけど……」
 思わず言い返してしまったが、照は頬が熱を持つのを感じていた。
 カクニャンというのは、照がずっと書いているシリーズのマスコットキャラだ。四角くて可愛い猫である。その名がさらりと口にできるということは、輝田はお世辞ではなく、本当に照の本を読んでくれているのだ!
「あっ……、あのッ、俺、俺も輝田先生の本は全部読んでます! サイン、だめだ、本を持ってない、ペンはどこいった、あの、と、とりあえず、名刺、交換……!! 影踏先生とも、交換……!!」
 テンパりすぎてカタコトになってしまった照は、名刺を取り出そうと必死に鞄の中身を探り始める。妙な出会いに流されて、影踏とも名刺交換を忘れていたのだ。
「え、影踏って、もしかしてそちらが影踏先生?」
 輝田は影踏のことも知っているようだ。途端に影踏の顔もパアア、と輝き始めた。
「あっ、そうです、僕が影踏です!」
「うわー、影踏先生も思ったより普通だなあ。もっと眼がイッてる感じの人かと思ってたけど、作家って見た目じゃあ分からないものですね。勉強になるや……あれ?」
 言いながら、輝田も皿をいったん手近のテーブルに置いて上着のポケットを探っていた。名刺を出そうとしてくれていたようだが、怪訝な顔になって動きを止める。
 一応、という風に掴み出したのはバラの名刺だ。いずれも輝田自身のものではなく、編集者やら作家やらデザイナーやらの名前が印刷されている。謝恩会の中で受け取ったものだろう。
「俺の名刺入れがないな。財布も何もない。まあいいや、俺の名刺はまた今度会ったら渡します。申し訳ないけど、テルテル先生と影踏先生の名刺だけくれるかな」
「いやいやいやいやいや!?」
 のんきに過ぎる輝田の発言に、照が代わって通常の三倍突っ込んだ。 
「名刺はまだしも、財布がないのはだめですよ! 困るでしょう、いろいろ!!」
「んー? そうかな。でも、夕食はここで食べられるし、ホテルにも泊まらせてもらえるし。明日の帰りのタクシー代だけ出してもらえれば、問題ないよ」
「いいなあ、ホテル代が出てるんだ……」
 つぶやいたのは影踏である。同じ未来の出版予定者であっても、悲しい扱いの差がそこにあった。
「大丈夫ですよ、影踏先生。俺も出ないですから……ていうか、大抵の参加者にはそんなもの出ません……」
 影踏と違って照はここまで電車で来られるため、ホテル代自体が必要ないのだが、触れないでおいたほうがよかろう。そっとなだめた照の耳に、不穏な声が聞こえ始めた。
「あの人、影踏先生?」
「嘘、あの怖い話を書く人?」
 名札を装着していない影踏であるが、照や輝田とのやり取りによって周囲に誰だか知れ渡ったようだ。一般的な知名度は低くても、出版関係者ばかりの会場では彼の認知度もかなり高いようである。いい意味でも、悪い意味でも。
「え、もしかして、影踏先生が輝田先生の財布を盗んだのか?」
 とんでもない誤報が飛び込んできた。ぎょっとした照は大声で「違います!」と反論する。
「輝田先生と影踏先生は今会ったばかりです! そうですよね、輝田先生!!」
「編集さんならとにかく、同じ作家さんから『先生』呼びはちょっと照れちゃうな。輝田さんでいいよ」
「じゃ、じゃあ輝田さんって呼びますけど……! うわ、俺も照れちゃう……!!」
 意味もなく照れ合っている照の横で、影踏がそっと瞳を伏せた。
「……そうだよね」
 悲しげな翳りが、皮肉にもその美貌を艶めかしく見せる。
「確かに、僕の作品でもこんな展開はあった。いわれのない盗みで責められて、孤立する主人公……そうか、あの子はこんな気持ちだったんだ……!」
 言うが早いか、彼はくたびれた手帳を取り出すと、猛烈な勢いで湧き出るアイディアをしたため始めた。
「影踏先生、ここでクリエイター魂を爆発させないでください! 輝田さんも、もっとよく探してください!! よくあるでしょ、実は全然違うポケットに入ってたとか、なんなら持ってくるのを忘れてたとか……!!」
 いずれも照がよくやらかすやつだ。輝田は照のように慌てふためきはしないが、妙に鷹揚であるだけに似たような失敗の経験があるのだろう。素直にジャケットを脱いで、もう一度探し始める。
「うーん、でも、逆さにして振っても、もらった名刺しか出ないなぁ。ここに来る途中、一回コンビニに寄ってもらって買い物をしたから、名刺入れはとにかく財布はあるはずなんだけど……」
 財布は出てこない。影踏を取り囲む眼はいまだ疑いを含んでいる。持ち前の正義感を刺激された照だが、こんな時に限って何もヒラめかない。友達と飲んでる時はやって来て、楽しい飲みの場をぶち壊しにするくせに。
「た、頼むよ、今来てくれ、推理のほうの神様……! 今日だけは来なくていい、とか意地悪言ってごめんなさい、輝田さんの財布とかを見付けて影踏先生を助けて……!!」
 黒澤に言われるまでもなく、大勢の人で賑わう謝恩会の会場でいきなりヒラめいて、「お前が悪い!」などと言い出したが最後、どれだけヤバい状況になるかは照だって分かっていた。そのため数日前から、「小説の神様以外お断り」の札を心に下げて生活していた。
 だが、この件はできれば解決したい。輝田はあまり困りそうではないし、影踏も割と余裕がありそうではあるが、一ファンとして好きな作家が嫌な眼に遭うのは避けたいではないか。
「テルテル先生、僕のことを庇ってくれるんですか……?」
「当たり前ですよ、創作物と創作者は違うんです! 影踏先生が盗みなんてするはずがない、俺はそう信じてます!!」
 そんな照の切なる願いが天に届いたのだろうか。一人の男が人波をかき分けて現れた。
「何事ですか、この騒ぎは!」
 このタイミングの良さ、さては黒澤かと思ったらそうではなかった。ちょっと神経質そうな外見には近いものがあるが、あれで意外と図太い担当編集ではない。二十代半ばの黒澤を一回り老けさせて眼鏡を外せば、こんな感じではあるだろう。
「あ、緑埜さん」
「輝田先生、どうされました。何か失礼なことでも……!?」
 さっきも輝田にヘーコラしていた緑埜は、それはそれは不安そうに輝田を見やる。
「いえ、なんでもないですよ。俺の名刺入れと財布が見当たらないだけで。もしかしたら、どっかに落としたのかもしれないけれど、そういえばスマホもないな」
「ヒッ!?」
 輝田は依然として平気な顔をしているが、緑埜は来て早々に泡でも吹きそうだ。
「そ、そんなに落とすなんておかしいでしょう!? これは大変だ、輝田先生の私物が盗まれた……!!」
 緑埜の大声に触発されて、鎮まりつつあった場が再びザワつき始めた。またあちこちから、不穏な声が聞こえ始める。
「やっぱり、影踏先生……?」
「そもそもあの人、風伝出版で書いてないだろ。何しにここに来たんだ?」
「違いますってば! 影踏先生が輝田先生の物を盗むなんて、するはずがない!!」
 確かに影踏の作風は癖が強く、陰惨な展開も多いが、本人は大層いい人だ。ちょっぴり譲れないこだわりが強そうだが、いい人だ。俺の本をしっかり読んでくれているような人が盗みなど働くはずがないと、照はムキになって彼を庇った。
「テルテル先生、優しい……」
 影踏は引き続き感動しているが、オーディエンスは疑惑の的を変えただけだった。
「じゃあ、テルテル先生……?」
「あの人はあの人で、エキセントリックだもんな。猫が急に雷を連れて飛び降りて来たりするし」
「ち、ちが、違います! 俺じゃない、愛と勇気と正義を語る作家が、そんなことをするはずがない! 俺でもなくて……!!」
 影踏じゃない。照でもない。照にはそのことがハッキリと分かっているが、作家でありながら筋道の通った説明が苦手なのだ。もどかしさに焦れている間に、緑埜が話を進め始めた。
「とにかく、ホテル側に連絡を! 警備員を回してもらいましょう。テルテル先生と影踏先生は、こちらへ」
 硬い声で促され、照は眼を見張った。表現こそ柔らかめにされているが、どう考えても犯人として疑われている。
「違いますってば、俺たちはさっき輝田先生に会ったばかりで……!!」
「テルテル先生、俺のことは輝田さんって呼んでってば」
 肝心の輝田はといえば、まだそこにこだわっている。一緒になって犯人扱いしないだけマシかもしれないが、今後もさん付けで呼ぶ仲でいたいなら、ちょっとぐらい庇ってもらえないかな!? そう叫びそうになった瞬間だった。
 灰色に垂れ込めた空の下、断頭台に頭を預けた罪人に駆け寄るヴィジョンが眼裏を支配する。喜々としてその首を落とそうとする処刑人に取りすがり、叫ぶ時が来たのだ。罪人は彼ではない。罪人は――……
「み……緑埜さんが悪い!」
「はあ?」
 いきなり棒立ちになった照の腕を掴みかけていた緑埜は、突然の糾弾に眼を点にした。それでも照は、降りて来たヒラメキに従って訴え続ける。
「緑埜さん! 緑埜さんが悪いんです!!」
「な……なんて人だ。自分が疑われたからといって、他人に罪をなすりつけるとは……!!」
 震える声でつぶやいた緑埜は、おもむろに自分のスマホを取り出した。
「噂には聞いていましたが、これほどまでに常識がないとは驚きですよ。常識人の私の手には負えない! ふっふっふ、見ていろ黒澤、そして灰島ァ!! これで貴様らの評判も地に落ちる……!」
 妙に騒ぐと思ったら、元のヒステリックな性格に加え、緑埜はどうやら黒澤と灰島を快く思っていない様子だ。照のやらかしを彼等の責任にできると思い込み、早々と盛り上がって二人を呼び付けようとしている。
「ちょ、待って、誤解です緑埜さん! 俺はそこまで、あのお二人と深く関係している訳じゃあ……!」
 仮にも担当である黒澤はまだしも、照の作風すらロクに覚えてないマイペース仙人こと灰島にはどうにも読めないところがある。照がトラブルを起こした際、庇ってくれるかどうかは怪しい。「これも芸の肥やしだね!」みたいな顔をされる可能性も否定できない。
「黙りたまえ! これは千載一遇のチャンスなんだ!! 灰島がいなくなれば、私がブラックスワンと真ん中文庫の編集長になれる……!!」
「あっそれを狙ってたんです!? うーん、確かに灰島編集長は漫画は専門じゃないし、かといってキャラ文芸も専門じゃないから、緑埜さんが代わりたいって言えば、本人も案外喜ぶかも……!!」
 そもそも文芸畑出身の灰島は、それ以外の分野に疎いのだ。代わってくれ、と言えばあっさりOKするのではなかろうか。
「いや、でも緑埜さんが副編集長になった場合、この感じだと俺のシリーズは打ち切りになっちゃうかもだな……」
「何事ですか、一体」
 気の早い心配をしていた照の耳に届いたのは、今度こそ頼りになる担当編集の声だった。
「黒澤さん……! もう、どこ行ってたんだよぉ!!」
「さっき言ったでしょう、他の作家さんへの挨拶です。どこぞの作家センセイに振り回されないうちに済ませておこう、と思っていましたが、正解のようですね」
 照と影踏の顔を一瞥し、黒澤は浅いため息をつく。
「で? 今度は何がどうなったんです。説明してもらえますか」
「え、あ……えーと」
「ああ、説明は緑埜さん、お願いできますか。こういうのは、あなたが得意でしょう」
「……何か棘を感じるが、まあいいだろう」
 黒澤を睨み付けた緑埜は、個人的な悪意が多めではあるものの、照よりはだいぶ分かりやすく状況を話してくれた。
「なるほど。輝田先生の持ち物がなくなっていて、その犯人として影踏先生とテルテル先生が疑われたが、テルテル先生の例のヒラメキは緑埜さんを指名したと。やったんですか? 緑埜さん」
「やる訳ないだろうが!!」
 緑埜に怒鳴りつけられても、黒澤は平然としている。
「そうでしょうね。いくらなんでも、この場で輝田先生の財布や名刺入れを盗むなんてリスクが大きすぎます。しかも緑埜さんは、輝田さんを口説いている最中ですものね」
「あれ? でもブラックスワンって漫画雑誌……」
 多芸な輝田であるが、漫画まで書けるのか。不思議に思った照の肩を、黒澤は軽く叩く。
「原作、原案、コミカライズ。小説家にだって、いくらでも関わっていただくポストはありますから。緑埜さんがあなたを口説かないどころか、犯人扱いさえするのは、部数の積み増しにあまり期待できないからです」
「優しい表情で余計な説明するのやめてくれる!?」
 分かってるわい! と言い返す照を尻目に、黒澤は真面目な顔になって考え込んでいる。
「とりあえず、一度外へ……いや、だめだな。内々に済ませた、と思われないほうがよさそうですね」
 思わぬ出し物だとでも思われているのか、そろそろ受賞者の挨拶が始まりそうだというのに、注目の視線が散る様子はない。こうも耳目を集めてしまった以上、人目を避けるのは逆効果と見た黒澤は輝田に頼み事を始めた。
「輝田先生、恐れ入りますが、このお三方のボディチェックをお願いできますか」
「そうか、君はこの三人の関係者だものな。いいよ、ボディチェックをするのは初めてだ」
 気さくに引き受けた輝田は「ごめんね」と言いながら、嫌疑をかけられた三人の体をチェックし始める。しかし、誰も盗品を隠し持っているようなことはなかった。影踏の懐から危ないグッズなどが出てこないかと、照は勝手にハラハラしていたが、そっちも余計な心配だった。
「確認した限り、俺の物を持っている様子はないね」
 立食式パーティの参加者だ。全員の持ち物は少なく、チェックはあっさりと終わった。
「そのようですね。盗んですぐにクロークへ預けたり、どこかへ隠した可能性もありますが、ひとまずは置いておきましょう。ところで輝田先生は、全員と今日この会場で、初めて会ったんですよね?」
 黒澤の確認に輝田はうなずいた。
「テルテル先生と影踏先生とは、ついさっき会ったばかりだよ。でも、緑埜さんは今日、俺を家まで迎えに来てくれたんだよね」
「……風伝出版さん、輝田先生にはそこまでするんだ……」
 影踏の悲しいつぶやきに、照もひっそり同意していた。
「コンビニまでは、少なくとも財布はあったのは間違いないけど……ホテルに着いてからは、ひっきりなしに人と挨拶をしていて、名刺も出せないぐらいだったからね。逆に言えば、それまでの間に盗まれたとなれば、辻褄は合うかな。料理で手が塞がっていたことも多いから、会場内でも可能か」
「そんな、輝田先生!」
 サクサクと進む推理に耐えかねたように、緑埜が悲痛な叫びを上げる。気の毒だが、一定の筋は通っていると照にも思えた。
「だから、俺のヒラメキも緑埜さんを指名……?」
「ふ、ふざけるなよ、この電波坊主が! 貴様もだ黒澤、そもそもなんで貴様が仕切るんだ……!!」
 照を示すネットスラングを吐き捨て、緑埜が黒澤に掴みかかろうとする。
「容疑者扱いされているあなたが仕切ると、かえって疑惑を招くと思いまして」
黒澤はドストレートな正論で応じる。ますます頭に血が上った様子の緑埜を照が慌てて止めようとしていると、
「なあに、なんの騒ぎ?」
 不快そうな女性の声が聞こえてきた。せっかくの謝恩会でトラブルか、と怒っているのではない。トラブルによって自分への注目度が下がったことに怒っているのだと、照は知っていた。
「恋姫先生……」
 年齢不詳の派手めな美女が、アイラインでくっきり縁取られた瞳を吊り上げてこちらを睨み付けている。お立ち台でバンバン扇を振り回していそうなスタイルが似合う、見た目も性格も超攻撃型の人気漫画家、恋姫だ。思惑どおり、なんだなんだと集まってきた視線の中心で、彼女はニヤリと紅い唇を吊り上げた。
「あーら、輝田先生。私を放り出してどこへ行ったのかと思ったら、さすが稀代の売れっ子作家は違うわねぇ。まだ風伝出版で書いてもいないのに、話題の中心とは結構なご身分ですこと」
 さっきまで、この調子で絡まれまくっていたらしい。照に声をかけてきたのは、恋姫から逃げるためでもあったのだろう。さすがの輝田も苦笑いを浮かべる。
「よしてくださいよ、恋姫先生。今の俺は、一応被害者って立場なんですから」
「被害者?」
 勝ち組輝田には似つかわしくない単語を聞いて、恋姫は片眉を上げた。その眼が動き、それまで無視していた雑魚を捉える。
「あら、テルテルに黒澤じゃないの。あんたたち、また何かやらかしたの?」
 この間やらかしたのは恋姫だったと思うが、それを指摘しても泥沼になるだけだと黒澤も知っている。ため息で受け流した。
「人聞きの悪いことを言わないでほしいですね。やったのはテルテル先生です」
「や、やってない! 俺は輝田先生の持ち物なんて、盗ってないってば!!」
 恋姫にまで犯人扱いされては困ると、照は懸命に否定した。
「どういうことだい、黒澤くん、緑埜くん。さすがの僕も、謝恩会で盗難騒ぎはちょっと見過ごせないなあ」
 恋姫の横でつぶやいたのは緑埜の仮想敵、灰島仙人だ。本日は小粋なスーツ姿でビシッと決めている。普段は服装だけビシッとしていても中身はゆるふわ初老の紳士なのだが、事態が事態であるだけに表情も引き締まって見えた。
「へ、編集長、あなた、輝田先生に挨拶もせずに、一体どこへ……!」
「灰島は今日は私の専属なの。何か文句ある?」
 緑埜の追及を、恋姫が一刀両断した。本来の恋姫の担当は淡路琴子というひ弱な女性編集者なのだが、今日は別の場所でこき使われているようだ。
 緑埜も恋姫相手ではゴネられない。うぐ、と悔しそうに口をつぐむのと入れ替わって黒澤が口を開いた。
「恋姫先生、編集長、それがですね……」
 状況をかいつまんで説明され、恋姫はなんだ、という表情になって即座に断言した。
「この三人が容疑者? ないわね」
「恋姫先生、俺たちのことを信じてくれるんですね……!」
 相手はあの恋姫だ。裁判なしで死刑を言い渡されるレベルの覚悟をしていた照は、感激に瞳を輝かせる。新刊が出るたびに、黒澤経由でサイン本を貢がされた甲斐があった。
「三人とも、盗難騒ぎを起こして平然としていられる神経の持ち主じゃないでしょ。無理よ」
「ですよね」
 照の頭上を飛び越えて、恋姫と黒澤は納得し合っている。二人に代わって影踏が「黒澤さんは、その、テルテル先生をとても理解していらっしゃいますから……」と慰めてくれた。黒澤が普段、照についてどう語っているのかまで理解してしまい、余計に落ち込んだ。
「しかし、そうなると、なぜ輝田先生の持ち物がなくなったか、なんですが……」
「……そうね」
 ふむ、と恋姫は思案を巡らせる。
「私には劣るものの、そこそこの人気作家の身に降りかかった盗難事件……読者を引き込む展開だわ。ここから後に起こる、大きな事件に繋がればさらにいい……」
フーダニットもハウダニットも飛び越えて、恋姫が始めたのはプロット作りだった。オーディエンスの多くを占める作家たちも触発されたようだ。
「なるほど……俺ならあえて、間にフェイクの事件を一つ混ぜるかな」
「なら、あたしはあえて、そのフェイクの事件も最後には一つの大きな事件に繋がるようにするかな」
「うーん、連載ものの第一話なら、この事件はただの顔見せで消費するけど……最終回できれいに回収するとかは、やりたいね」
「盗難事件でスタートは地味じゃね? やっぱのっけから死体を転がせ、これでしょ」
「輝田先生の死体が転がるのが一番映えるんだよね、ヴィジュアル的に。殺人だと、犯人っぽいのは作風がヤバい影踏先生、次点で電波がヤバいテルテル先生……ということは、緑埜副編が犯人が妥当……と見せかけての恋姫先生、いや灰島編集長……!」
「ストップ! 大喜利はやめてください、これは現実に起こった事件なんですからー!! 輝田先生、いや輝田さんがかわいそうです! 殺さないで!!」
 人気作家に編集長まで登場し、クリエイター魂に火が点いたらしい。結構な話だが、それは各自の打ち合わせでやって! 明後日の方向に走り出した場を諫めようと、照は懸命に声を張り上げた。
「あはは、いいよいいよ、テルテル先生。俺を肴に面白い作品が生み出されるなら」
 当の輝田はお気楽に笑っている。
「いや、この場をどうにかしないと、俺たちの嫌疑も晴れないんですけど……?」
「それに、やはり財布もスマホもないのはお困りでしょう」
 しばらく黙り込んでいた黒澤が口添えしても、輝田ののんきな反応は変わらない。
「構わないよ、どうせ十万ぐらいしか入ってない財布だし。クレカだって、変な使い方をされたら、最近はすぐ止まるしね。この間財布を落とした時も、そうだったし。あ、でも、スマホはちょっと困るかな……」
「テルテル先生、僕、がんばって売れようと思います……」
「奇遇ですね、俺も今そう思ってます……」
 影踏と照が悲しい決意を固めているのを尻目に、黒澤は何やら思い付いた顔をしていた。
「岡田さんの時なんかがそうでしたが、テルテル先生は犯人を当てるとは限らないんですよね」
 恋姫がちょっとばつの悪そうな顔をしたのは、彼女が犯人扱いされた時のことを思い出したのだろう。
「キーパーソンを当てるといいますか……その人に眼を向けることで、全体像が変わってくるといいますか。要するに、緑埜さんが関わっているという視点を持てば、この事件は見え方が違ってくると思うんです」
「わ、私が? 馬鹿を言うな、私は何も……!」
 ストレートな糾弾とは異なるとはいえ、何かやらかした、と言われているのは変わりない。狼狽する緑埜の反応を確認した黒澤は決まり文句を口にした。
「ですが、この件はもっと簡単に片付くような気もしています。では、いつもどおり、オチだけいただくとしましょうか」
 そして、おもむろに輝田を見た。
「失礼ですけど輝田先生、お荷物を部屋に置き忘れられたのでは?」
「え?」
「重ねて失礼ながら、輝田先生は、意外に適当……というか、鷹揚な方だと各所より伺っております。本日こちらにお泊まりということは、着替えなどを置きに一度部屋に入られたのではないですか」
「そうだな、黒澤さんの言うとおりかも。いや、実は、さっきからそんな気もしてたんだよね。みんなが盛り上がってるから、なかなか言い出せなくて」
 記憶を辿る素振りをした輝田は、あっけらかんと忘れ物説を支持した。
「えぇ、そんなオチ……!? あっ、いや、でも、現実はそんなものですよね」
 一瞬ショックを受けた照だったが、盗難事件そのものがなかったのなら、それに越したことはないと思い直す。悪者は誰もいなかった、完璧なハッピーエンドではないか。
「ですが……いえ。まあ、見付かれば解決ですからね。それでは輝田さん、部屋へ確認しに行きましょう。容疑者のみなさんも、ご一緒されますか?」
「当然だろ! ちゃんと解決を確認しないと!!」
「ええ、できれば、僕も結末を見届けたいので……」
 当然だとばかりに照と影踏も名乗りを上げた。欠席裁判はごめんである。
「ああ、テルテル先生と影踏先生が来てくれるなら嬉しいな。名刺交換ができる」
 どこまでもノンビリした輝田を先頭に、照たちはホテルの上階にある彼の部屋へと移動し始めた。恋姫も同行したそうな素振りを見せたが、
「恋姫先生が関わるような大きな事件じゃないし、授賞式に先だって挨拶をしてもらわないと。みんな、あなたの愛ある酷評を楽しみにしてるんだから」
「……フン、まあね。見たところ、どいつもこいつも小粒でつまらない連中だけれど、だからこそ、この私直々に批評してもらえる機会は二度とないでしょうからね」
 灰島に引き留められた恋姫は、渋々と会場に留まった。

 輝田が泊まっているのは十階だった。聞けばこの階はほぼ全て、本日の謝恩会の招待客で埋まっているらしい。聞かなければよかったと、照はちょっと落ち込んだ。
「いつか俺も、ホテルの部屋を用意される身分になってやる……」
「あなたは家が近いんですから、そもそも泊まる必要はないでしょう。特別製のカレーでももらって帰ったほうが嬉しいのでは?」
「気分の問題だろ! でもホテルのカレーがうまいのは分かる!!」
 上昇するエレベーターの中で黒澤と軽口を叩き合い、「そうか、テルテル先生は、ホテル代とか関係ないんだ……」とうっすら凹む影踏を慰めているうちに、あっという間に目当ての階に辿り着いた。半円形のエレベーターホールの先には、左右に客室が並んだ長い廊下がある。
 その向こうから歩いてくるのは、このホテルの従業員の制服に身を包んだ若者だった。謝恩会で客が出払っている間に掃除をしていたのだろうと、照も最初は思った。
 だが、何か直感に訴えるものがあった。いつものヒラメキではなく、根拠がある。
 彼は輝田を見た瞬間、ギクリとしたのだ。顔が売れた有名人にばったり出会して驚いた、にしては妙な反応だった。
「テルテル先生!?」
 いきなり駆け出した照に黒澤がギョッとした声を出す。一番慣れている黒澤でさえ、名前を呼ぶので精一杯。あとの三人は呆然と見守るなか、照は猛ダッシュで件の従業員に駆け寄った。
 輝田を見た時の比ではなくビビった顔をした彼は、驚きすぎて一瞬固まった。その隙に照は彼に追いつき、その手を掴もうとした。
 従業員は当然避ける。照は諦めずに手を伸ばす。払い除ける。逆方向から手を伸ばす。身をひねって避ける。
 言葉にすると華麗な応酬のようだが、実際は両者共にへっぴり腰でのやり取りだ。追ってきた黒澤たちも、逆に手を貸すタイミングを掴みかねているようである。
 現代人は、成人男性であってもリアルバウトの経験などない者が大半。照も妄想の中では歴戦の勇者だが、現実では子供の頃、妹と何度か取っ組み合いをしたぐらいだ。
「えっ、ちょ、あの」
「えっと、その、えーと」
 モタついたやり合いの最中、照と従業員は息を切らしながら言葉を交わす。
「な、なんですか」
「なんでって、あなたが逃げようとするから」
「逃げようとなんてしてません!」
「だけど、輝田さんを見て、妙にびっくりしてましたよね?」
 ただの従業員であれば、お客様には礼儀正しく会釈をして通りすぎればいい。だが彼は、むしろ逃げ出しそうな顔をしていた。
 彼以外の従業員の姿が見当たらず、掃除用具などを持っている様子がないのも不自然である。そもそもこの階の泊まり客は謝恩会の参加者であり、今日チェックインした者が大半。チェックイン前に清掃は済ませているだろうから、掃除が必要なのは明日だ。
「ボディチェック、させてください。やましいところがないなら……、うわっ!」
 ボディチェックの言葉が出た途端、従業員の顔が歪んだ。いきなり正面からタックルされた照はその場にひっくり返る。
 同時に従業員は反対方向に駆け出した。そちらにエレベーターはないが、非常階段があるのだ。
「この馬鹿!」
 怒鳴った黒澤が、すばやく照の横に屈み込んだ。大きな怪我などがないことを確かめながら、緑埜に指示を飛ばす。
「緑埜さん、そこの電話からフロントに連絡を。うまくいけば下で捕まえられるでしょう。早く!」
「わ、分かった!」
 緑埜がエレベーターホールに設置されていた電話の受話器を取り上げる。始末はそちらに任せ、黒澤は立ち上がった照を叱りつけた。
「危ないじゃないですか! 何かやらかす時は、手を挙げて俺に知らせるように言ったでしょう!?」
「や、でも、止めないと、輝田先生の財布が」
「向こうが刃物でも持っていたらどうするんです! 何食わぬ顔でやり過ごし、こっそり警備員を呼ぶことだって……!」
「まあ、まあ」
 カンカンになって怒る黒澤と首を竦めている照の間に、輝田がやんわりと割り込んだ。
「無事だったんだから、よかったじゃないか。大丈夫? テルテル先生。痛いところ、ない?」
「平気です。軽く尻餅を突いただけなんで……」
 ケンカ慣れしていない同士だったため、突き飛ばされるだけで済んだのだ。苦笑いする照を輝田はすっかり感心した様子で眺めている。
「すごいな、テルテル先生。さっきの従業員が俺の物を盗んだって、分かったんだ」
「……状況を見るに、そのようですね。出版業界だけではなく、ホテル業界も不況で人材不足のようです」
 やれやれと黒澤は肩を竦める。
 輝田が部屋に置き忘れた私物を、さっきの従業員が持ち去った。他の部屋も一通り荒らし回ったことだろう。仕事を終え、何食わぬ顔で出て来たところで、宴もたけなわのはずの被害者とばったり遭遇し、照に詰め寄られて気が動転したというのが一連の事件の顛末のようだった。なまじ輝田の顔が売れているだけに、無反応を貫けなかったのだ。
「いや、俺は、それがはっきり分かった訳じゃあ……」
「そ、そうだ! 私が悪いなどと、言いがかりを付けてきた!」
 ホテルへの通報を終えた緑埜が食ってかかる。
「その件なのですが、どうやらテルテル先生の事件に関するヒラメキは、やはり直接犯人を示すものではないようなんですよね」
 照も無事、事件も解決に向かったと見た黒澤にはいつもの冷静さが戻っていた。
「正確に言うと、アクシデントの最中にヒラメキが降りて来ると、その瞬間に一番近くにいる事件のキーパーソンを当てる、というところでしょう。だから岡田さんの件では、俺を悪者呼ばわりした訳で」
「黒澤さん、あれは本当に悪かったけど、そろそろ岡田さんの話はやめよう……?」
 女子高生への冴えないハートブレイクなど、そう何度も思い出したいものではない。小声の嘆願に、緑埜の大声が被さった。
「私のどこがキーパーソンだ!? あの泥棒は私が仕込んだとでも!?」
 いまだ納得がいかない様子の彼に、輝田が少し考えてから口を挟む。
「今回の場合は、緑埜さんが騒がなければ、俺ももっと早く部屋に忘れたかも、って言えたからじゃないかな」
「……え?」
 ぎしっと固まった緑埜に輝田は苦笑する。
「あー、責めてる訳じゃないんだ。緑埜さんが俺のために言ってくれたのも分かってる。つい、みんなが喜びそうな選択をしちゃう俺のせいだよ。でも……」
 微笑んだ輝田がサングラスを外す。照明の明かりに少し眼を細めながら、
「今回のMVPは、やっぱりテルテル先生だな。俺のために体を張ってくれて、ありがとう。あなたが刺されたりしなくて、よかった」
「いえ、とんでもないです! 輝田先生の物が、無事に戻ってきそうでよかった……」
 折良く緑埜のスマホにフロントから連絡が入った。「捕まえていただけましたか!」という安堵の声を聞きながら、輝田は決断を下す。
「決めた。俺、真ん中文庫で書く」
「へ?」
「風伝出版で一冊書いてほしい、って話だったけど、ジャンルの指定はなかったからさ。いいかな、黒澤さん」
 これにはさすがの黒澤も戸惑いを隠せない。
「ええ、灰島も喜ぶでしょうが……ところで、うちはキャラ文芸ですけど、いいですか? もちろん、輝田先生がマルチな才能をお持ちであることは存じていますが、これまでこのジャンルで出されたことは……」
「大丈夫だよ。真ん中文庫から出てる本の見本を送ってもらえれば、傾向と対策は分かるから。あ、テルテル先生の本は全部持ってるから大丈夫。この人の作風は真似できないけどね」
「そ、そんな、輝田先生……!」
 送迎までして点数稼ぎに懸命だった緑埜を振り返った輝田は、「じゃあ、原案ぐらいになっちゃうかもしれないけど、ブラックスワンでも書くよ」とあっさり請け合った。
「本当ですか!? よかった! あの、それと、先程の盗人が輝田先生の財布やスマホを持っていたようです。お手数ですが、一階で確認してほしいと……」
「分かった。それじゃあ黒澤さん、あとでテルテル先生の連絡先も教えてね! できれば影踏先生のも!!」
 サングラスをかけ直した輝田は、快活な笑みを残して緑埜と共に去っていく。まだ呆然としていた照は、思わず黒澤と顔を見合わせた。
「え……? 輝田さん、本当に真ん中文庫で書くの……?」
「そのようですよ、MVPさん。輝田先生が正気に戻らないうちに、メールで言質を取っておきましょう。編集長にも話を通さないとな……」
 ふう、と息を吐いた黒澤は、ようやく喜びを感じ始めたようだ。
「いや、まさしくMVPですよ、テルテル先生。もう二度と一人で怪しい相手に立ち向かったりしないと、あなたからも言質を取らせていただきますが、その無謀さが輝田先生の心を掴んだのは確かです」
「そうですよね。僕も感動しました」
 影踏にまで言われて、照は猛烈に照れた。
「い、いやあ、そんな……俺はただ、輝田さんを助けたくて……」
「元々ファンですものね、あなたは。幸いに輝田先生も、最初からテルテル先生を気に入っていた様子だ。次の新刊の推薦文ぐらい頼めるでしょう」
「ううっ、ぜ、ぜひ……!!」
 誰が真ん中文庫で書こうが、作家としての照に直接的なメリットはない。だが輝田が世辞抜きで推薦文をくれるとなれば、彼のファンを呼び込める。
 輝田ファンが求めるような王道エンタテインメント性を照の作品から感じ取るのは難しいため、多くは一見さんで終わるだろうが、影踏も言っていたではないか。直球の王道ではないからこそ、読者の母数を増やせば活路は開ける、と。見せてやるぜ、俺のカクニャンの可愛さ!
「僕も、これから一生懸命頑張ります、黒澤さん」
 影踏も気合いの入った宣言をした。その顔はやけに爽やかで、単に意気込んでいるだけ、という風ではない。
「テルテル先生のおかげで、天啓を得た気がするんだ。お二人と一緒に、真ん中文庫を盛り立てていきたい。どうぞよろしくお願いします!」
 猫背をシャキッとさせ、長い体を折り曲げて、ペコッと頭を下げる影踏の張り切りぶりに黒澤は微妙な顔でため息をつく。
「影踏先生まで、あなたのファンにしたんですか……いるんですよね。玄人受けするというか、業界受けする作家って。他人のインスピレーションの源にはなりますが、ご本人はマイナー気味で、知る人ぞ知る、という感じになりがちですけど……」
「ほっといてくれよ!」
 好かれるっていいことじゃん!! とムキになる照へと、影踏がすっと手を差し出す。
「改めてよろしくね、テルテル先生」
「はい! あの、でも、ご本のほうはお手柔らかにお願いしますね……? ヒーローもヒロインも、できるだけ……できるだけ、悲しい思いをさせない方向で……」
 なんのトラブルもないストーリーも、それはそれでつまらないだろうが、影踏作品のトラブルは心に食い込みすぎるのだ。新作を読みたい気持ちは強いものの、読む前に事前準備が必要なことを考えると、あまりやる気を出されても困る。
「大丈夫。僕のこだわりはそのままに、真ん中文庫の読者層にも受け入れられるアイディアを思い付いたから。そうだ、名刺交換してもらえます?」
「はい、もちろん!」
照が取り出した名刺を、影踏はしげしげと眺めている。
「あ、住所も本名も入ってるのをくれるんだね。へえ、テルテル先生、本名も照っていうんだ」
「ええ、俺、作り分けていないので……」
 作家によってはメールアドレスと電話番号しか入っていないものを別に作っているようなのだが、照の名刺はデビュー当時に黒澤に言われるままに作った一パターンだけ。はしゃいでいっぱい作ってしまったこともあって、当時のものがまだ残っているのだ。早く使い切りたい。
「さて、俺たちも会場に戻りませんか。輝田先生はあの様子だと、大事にする気はなさそうだ。謝恩会が中止、ということはないでしょう」
「そうだな。夕飯はここで食べていく予定だったし。もうローストビーフはだめだろうけど、他のは残ってるだろうし……!」
 本当に大した怪我ではなかったのだろう。ウキウキとエレベーターに戻っていく照を眺めて安心した黒澤は、その背を追いながら影踏に尋ねた。
「ところで、影踏先生。あの人の影響で天啓を受けたとのことですが、担当編集として、どんなものかお聞きしてもよろしいですか?」
 黒澤も影踏の特異な才能を高く評価している。だが、コンタクトを取った時の彼はイマイチパッとしない作家人生に卑屈になっており、オドオドしている印象が強かった。
 照の影響で前向きになってくれたのは嬉しいが、急すぎる変化は無理に繋がることも多い。探りを入れると、影踏は黒澤の不安など知らぬげにニコニコと語ってくれた。
「ええ、とてもいいアイディアです! 主人公は『しろちゃん』と呼ばれる女の子。明るくて正義感が強くて、おっちょこちょいなところもあるけど、とってもいい子なんです」
「……『しろちゃん』、ですか」
 白川照、と書かれた名刺を大事そうに財布へしまう彼に、とりあえず黒澤は相槌を打った。当の照は三人一緒に入ったエレベーターのボタンを、フンフンと鼻歌を歌いながら押したところだ。心は豪華なディナーに飛んでおり、こちらの話は耳に入っていない。
「そんな『しろちゃん』が、仲間たちと繰り広げる日常。小さなトラブルはあるけれど、愛と勇気と正義が必ず全てを解決する、ハッピーハートフルストーリー……」
「……大丈夫ですか? 『しろちゃん』、ラストで死んだりしませんか?」
 主人公が死ぬからといって、一口にバッドエンドでは括れない。命以上の何かを得て終わるなら、それもいいだろうと黒澤自身は許容するが、多分真ん中文庫の読者は許さない。
「もちろんです。これは、絶望の底にいる『しろちゃん』が見ている幸せな夢だから」
「俺の~寿司~♪ 天ぷら~♪」
 照は下手くそなオリジナルソングに熱中している。
「もちろん、読者さんにはそういう裏事情はバラしませんけれどね。つらい人生に耐えかねた『しろちゃん』が夢見る、幸福なおとぎ話。そういう形でなら、僕にだって終始優しく温かな話が書ける。『しろちゃん』、じゃない、テルテル先生は、そんなインスピレーションを僕に与えてくれたんです……!」
「……いいですけどね、面白くて売れればなんでも」
 照の才能を引き出すためであれば、彼の失恋さえ喜んできた黒澤だ。ただ静かに瞑目した。
「かげふみ」のペンネームで発表された新刊が童話のような手触りで読者の心を癒し、スマッシュヒットを飛ばしてシリーズ化するのは後の話である。

小説家。「死神姫の再婚」でデビュー以降、主に少女向けエンタメ作品を執筆していますが、割となんでも読むしなんでも書きます。RPGが好き。お仕事の依頼などありましたらonogami★(★を@に変換してね)gmail.comにご連絡ください。