君の名は(肉じゃなく魚)

子供の頃、ドラえもんのことわざ大事典的なものをお母さんに買ってもらって、子供ながらに“げぇ~そんな意味があるんだ”と関心したことを覚えています。最近の小学生が授業でことわざを学ぶかどうかは知りませんが、数あることわざを私が独断で分析します。


(5)味噌を付ける
失敗する。しくじる。巧く行かなくなる。
面目(めんぼく)を失う。醜態(しゅうたい)を曝(さら)す。

おいお前、魚を肉みたいって二度というな。

この ことわざは本当に味噌に失礼だと私は心底憤慨している。味噌だけに限らずそれはそいつに失礼だろ、と言いたくなる例えがある。

『わぁ、このお魚 お肉みたいですね。美味しい!』
いつどこで誰が肉は魚より立場が上だと決めつけたのだろうか。例えば私が『今日のメイク石原さとみみたいで可愛いね』と言われたとしたら、誰がどう見ても私より石原さとみのほうがお美しいので最高の褒め言葉になるが、魚はどうだろうか。魚にも魚の人生があり魚としてのプライドを持って生きてきたはずだ。(注:私も私の人生がありプライドを持って生きてます)
しかし魚として生まれた運命、人間に食べられることとなり、己の形がこの世に存在する最後の瞬間に見たこともない牛や豚に例えられて魚は一体どう思うのだろうか。
鰯に関して言えば『海の牧草』などと呼ばれることもある。これは鰯という魚は他の魚の餌になることが多い為に付けられた別名のようだが、人間で言えば『金魚のふん』に相当する酷さだと私は思う。
そもそも、牡蠣を『海のミルク』と呼んだのは牡蠣のビジュアルや栄養素を考慮して付けられたものと言われているが『海の牧草』は食物連鎖に例えるなら【人間→魚→鰯】と鰯を2つも下に見ているように思う。これだけ鰯に肩入れするなんてよほどの鰯好きか鰯漁師の娘かのようだが、全くそうではない。自分で鰯は買わないし寿司屋でも鰯は選ばない。ただあまりに鰯が可哀想で・・・。


味噌だってこんな例えに使われるために味噌になったんじゃない。味噌は私たちの生活に酸素と同じくらい共にある。アレルギーでない限り、お味噌汁を飲まないで育った日本人は居ないと言っても過言ではない。お味噌汁、味噌ラーメン、味噌田楽、味噌煎餅、肉味噌、味噌は物凄く使い勝手がいい。二日酔いの胃袋にもそっと寄り添ってくれる優しさだって持っている。
それなのに失敗は醜態をさらすことの例えに味噌を使うなんて一体どうしたらそんな理不尽なことが言えるのだろうか。


あなたの名前がフミヤだとしてクラスメイトが「ダサい」ってことの例えとして「お前、フミヤってんな~www」みたいな言い方されたら傷つくよね? そーゆうことなのだよ。これで十分味噌の気持ちはご理解いただけたのではないだろうか。

生きる中で失敗をしたり醜態を晒してしまうことはある。どうにもこうにも避けられない瞬間がある。だけれども可能な限り、これを読んだあなたにはそんな瞬間に遭遇せずに生きていってもらいたい。それはあなたの為ではなく味噌の為に。1回でも少なく味噌が恥の例えとして登場しないように。


今日は特にグーグル先生に聞くことはない。
その代わり、このことわざに関係する全てをグーグルから消してくださいとお願いをしたい。

そう、味噌のために。

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