ジブリ飯。

『ジブリ飯』という言葉がある。
ジブリ映画に登場する美味しそうな食事のことだ。
よっぽど親がジブリ嫌いか海外育ちか宗教上の理由でもない限り、ジブリ映画はアンパンマンやディズニー同様、皆が通る道と言ってもいいと私は思っている。

『ジブリ飯』その中で何が食べたい論争は色々な所で繰り広げられていて、超メジャー級のものから、え?そんな食べ物出てきた?なんてものまであって、それを踏まえて映画を見るとめちゃくちゃ美味しそうだったりする。
『ジブリ飯』はどうしてあんなに心揺さぶられるのだろうか。ふとそんな事を思いジブリの食事シーンについて調べてみると、こんな事を思った。

腹が減っては戦は出来ぬ

崖の上のぽにょに登場するハムラーメンや、魔女の宅急便のホットケーキなど、とても穏やかなシーンも勿論あるのだが、ジブリの食事シーンの多くが戦いへの準備として食べていることが多いように思う。

千と千尋の神隠しでハクが千に与えたおにぎりは、元気が出るように呪いをかけたと言って渡してくれたただの塩むすびだが、これを食べてワンワン泣いた千はその後涙を見せることなく、自分のやるべき事を全うした。

ハウルの動く城でハウルが作ったベーコンエッグは卵の半熟加減とベーコンの厚さが満点であることさながら、ぺろんと一瞬で飲むように食べきる彼らの姿に、日々緊張感を持ち生活をする逞しさや強さのようなものを感じる。

もののけ姫でサンがアシタカに食べさせた干し肉も、一体それが何なのか論争はあるが、戦うためには生きること、そして生きるためには食うこと、そんなことを感じる。

戦いと一言で表してしまったが決して戦争のような肉体的な争いだけでなく、己との戦いや我慢、新しい地への挑戦や心の成長のような“さぁ今こそ”という瞬間に『ジブリ飯』は多く登場するのではないだろうか。

『さぁ、これを食べたらもう泣かないよ。頑張りなさい。』
こんな台詞を私は人生できっと投げかけられたことはないが、不思議と親近感があるのは、きっとアニメやドラマで見かけたり、直接できてはなくても、わしわしご飯を食べ終わると前を向く主人公の姿を見て、感銘を受け自分も頑張ろうとか、挑戦してみようとか、かっこいいなとか思っていたのかもしれない。だからこそ『ジブリ飯』は心揺さぶられ注目をしてしまうシーンなのだろう。

そんな『ジブリ飯』の中で私が唯一受け入れられないものがある。
それはさつきが家族の為に作ったお弁当だ。

となりのトトロの時代設定は一節によると1950-60年代らしい。世間でババァと呼ばれる年齢になった私でも生まれていないので、パっとその時代を頭の中で思い浮かべることは出来ないので“なかなか昔系”という事にする。1952年設定が濃厚説もあるがウィキで調べた結果ややこしそうなので割愛して“色んな事件が多かった”という事にする。
そんなやんややんやしていた時代と思えば、このおかずも仕方がない(お母さん入院してるし)とも思うし、そもそも作ってるの小学生だし、別に人の家のおかずに文句つけるなんてナンセンスなことをしたいわけではないが、なにせ私は桜でんぶが大の苦手なのだ。太巻きに桜でんぶが入っていようものなら、人前でこそ食べるが自分一人であれば箸でそぎ落として食べるくらい私と桜でんぶの関係は悪い。

私はこのお弁当を見た時に【桜でんぶと目刺しとほうれん草のお浸し】と認知していたが、これはほうれん草ではなく塩ゆでしたえんどう豆らしい。
豆か・・・。なおさらダメだ・・・。枝豆か空豆か納豆なら大丈夫だけど、えんどう豆はダメだ・・・。
さつきには本当に申し訳ないが、私はさつきのお弁当ダメかもしれない。

だからなんだって話なんだけど。

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