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誰かのしたこと、言ったことやその人自身のことを悪いと糾弾したり、強く否する人をさして「意…
何年もかけて追っていた作家がいた。その作家は中年を過ぎてもいつまでもあれができない、こ…
「人生」や「幸福」、そして「善悪」や「よい人間・悪い人間」といった巨大な概念を解体し、「…
この記事は「平気で生きるということ」をご購読いただいている皆様に向けたご連絡です。
「平気で生きるということ」では始まってから今に至るまで、手を変え品を変えて同じひとつのことを言っている。それは「ものごとの全体や本質を示す大きなイメージを捨て、それを構成しているひとつひとつの重要さを取り戻す」ということだ。 これらの主張は抽象的な哲学の概念でも詩歌でもなく僕たちの今日の生活、つまり仕事したり問題に対処したりゴミを捨てたり洗濯するということに密接に関わっている。今回と次回の二回分を費やして、人が生活に追いつかなくなり、生活に襲われる状態と、生活を取り戻す
高度な社会において、ほとんどの人は目の前にある生活ではなく「人生とはこういうものだ」「…
このマガジン、「平気で生きるということ」は2019年4月にほとんど見切り発車でスタートし、予…
「平気で生きるということ」の案内文で以下のようなことを書いた。 ――両者の世界は断絶され…
おおよそほとんどの人間の行動指針は大まかに二つに分けることができる。 一つは、「良いこと…
社会は社会に必要な人間、必要な事象、そして必要な行為を定義し、その必要性に応じて定量化さ…
ここに1986年に刊行されたオノ・ヨーコの著書「ただの私」があるので、その一部を引用してみよ…
「うまくいかないのならやりたくない。結果が出せないのなら淘汰されて然るべきだ。」 社会において「夢」や「願望」といったものがいかに美辞麗句をもって肯定されたとしても、それが許されるのは「生産的である」という前提を満たしている限りの話だ。その中にあって金銭や数字によって表現できない価値、「私はこれが好きだ」とか「私はこれをするのが楽しい」という思いは人が生き、社会や世が求めるものが何なのかというのを熟知する過程で「もっと標準化された価値観」に取って変わられ、空洞化していく。