些細なことで傷ついてしまう人たち

少しのことで傷ついてしまう人について考えてみよう。

少しのことで傷つく人について端的に言い表すと、「持っている枠がでかい」のである。

持っている枠がでかい、とはどういうことかというと、たとえば何か嫌なことがある。ふつうの人は「嫌なことがあったな」で終わる。だが、余計に傷つく人というのは、「今日は嫌な一日だな」とか、「自分はこういう嫌な人間なのだな」とか、「こういうことが起きる人生が、自分という不幸な人間の人生なんだな」というところまで考える。

有体に言って、不幸な人というのはみんなこういう考え方をしている。一事が万事なのである。


これまで、人の持っているある面、あるいはその人の行動などを、その人の一部と考えず、全体(つまりその人の本質)と考えることの危うさについて説いてきた。そして同様に、「一部から全体を考える」、つまりものごとについてそれ自体でなく「それを覆っている大きな枠、そしてその本質」のようなことがらを考えるということが、人の精神や生活をいかに害し、破壊し得るかということについて考えてみたい。



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