イエス/バットな肯定論

ある繊細な人、客観的に見ても悲惨な人生を送っている人が自身の経験について軽妙にユーモラスに書いたすぐれた本があって、それが各所で絶賛されていた時期のことだ。知り合いがその本を読みもせずにボロクソに言い始めて、大嫌いと言い放ったことがある。そのとき、そんな本じゃないよとか、なんて適当な人だとかまっさきに思うべきことより前に僕は、そんな発想があるのか青天の霹靂という思いがあって、それから次に、こういうことを言ってくれるこの人がいてくれてよかったな、と素直に感じた。その人が適当な人であることには変わりないけれど。

繊細とか不幸、というのには共感がつきまとう。繊細でやさしい人というのは共感能力が優れていて、他の人の不幸に対して自分のことのように感じ入って、同情したり仲間意識を持ったりすることができるからだ。こういう性質があるから人が助け合えるのだけれど、もちろん問題もある。



さて、とりもなおさずあなたは自分の弱さに落ち込んでいて、なんとか助かりたいと思っているとする。そうするとあなたのもとには二冊の本が用意される。

一つ目は、あなたに自分を変えて幸せになれと言っている本、つまり自己啓発本だ。これは幸せな人が不幸な人に向けて書いた本である。

二つ目は、あなたは弱くても優しくて繊細な人だからそのままでいいと言っている本、小説とかエッセイとかそういう類のものだ。これは不幸な人が不幸な人に向けて書いた本である。

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