巨大な許可

誰かのしたこと、言ったことやその人自身のことを悪いと糾弾したり、強く否する人をさして「意見がはっきりした人、意志の強い人」だという人がいる。またそうする人のほうでも、自分は曲がらない、強い意志を持っていると思っている。

しかし、人の言動を感情的に否定したり、皮肉ったりするのは弱さからくる行動だ。むしろ人の意見を聞いて柔軟に主張を変えたり、指摘されて過ちを認めることのほうに強さは求められる。変化を受け入れるには芯がいるからだ。



悪い男がいる。その男は昔から悪いことばかりをしてきた。しかし男はあるとき、あるできごとをきっかけに改心し、それから罪を償って暮らしている。周りの人間は男が改心したことを喜び、称賛した。

このようないきさつを見るにつけ、必ずこういうことを言う人が現れる。「男が改心したところで昔悪いことをしたのに変わりはない。それなら賞賛すべきなのはずっと真面目に生きてきた人のほうだ」と。

「良い人間」「悪い人間」という観念の強い人は、「この人はこういう人だ」といちどジャッジしたらその見方を貫こうとしたがる。なぜなら、その人にとって「悪い人間」というのはその人間の本質で、本質というのは絶対に変化しないものだからだ。

この過程で次のような考え方が浮き彫りになる。

・道徳は自分のためではなく、他人に褒められるために守るものだ。

・人間は多面的な存在ではなく一つの本質を持ち続ける。

・人間は変化しないし、変化を許してはいけない。


「強く否定」する人は、相手に対して変わってほしいと心から思っているわけではない。むしろ相手が改心して謝ってきたら、そんなことは信じられない、あなたは悪人のはずだ、とより強く拒否することになる。なぜなら、強く否定し、許さないと決めた相手が改心したとき、その相手に投影していた自分自身、とりわけ許せない一面を直視することになるからだ。


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