ボカロを音楽だけ抜き出して語っても意味がない?

http://realsound.jp/2014/04/post-416.html
「初音ミクを介してローティーンにBUMPの歌が届いた」柴那典+さやわかが語るボカロシーンの現在

柴さんの本の、その先を捉えた刺激的な対談。

<柴:まさにギターと同じだと思うんです。そういう意味では「ボカロ」というジャンルが消滅していくんじゃないか、と思います。今まで「ボカロ」はジャンルとして捉えられていました。それって、60年代にベンチャーズとかが「エレキ」っていうジャンルで呼ばれていたのと同じなんじゃないかと思うんです。あのときは電気を使った音楽が珍しかったので、「エレキ」っていう括りがあった。で、今のボカロでおんなじことが起こっている。だから40年後の人にしたら、今のボカロというジャンル分けはナンセンスに映るんじゃないかと。>

<柴:さらに言えば、もしかしたら子どもたちにとって、小説やイラストを書くこと、動画を作ること、作曲をするっていうことはすでにシームレスになっている可能性さえある。たぶん、ボカロが目指しているのはそこだと思います。>

 ボカロものは音楽表現そのものとしては保守的である、というようなことを柴さんの本の感想で書いたけど、


https://note.mu/onojima/n/n726605d05e50

最初からメディアミックスされたボカロを、音楽そのものだけを抜き出して語っても意味がない、ということなのかな。

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