追悼:遠藤ミチロウさん

 最初にお会いしたのは、定冠詞のない「スターリン」時代だったと思う。「宝島」誌の、ジョン・ライドンとミチロウさんの対談記事の司会進行をやった時だった。ライドンがえらく愛想が良くて腰が低かったことと、ミチロウさんがすごく穏やかで静かな人だったのが意外だった。その次(3回目だったかも)は「フールズメイト」誌の取材。ちょうどソ連が崩壊した直後の時で、あれは共産主義の敗北だ、と言い切っていたのをよく覚えている。当時は「ソ連は運用の仕方がまずかっただけで、共産主義そのものはまだ有効だ」という意見もあったけど、ミチロウさんは「そんなものはこっちにいる一部の左翼知識人の幻想だ」と斬り捨てていたのが、ミチロウさんの出自を考えると興味深い。自分のバンドに「スターリン」という名前を冠した時点で、左翼幻想はとうの昔に捨てていたわけだ。

 それから何度もお会いして取材もした。キングからのソロ3部作再発盤のライナーのため、ツアー先の静岡(だったと思う)まで押しかけて話を伺ったこともある。ライヴはお会いする前も後も数限りなく見たけど、ここ最近はなかなかお目にかかる機会もなかった。最後にお見かけしたのは去年の橋の下音楽祭。杖をついていたけど、遠目にはお元気そうに見えた。その時のライヴは小さなテントで行われ、満員で見られなかった。またいつでも見る機会はあると思っていたけど……せめて一声だけでもお声がけすれば良かった。

 先日のミュージックマガジンの「50年の邦楽アルバム・ベスト100」企画で、私はザ・スターリンの「STOP JAP」を1位に選んだ。私なりに確信と自信をもって選んだけど、ほかに選んでる人がほとんどいなくて、52位に甘んじてしまったのが残念だった。

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 みんな書いているけど、本当に優しくて温和で物静かで、そして誰よりも知的な人だった。スタークラブのヒカゲとご自身を比較して「ヒカゲはパンクしか選択肢がなかったけど、自分はパンクであることを、あえて選んだんだ」と言っていたように、生粋のパンクではなかったかもしれないが、その姿勢は誰よりもパンクでロックだった。



 いろいろ想い出深い曲はあるけど、1曲だけと言うならやっぱりこれ。これはCDジャーナルで出た単行本「ニッポンの歌」で、自分の好きな30曲に選んだ。ある意味でディランのオリジナルをはるかに超えて、ミチロウさんという人間そのものを表した曲だと思う。

 長い間お疲れ様でした。ありがとうございました。また、お会いしましょう。

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