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[過去原稿アーカイヴ]Vol.13 スーサイド(1996)

 『DIG』誌のパンク特集に寄稿したスーサイドのコラム。確か1996年の掲載だったと思う。

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https://note.com/onojima/m/m1f1bcef5c6a3

 スーサイドは確か80年代後半に一度だけ来日したことがあるが、ぼくはそれを見ていない。ぼくが見たのは79年春ニューヨークの小さなクラブでだった。ディテールの記憶は既にあやふやだが、何だか見てはならぬものを見たような、異様な感覚に襲われたことはよく覚えている。

 スーサイドはニューヨーク・パンクのひとつとして語られることが多く、ちょっとマニアックなパンク特集になるとこうやって顔を出すわけだが、その音楽性や存在感は他のニューヨーク・パンクの連中とは少し、いや相当にかけ離れたものだった。パティ・スミスやテレヴィジョンといった人たちは、失われた60年代ロックのパワーや個性や変革のエネルギーを、自らの音楽によって奪還しようとしたわけだが、スーサイドの音楽にはそんな高邁な理想も意思もない。どこまでも続く悪夢のようなリフレインは聞き手の神経が麻痺するまで鳴りつづけ、無限回廊のような墜落感が全身を覆う。

 メンバーはヴォーカルのアラン・ヴェガと、その他のイントゥルメンタル類を担当するマーティン・レヴのふたりだけ。レヴの作りだすチープで異様なエレクトロニク・ノイズと、ヴェガの存在感のあるヴォーカルが絡み合って醸しだされる頽廃的な音像は、はっきりと従来のロック的なるものとは一線を画していた。後のスロッビング・グリッスルやキャバレー・ヴォルテールのようなノイズ・インダトスリアル派、DAFやソフト・セルのようなエレクトロニク・ポップ派に影響を与えたというだけでなく、石野卓球がソロ・アルバムで彼らの「ゴースト・ライダー」を取り上げたように、そのミニマル/サイケデリックな音楽性は、現在のテクノ・ムーヴメントまで直接的に連なってくる。彼らのファースト・アルバムは77年に発表されている。時代背景を考えれば、とんでもなく先験的なアルバムだと思う。

 深夜、ニューヨークのクラブのステージに突然あらわれたスーサイド。あたりの空気は途端に微熱を帯びた気だるいものに変わる。カセット・デッキとアンプを組み合わせただけの簡単な機材。その前に立ち尽くし、カセット・デッキのスイッチを入れると、あとはツマミ類をときどき動かすだけで、微動だにしないマーティン・レヴ。そしてそれとは対照的に、わめき、うめき、呟き、顔をしかめ、床を転げ回り、ただ衝動のままに毒を吐きつづけるアラン・ヴェガ。ヴェガのパフォーマンスは、まるでこの世の不条理を一身に背負うように、苦しみ泥沼の中をのたうちながら呪詛をまき散らす。そこには、従来のロックンロール的なスター像もヒロイズムも、楽観的なユートピア幻想も友愛の妄想も陳腐な上昇志向もなく、ひたすら下降し堕落し腐り果ててゆくダメ人間のみすぼらしい姿しかない。それは言うまでもなく、もうひたりの自分自身であり、ロックンロールが隠そうとしてきたダーク・サイドだった。

 そんなロック・アーティストをぼくは初めて見た。それまで彼らのような存在は見たことも聞いたこともなかった。だが観客はまるで面白い見せ物でも見るように野次を飛ばしながら盛り上がっている。そのとき、ぼくはニューヨークという街の持つ深く暗い闇を垣間見たような気がしたのである。

 その後、彼らはカーズのリック・オケイセックのプロデュースでアルバムを出したり、各メンバーのソロ作なども発表しながら、細々とバンド活動を続けているようだ。機材の進歩につれ音も少しずつ変わってきてはいるが、基本的には何の変化もない。進歩も退歩もなく、彼らはいつまでもそこにいる。いくら後進に影響を与えても、彼らの音楽は永遠に孤独なのである。


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