[レビュー] 原田郁子『いま』

 減ページのため音楽欄を含むカルチャーページがごっそりカットされてしまい、入稿済だったのに宙に浮いてしまった某週刊誌用の原稿です。許可を得て掲載します。

原田郁子『いま』

 クラムボンと言えば、親しみやすくキャッチーなメロディ、達者な演奏力と高度な音楽性、心に染みる歌詞、そしてなによりヴォーカル/ピアノの原田郁子のキュートで明るく元気なキャラクターで根強い人気を誇るポップ・バンドだ。その原田の15年ぶりというソロ・アルバムが『いま』である。

 最近のインタビューで原田は、「クラムボンはミト(クラムボンのベーシストでメイン・ソングライター)の世界であって私の世界ではない」と言っていた。クラムボンをミトが脚本・演出を手がける劇団だとすれば、自分はその出演者であり裏方である、と。バンドの顔であるヴォーカリストがそう言い切ることに驚かされたが、思えばその時すでに本作が完成間近の段階であり、クラムボンではない原田郁子の世界というものをしっかりと把握・表現できているという手応えがあったのだろう。アルバム・タイトルからは、「いまの私はこれ」という静かだが強い自負が感じられる。

 多くの楽曲はヴォーカルやピアノはもちろん、ほとんど全ての音をひとりで作り、フィールド・レコーディングなども自分でおこなった。文字通り手作りの作品である。楽曲もカヴァーと谷川俊太郎が詩を書きおろして朗読した一曲以外は全て作詞作曲している。幼いころに妹とやったピアノの発表会の録音まで収録している。音のないゆったりした空間と響きを重視した箱庭的な楽曲は、いわゆるJ-POP的な売れ線歌ものポップスとは全然違う、内省的でプライベートで親密な世界だ。

 ステージで陽性のヴァイブレーションを放ち客を楽しませる彼女とはまったく異なるように見えるが、だがこの世界があるからこそクラムボンの彼女がいるし、クラムボンでミトの世界を見事に演じきるからこそ、この温かく穏やかに息づく空間を作り上げることができたのだろう。長く付き合いたい、寄り添って暮らしたいと思わせる素敵なアルバムの誕生だ。(小野島大)

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