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[追悼トム・ヴァーレイン] 『Songs and Other Things』ライナーノーツ

 2023年1月28日、トム・ヴァーレインが亡くなった。享年73歳。
 私はトム・ヴァーレインの最後のソロ・アルバム『Songs and Other Things』(2006)のライナーノーツを書いている。インストゥルメンタル・アルバム『Around』と同時発売で、こちらはヴォーカル入りの歌ものアルバムだった。彼にとって14年ぶりのソロ・アルバムで、リリースはシカゴのポスト・ロック系インディ[スリル・ジョッキー]から。当然ながら書いている時はこれが遺作になるなんて想像もしていない。

 残念ながら現在ではCDは国内盤も輸入盤も品切れ状態、サブスクリプション・サービスでも取り扱いがないようだ。そのキャリアの長さに比して決してソロ・アルバムの数は多くないが、そのいずれもが傑作であり、本作も素晴らしい出来だ。ともすればテレヴィジョン時代ばかりが語られるが、この機会にトムのソロ・アルバムにも注目が集まるといい。以下に当時私が書いたライナーノーツを再掲します。R.I.P.

 それにしても素晴らしい作品が誕生したものだ。もちろん期待はしていたし、それが裏切られることはないと確信をもってもいたが、正直言って出てきた音は予想をはるかに上回る出来映えだった。ヴァーレイン健在、というありきたりな言葉ではとても形容不可能な大傑作だ。

 14年ぶりの新作の登場である。『アラウンド』と題したアルバムと2枚同時発売だが、そちらは前作『ウォーム・アンド・クール』(92年)と同様のインストゥルメンタル・アルバム。「歌もの」アルバムとしては、92年のテレヴィジョン再結成アルバム以来、やはり14年ぶりということになるが、ソロの歌ものというと、90年の『The Wonder』以来、16年ぶりということになる。

 前作以降は、テレヴィジョンの初期2枚のアルバムがリマスター再発されたり、初期78年の未発表ライヴがライノ・ハンドメイドから発売されたほか、パティ・スミスやルナと共演し、ジェフ・バックリーの死後発表されたセカンド・アルバム『素描』をプロデュースしたことぐらいが数少ない話題で、ご本人の創作活動や発言などはほとんど伝わってこなかった。パティとは相変わらずツアーをともにしているようだし、02年にはテレヴィジョンとしてフジ・ロック・フェスティヴァルに来たりしている。また同年、映画『ビッグ・バッド・ラヴ』のサウンドトラックにソロ名義で2曲新曲を提供したことぐらいが近年の活動らしい活動。自身の新作アルバムのレコーディングとなると途端に腰が重くなってしまうようで、まったく音沙汰がないまま14年がたってしまった。これほど「マイ・ペース」という言葉が似合うアーティストは、ほかにいない。

 本作の発売元であるスリル・ジョッキーとの契約のニュースが伝えられたのが05年の春ごろ。それからほどなくして『ウォーム・アンド・クール』(オリジナルはライコからのリリース)が同レーベルから8曲のボーナス・トラックを収録してリイシューされている。ヴァーレインとスリル・ジョッキーのかかわりは、トータスがキュレイターをつとめた01年のオール・トゥモローズ・パーティーズ(毎年イギリスとアメリカで催されるポスト・ロック系のフェスティヴァル)にテレヴィジョンが参加したことがまずひとつ。それからテレヴィジョンのリマスター盤のライナーを、元ラン・オンやブルー・ヒューマンズのメンバーで、ブロークバックやパパ・Mのアルバムにも参加し、99年発売の自身のソロ・アルバムでジム・オルークがエンジニアとして参加していた、ギタリストでライターのアラン・リクトが執筆していたことが頭に浮かぶ。もちろんリクトのライナーには、ヴァーレインとスリル・ジョッキーの関係について示唆するような箇所はないが、このあたりからテレヴィジョン及びヴァーレインに対する評価がシカゴ周辺で盛り上がっていたと推定されるし、実際後輩たちの熱いラヴ・コールに後押しされるように、この世界一無精な仙人アーティストが久しぶりのレーベル契約、そして新作制作に踏み切ったのだろう。なんと本作発売と前後して新バンドでのライヴをおこない、ツアーまでやってしまうという。ということは来日だって期待できるかもしれない。まったくこれまでのヴァーレインとはうってかわった前向きなやる気である。ファンはスリル・ジョッキーに足を向けて寝られない。

 参加メンバーについて簡単に触れておこう。

 8曲でドラムを叩いているルイ・アペルは、これまでこれといったキャリアのない新人で、バーで演奏しているのをヴァーレインがスカウトしたらしい。さまざまなスタイルの演奏ができることに魅力を感じたという。グレアム・ハウソーンは数々のレコーーディング経験のある名うてのセッション・ドラマーで、エンジニア/プログラマーとしてボン・ジョビやフェイス・ヒルのアルバムに参加したこともある。ジェイ・ディー・ドハーティはもちろんパティ・スミス・グループの名ドラマーで、ヴァーレインの初期ソロ・アルバム3枚と、『ウォーム・アンド・クール』にも参加している、おなじみの人物。ツアーも何度も共にした気心の知れたメンバーだ。

 パトリック・A・デリヴァズはテレヴィジョンの再結成アルバム『Television』のアシスタント・エンジニアをつとめ、『ウォーム・アンド・クール』ではベースを弾いている。元はクラシックのオーケストラでプレイしていた経験をもつ。本作では一部エンジニアも担当。フレッド・スミスは言わずとしれたテレヴィジョンのメンバーで、ヴァーレインのソロ全作にも参加している、文字通りの盟友。本作では一部でエンジニアも担当した。トニー・シャナハンは復活後のパティ・スミス・バンドのベーシストで、フェイス・ヒルやライアン・アダムスのアルバムにも参加している。ハウソーンはシャハナンの紹介で参加したのかもしれない。

 そしてジミー・リップはミック・ジャガー、ヨーコ・オノ、ホール&オーツ、ロッド・スチュワートやマライア・キャリーなどとも共演経験のある売れっ子ギタリスト。

 ちなみに同時発売のインスト・アルバム『アラウンド』には上記デリヴァズのほか、テレヴィジョンの盟友ビリー・フィッカがドラムを叩いているが、本作『ソングス・アンド・アザー・シングス』にその名はない。その使い分けも興味深いものがある。

 さて、本作『ソングス・アンド・アザー・シングス』である。ファンとしては、まずそのヘナヘナとしたしゃがれ声を聴くだけで感無量になってしまい、冷静な批評言語など喪失してしまうのだが、14年ぶりの新作に向けての気負いなどまったく感じられないし、本人からも周りからも、伝説の元祖ニューヨーク・パンクの帰還などという熱気をはらんだ話題性も、いい意味でさっぱり伝わってこない。それはもちろん彼自身の性格でもあるだろうし、またアルバムの内容を反映してもいる。驚くほど構えがなく自然体だ。

 前作ソロ・ヴォーカル・アルバム『The Wonder』に通じる音楽性だが、流麗かつメロディックなシンセサイザーを大きくフィーチュアし、全体に洗練された色合いだった前作に対して、本作は実にシンプルなギター・トリオでの演奏で、ギターの音色やフレーズなども、装飾や贅肉が一切ない。素朴というのとはちょっとちがう気がするが、簡潔で隙間を活かした音楽性は、脂が落ちた精進料理のような味わいでもある。まるで虚空に響くかのようなギターのクリアでストレートなトーンで奏でられるインストの「a parade i littleton」で始まり、微妙な陰影と緊張感に彩られた演奏が続く。ルイ・アペルの堅実で素のままのドラムが印象的。「blue light」のくぐもったメロディも魅力的だが、続く「from her fingers」のサビの「ファファファ……」というところがいかにもテレヴィジョン以来のヴァーレインらしいポップ・センス全開で、つい一緒に歌いたくなる。以降も淡々とした曲調が続き、はったりじみた派手さはまったくないものの、おそろしくニュアンスに富んだ滋味深い世界が展開され、積み重ねた年輪や経験のほどを感じさせる。基本的には音楽的構造はそれこそテレヴィジョンのころから変わりないが、その音はいっそう繊細に研ぎ澄まされている。それでいてテレヴィジョン時代のような張りつめたテンションではなく、リラックスして聴けるのもいい。

 『アラウンド』と本作を比べてどうのという議論はあまり意味のないことだし、両者は補いあってひとつの確固たる世界を作っているわけだが、さながらレナード・コーエンばりの表現力の深みに達したヴァーレインのヴォーカルを聴ける本作は、やはり別格の味わいをもっている。

 こうした枯淡とも言えるワビサビの極致のような境地は、練りに練り上げた曲作り、入念なリハーサルと執拗なリテイクの成果と思っていたら、ヴァーレインによれば、アルバムの半分の曲は「20分で仕上がったような曲」であり、「苦しんで時間をかけなきゃいけない曲は、スタジオまで到達しなかった」という。またリハーサルも、マイクのセッティングの間に手早く済ませたような曲がほとんどで、まさに一筆書きのように作られたということだ。それならなんで14年も時間がかかるんだとつっこみたくもなるが、楽曲はよく書きとめてはいるものの、発表するほどの水準に達したものとなると、ごく少なくなってしまうのだという。が、おそらく根本的にはモチベーションの問題だろう。彼のように大ベテランで、過去にさんざん優れた作品を作っており、他人の音楽を参照したり、過去の音楽遺産からアレンジして作り出していくのではなく、自分を高め追い込んで作品を「ひねりだす」タイプのアーティストにとっては、自らの創造意欲をかきたてるものがどうしても必要なのだろう。それがリクトやオルーク、トータスの連中やスリル・ジョッキーであり、また彼らを取り巻くシーンからの後押しだったのかもしれない。

 だが、やはりヴァーレインはヴァーレインでしかない。音数をつめこまず、空間とエレキギターや生楽器の鳴りと響きを重視したサウンドは、そうしたポスト・ロックや音響系の音楽と共通するところがあるのは確かだし、ことに『ウォーム・アンド・クール』や『アラウンド』のようなインストゥルメンタル・アルバムではそうした性格はいっそう明確になっている。しかしもちろんヴァーレインの側が変わったのではなく、いわば時代が勝手にすり寄ってきただけである。せわしない流行や浮き沈み、時の流れからは隔絶された音楽。だからこの先何十年たとうと、古びることはない。

 だがそれは同時に、この音がどことも繋がっていない、孤独な音楽であることも示している。深夜の自室で聴いていると、なんとも言えない寂寥感が押し寄せてくる。だが同時に、確かに生きて存在しているという鮮烈な実感も味わわせてくれるのだ。稀なる傑作の誕生である。

2006年4月9日 小野島 大 Dai Onojima

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