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読書記録再読

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昔書いた読書記録のブログを肴に、なるべくどうでもよいようでどうでもよくなさそうなことを、どうでもいい感じで書いていこうと思います。
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2018年11月の記事一覧

違うステージに進んでいると信じたい

そういえば僕が東京にいるころ定期代がもったいなくて小田急線の千歳船橋のアパートから六本木の事務所までチャリンコで1時間かけて通っていたのだ。
あのときのほうが僕は野性味を持っていた。

定期代がもったいなくて、というのは嘘で定期買うお金もなかったんだけどね。

結婚する手前、30過ぎまでは車はおろか、原チャリも持ったことがなく、移動は行けるとこまでチャリンコだった。

そこからすると今は運動らしい

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ここへの遠さったらない

頭ではなく身体で惹きつけられる。
僕の探しているものがここにはたくさんありそうな気がした。

でも、ここへの遠さったらないよね。

だんだん遠くなる気もする。

頭ではなく身体で惹きつけられるものを設計という行為を通して実現するにはどうしたらいいんだろう。

いや、できるはずなんだけどなー。

自身も自信も捏造して持ってることにしてしまえばいいし、捨てればいい

しかし、これを自分の中で整理しなければ、自信を持って線の一本も引けやしないのだ。

なんだ、「自身」をもって線をひけばよかったのだ。

自信と自身をかけるあたりがあれだな。

高校とか大学くらいの時は、割と流行っていた「自分探し」という言葉がどうにも気持ち悪いと思ってた。そんなもん探すもんでもないでしょうに、くだらないと。

だけど、こと建築に関しては「自分探し」のようなことをしてたんだなー。自身

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何を?とどう?の並走スタイル

自分の考えがどちらに近いかを早急にきめねば前に進めない。という焦りを感じていた。

この頃はまだ自分でスタイルのようなものを見つけないと前に進めないと思っていた。

人間と時代とを照らし合わせた時に何かしら進むべき正解のようなものが生まれて、それがそのままスタイルにつながるのだと思っていた。

どうつくるか、という技術的な問いの前に、何をつくるべきか、という思想的な問いに答える必要があると思ってい

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自分をどきどきさせるようなものつくってみたい

建築を意識し始めたころに、安藤忠雄とコルビュジェにはまったのだが、これは当時の関西の学生の通過儀礼とでも言えるようなものだったと思う。
―閉鎖的な大学だったので、当時のほかの大学のことは実は知らないが―

建築に単純にドキドキして熱を持っていたのは、ほとんど何も知らず憧れしかなかった学生時代の方だよなー。

それって、造り手ではなくほとんど受け手の側だったからかも。

今、あのころと同じような熱を

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鼻垂れのくせに

『徹底的にぐれることこそ、「正しい」生き方なのです。ただし、下手にぐれるとみんなから―人生に何らかの意味を見つけて生きたい人や、誰かの役に立ちたいと願望している人や、自分が生きてきた爪痕を地上に残したい人・・・からたたきのめされます。―中略―上手にぐれるとは、このように、周囲の単純な人々を徹底的にだましながら、それを心から楽しみながら、ぐれるということです』

若い頃、尊敬する人は誰かと聞かれると

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それは〇〇のものである。

それは、バラガンの、そしてメキシコのものである。

バラガンの色はメキシコのカラッと乾燥した空気だからこその色であり、日本のような湿潤な気候で用いられる色とは異なるそうである。あの色はメキシコのものなのだ。

それは〇〇のものである。もしくは、〇〇だからこそのそれである。
そんな●●を丁寧に積み重ねていくことが、それを他に代えがたいものへと育てていくのだと思う。

さて、上の●●に当てはまる言葉は

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全てをボケとして生きる

これも個人的ヒット本。

著者は『意味を問うことはポストモダンの社会を欲しないということだ』と言い、われわれに意味を与えようとする様々なものの意味の意味を分析し、バッサバッサときっていく。

この本のほとんどがツッコミなんだけど、ポストモダンを生きるということは要するに全てをボケとして生きる、ということなんだろう。ボケとは正当性を手放すことで、自らの存在価値を獲得していくような在り方である。

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ぼっちだって人間だもの。

これ単純に好きな本。何度か買っては人にあげたりしてて手元にないので、またポチッとしようかな。

「あっ、いいね!」となる人と、「ピンとこないな~」となる人と分かれる気がする。
そろそろ長男に見せてみようかと思うけど、どっちだろ。

人間は自分のことをわかってくれる人なんかいなくても生きていけるってことこそが、人間が学ぶべき、なにより大切なことなんだ。そして、友情って、本来、友達なんかいなくても生き

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テーブルにつけないような居心地の悪さ

これもなんとなく借りた本。

『完全に私的な生活を送るということは、何よりもまず、真に人間的な生活に不可欠な物が「奪われている」deprivedということを意味する。』「人間の条件」ハンナ・アレント1994

『内奥の生活のもっとも大きな力、たとえば、魂の情熱、精神の思想、感覚の喜びのようなものでさえ、それらがいわば公的な現われに適合するように一つの形に転形され、非私人化され非個人化されない限りは

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感覚鈍化性非鬱病症候群

ふと、ブログの読書記録を一日一つくらいの感じで振り返ってみようと思うなど。

最初レンタルブログに書いてたのを、ドメインとサーバーレンタルしてワードプレスに移した時になぜか日付が消えたので、昔の記事の日付は適当につけた。

正確にはいつだっけなー、と転載していたミクシィを久しぶりに覗いてみたら、最初の読書記録は2005年の6月3日だった。
13年前、30歳。若いと言えば若い。それなりの歳といえば歳

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