なぜか。と問うてはならないこともある

もしかしたら、建築家に対する『なぜ○○するのか?』という問いは、一昔前にはやった『なぜ人を殺してはいけないのか?』という問いのように、答えようとすること自体がナンセンスなことかもしれない。

その問が発生した時点で何かしら問題がある可能性が高い、という類の問がある。

例えば、建築家に対するなぜそうしたのか?という問い(その人に対してモノとして届いていない可能性が高い。逆に何かしら興味・関心を引いた結果であればOKな場合も。)や、なぜ人を殺してはいけないのか?という問い。(理由がなければやっていいのか。やるのか。)なんかはそうだと思うけれども、嫁さんに対する問いもたいてい頭に浮かんだ時点で何かしら(未来に対する)問題を孕んでいるため忘れ去られるべきものだ。

嫁さんに「なぜ」と問うことは厳に慎まなければならないし、なぜ問うてはいけないかを考えてもいけない。なぜ問うてはいけないかを考えてはいけないかというと、なぜ問うてはいけないかを考えていることが相手に察知されれば、問うことも問わないことも許されないような、決してクリアできないゲームのような状態に追い込まれてしまう可能性が高いからである。

問うことも考えることもせず、無心に肯定を繰り返す。

それが正解だと知りながらなんで僕はできないんだろう。いや、世の女性たちはなんでそんなことを苦もなくできてしまうんだろう。いや、あの人はなんで嫁さんにツッコミを入れられるんだろう。なぜか。わからん。


カタルタ作ってる友人が屋号をメドラボからナゼカに変えた模様。


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