個人的であることが他人へのパスポートとなる

全くあたりまえのことなのだが、答えは自ら描き出す以外にないし、自らの個人的な感覚・身体性の裏づけなしには人の共感も呼ぶことはできないということだ。
(逆説的だが個人的であることが他人へのパスポートとなるのだ。)

個人的であることが他人へのパスポートとなる。

これから先、パスポートが不要な部分はどんどんAI等に置き換えられていって、パスポートの価値は高価値と無価値に二極化していくんだろう。

息子たちも、このパスポートを手に入れるためにいろいろもがいて行くんだろう。自分も彼らにとって多少の手助けになるような他者であれたらと思う。

と同時に、二極化をどう受け止めるか、という課題、パスポートの評価なんて関係ない、と言えるような軸をどうやったら持てるか、もしくは誰もがパスポートを手にしているということをどうやったら認められるか、というようなことも重要になってくるんだろうな。

二極化って、物事の一面だけが肥大化しちゃうことだと思うけど、それだけじゃつまらなくなっちゃうもんね。


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