正直さがつくりだす開放感

さて、この言葉の先に何があるのか。
単なる批評や言葉遊びでしかないのか。

それとも、捉われない自由さ、『正直さがつくりだす開放感』を手にすることができるのだろうか。
それは、どれだけ正直さに到達できるかにかかっている。

この本も今読めば全然読めてなかったと思うに違いないけど、この部分はたぶん間違ってないと思う。

何に対する正直さかと言えば、自分の感じたことに対する正直さなんじゃないだろうか。
正直に判断しようとしても、規範や常識、それまでの経験が邪魔をしてなかなかうまくはいかない。正直さは簡単には近寄れるものではない。それでも皆、少しでも正直さに近づこうと懸命になる。
それはクライアントもおそらくそうで、はじめはそれが何なのかはよく分からないけれども、少しでも正直さに近づきたいと思う人が設計事務所の門を叩くのだと思う。
クライアントが出来上がった空間に触れた時に、捉われない自由さ、『正直さがつくりだす開放感』を感じられたとしたら、それはうまくいったということなんだろう。

自分の、もしくはクライアントの正直さに少しでも近づこうとした時、そこに言葉が必要になってくるのであって、それは決して言葉遊びなどではない。言葉は、それが規範や経験の間に隙間をこじ開けて、少しでも正直さの顔を覗かせてくれよと、切実な役割を期待されて発見されるものなのだ。


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