【現実的な考察】『バナナフィッシュにうってつけの日』J.D.サリンジャー

ネタバレ注意。この小説が書かれた時代背景を考慮して考察します。また、英語前提の表現手法が用いられて日本語訳では理解しにくい点も考慮します。この小説は、すでに様々な解釈がなされていますが、この記事では飛躍しすぎずに現実的に読むことを目指します。

原著初出 1948年
原著言語 英語
舞台 アメリカ
時代 1948年。第二次世界大戦終戦(1945)から少しした頃


■主人公 シーモア・グラスとは

本作の前半はほぼ、主人公の妻とその母親の会話。会話のなかで主人公のことが以下のように述べられています
・とある医師の見解によると…
 (1)陸軍が退院させたのには問題がある
 (2)自制心をなくす恐れがある
・木を見るとおかしくなる
つまり、主人公は、第二次世界大戦で陸軍に従軍し、精神を病んで入院していたが治らないまま退院させられた復員兵だということです。

■シビルが「もっと鏡を見て」と言うこと

シビルは、主人公の名前から連想される言葉遊びで「もっと鏡を見て」と言っているのでしょう。
主人公の名前は Seymour Glassでシーモア・グラス。似た発音で、"See more glass"、つまり、訳すと「もっと鏡を見て」となる(注1)。
シビルは海辺にでかける前から母親に繰り返し言っています。母親が聞き飽きるほどに。かなり主人公のことが気に入っていると思われます。シビルの無邪気さや子供っぽさが表れています。

何か新しいことや予定はないかとシーモアに尋ねられたとき、シビルは「nairiplane で父が来る予定」と答えています。airplane と正しく発音できないくらいまだ幼いということです。

【注1】 "see more glass" を「もっと鏡を見て」と訳すのが定番なのですが、読者による解釈を狭める訳だと感じます。glass の主な意味はガラスです。しかも、look ではなく see だから「見ろ」というだけではありません。理解せよ、調べよ、など様々な意味が含まれてきます。また、さらに言葉遊びをすると "sea glass" との関連もあるかもしれません。これは波にもまれて角がとれたガラス片のことです。

■なぜバナナフィッシュなのか?

バナナフィッシュ(注2)のバナナは、英語の慣用句 “go bananas” からと思われます。意味は「頭がおかしくなる」こと。

【注2】原著では「バナナフィッシュ」は、2語で “banana fish” ではなく、1語で “bananafish” となっています。辞書で調べると、2語の “banana fish” の意味として「外鰯(ソトイワシ)」が見つかりますが、1語の “bananafish” は作者による造語と思われます。

主人公が従軍したことと合わせて考えれば、バナナフィッシュの話は戦地へ赴く兵士たちの比喩といえるでしょう。
戦争に行く前は普通の人たちが、人殺しをする異常な世界へ行き、変わってしまう。そして、戦地で体に心に傷を負う。戦地から戻っても以前の普通の人には戻れない。

■主人公の体

海辺でもローブを着て素肌を隠していた理由とは?
前半の会話にヒントがあります。主人公が刺青を見られたくないと言っていたと妻は母親に話す。が、刺青はしていないとも言う。では、主人公が言う「刺青」とは何か?戦場で受けた大きな傷痕の比喩だと思われます。

■バナナフィッシュにうってつけの日

主人公は今までローブを着て素肌を隠していた。なのに、主人公が「バナナフィッシュにうってつけの日」だといった日にはローブを脱ぎ、シビルと海に入っています。シビルになら傷痕を見せても良いという気分になった日と思われます。

■シビルが見たバナナフィッシュ

主人公の体に大きな傷痕があることから、海のなかでその傷痕がバナナのように見えたと考えられます。そこでシビルはその無邪気さゆえに、主人公のことをバナナをくわえたバナナフィッシュだとみなし、バナナフィッシュを一匹見たと言ったのでしょう。

良く見かける解釈に、「現実には存在しないバナナフィッシュを見たと嘘をついたシビルにシーモアは失望した」というものがあります。しかし、バナナフィッシュを見たと言われたあともシビルと仲良くじゃれあっており、その解釈には無理があります。転機は、帰りに乗ったエレベーターの場面でしょう。

■帰りに乗ったエレベーターで起きたこと

主人公が乗ったエレベーターに亜鉛華軟膏を付けた女性が入ってきます。亜鉛華軟膏は日焼けのために付けたのでしょう。しかし、主人公にとって亜鉛華軟膏は、戦場で火傷や傷の薬として使われてさんざん目にしてきたはずです。そのため、戦地での記憶、傷つき死んでいった仲間たちの記憶がフラッシュバックして精神が不安定となったと考えられます。

というのも、この女性に会ってから主人公の言葉が急に汚くなり、感情の高ぶりを示しています。主人公は、この場面だけ、God-damned を使っています。二回も。
God-damned sneak
God-damned reason

女性が去って主人公は独り言を言う、"I have two normal feet"、両足とも普通なんだと。傷痕があったって普通なんだ、戦争で傷ついたが日常に戻った俺はもう普通なんだ、と主人公は思いたいのでしょう。しかし、その発言の裏側に、(精神的にも肉体的にも)戦地で変わってしまった自分という現実を受け入れられない葛藤と苦悩があると感じられます。

■部屋に戻ってから起きたこと

エレベーターでの出来事のために、精神の不安定さが増し、現実を受け入れられない思いが強くなり、そして、引き金を引いたと解釈できます。

■最後に

以上の考察は、あくまで解釈の一つです。別の観点から深読みするのもありです。妻に着目し、主人公をほとんど心配していない態度をとっているのは、当時のアメリカ社会における復員兵への関心の無さを風刺してるのではないか、などといった検討をしてみるのも面白いと思います。

■補足 妻のミュリエルについて

前半の妻とその母親の会話において、主人公がミュリエルに対して以下と言ったことが書かれています
 原著 Miss Spiritual Tramp of 1948
 野崎訳 一九四八年度のミス精神的ルンペン
 柴田訳 一九四八年のミス魂の売女

その意味は、訳から受ける印象とかなり違うようです。
この英語表記を見るとアメリカ人はドキリとするショッキングな表現だと、『続 日本人の英語』マーク・ピーターセン著(p.169~)に書かれています。著者によると、一般的なアメリカ人は、神を信じていようがいまいが、絶対的な Truth (先頭大文字のTruth)が存在し、それに対して自分が分かる範囲で忠実に従う義務があるとの暗黙の前提を持っているとのこと。それが、spiritual。で、その Truth に従わずにtramp(無節操、あばずれ)だ、と受けとるそうです。
主人公が死と隣り合わせの戦場から戻ったとき、人々は軽薄に過ごしていて、人としておかしい、こんな世の中はおかしい、と感じたことでしょう。妻はといえば気にするのはファッションや美容のことばかり。そんなミュリエルは、おかしな人々の代表だ、ということなのでしょう。が、言葉の重みは、日本人にはなかなか分からないですね。宗教や文化の背景にある暗黙の前提を含む文は難しい。

■参考 戦争神経症

─追記(2023/03/21)─

この小説を現実的に解釈するためには、「戦争神経症」や「戦闘ストレス障害」(Combat Stress Disorder)について理解しておくことが役に立ちます。

日本の復員兵の戦争神経症を紹介した以下の動画が参考になります。

「戦場のトラウマで精神疾患に…戦後も続く元兵士や家族の苦しみ|NHK」https://youtu.be/v0VEVFdYfLo

米軍の精神神経症を扱った以下の記事も参考になります。

鈴木滋「メンタル・ヘルスをめぐる米軍の現状と課題 : 「戦闘ストレス障害」の問題を中心に」『レファレンス』(703),国立国会図書館. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/999594

ここからいくつか以下に引用します。

“後に、こういった症状は、「戦争神経症」と呼ばれることとなる。こうして、戦闘が兵士に及ぼす心理的な影響に対する認識は深まったかに見えた。しかし、その後も、「戦争神経症」は、患者が元々有している性格などに影響されて発症することの方が多い、といった理解が依然として有力であったことから、戦闘に伴う精神的外傷については、軽視する傾向が続いたとされる。”

“「戦争神経症」は、第 2 次世界大戦でも兵士の間でまん延し、米軍に限れば、第 1 次世界大戦と比して、こうした精神疾患の発生は 3 倍にも及んだ。しかし、その原因は、患者個人の素質と関連している、と解されることが一般的であり、精神的外傷をめぐる問題については、ベトナム戦争以降の議論に委ねられることとなる。”

“帰還兵は、一般と比較して、離婚率や別居率が高く、ホームレス人口に大きな割合を占め、薬物の乱用率や自殺率も高いことが、統計の上で明らかになっているといわれる。こうした社会的な影響の大きさから、帰還兵が発症した一連の症状については、「ベトナム症候群」などと呼ばれた。その後、ストレス障害に関する研究が、ベトナム戦争という特定の問題から離れて拡張されたことで、事故、災害、犯罪なども包括した「PTSD」 という概念が生みだされることとなる。”

いまならPTSD(心的外傷後ストレス障害)という便利な言葉がありますが、この作品が発表された頃にはまだそのような概念も言葉もありませんでした。(ベトナム戦争が始まったのは1955年であり、この小説が発表されたあと)

■参考 モラルインジャリー(道徳的負傷)

─追記(2023/03/21)─

モラルインジャリー(moral injury、道徳的負傷)は、PTSDとは異なる様態として新しく認識されたものです。これは、自分の良心に大きく反する状況におかれることによって生じるトラウマです。このことについて知っておくことも帰還兵の現実を理解する上で役に立つと思います。

まずは、以下のニュースとそのなかの動画を見てみてください。

「対テロ戦」に参加の元米兵 “心の戦争” 終わらず - Yahoo!ニュースhttps://news.yahoo.co.jp/feature/738/

また、戦争で負ったモラルインジャリーについて、実体験を語った以下の本も参考になります。

『帰還兵の戦争が終わるとき: 歩き続けたアメリカ大陸2700マイル』

「まえがき」から2つ引用します(著者とは別の人による解説)

“モラルインジャリー(道徳的負傷)とは、魂に刻まれた傷だ。この傷は、善悪に関するゆるぎない信念を持っていながら、それに背く行為を実行または目撃したときに生じる。極度のトラウマであり、嘆き、悲しみ、屈辱感、罪悪感などのかたちで、あるいはその複合形として現れる。そして、ネガティブな思考、自己嫌悪、他者に対する憎悪、後悔の念、強迫行為、破壊的傾向、自殺念慮、病的なまでの孤立感といった症状を呈する。”

“戦争が終わると、今度は異なる倫理観を持つ2人の自己が対立し、延々と戦いを繰り広げる。戦争前の自己は戦争後の自己に指を突きつけて言う。「おい。お前のしたことを知ってるぞ。お前の見たものを知ってるぞ。お前は過ちを犯した悪人だ。二度と善人には戻れない」”

「はじめに」より、著者のことばを引用します。

“私は道徳観を破壊され、社会や家族から植え付けられた道徳的な判断基準を覆され、社会にとって自分が善なのか悪なのか分からなくなってしまったのだ。”