[2021/03/15]劣等感というか悲愴感
超ネガティブな記事になります。独り言でございます。
やっぱり20歳になっても劣等感は感じるし、ものすごく泣きたくなるんだよねえ。
先日、旧友とごはんに行きまして、彼らとは年に数回連絡を取り合うような間柄でそれぞれの所属グループは部分部分で重なってかつ部活動が同じという適度な距離感でした。そこまで秘密を打ち明かさず、かといってしゃべらないこともない。新しいことは生まないけど楽しい。そんな感じです。
遊び大好きの一浪で旧帝大に行ったやつもいれば、バイトに勤しみながら生活を充実させているやつもいて、イケメンで賢くて生きるのがうまい努力もできて恵まれてるやつもいる。このなかで僕は誰よりも劣っていると感じるんだ。
勉強も不得意、しゃべりも達者でない、お酒が強くないし、些細な気遣いもできていない。器の大きさ、信頼性の無さ、思想の偏り、発言の無能さ、人間関係の構築力、行動力の無さ、思いっきりふざけられない。
誰もが完璧ではないし、それが全てだとはもちろん思わないが、比較すると、いやしなくても浮き彫りになっている気がするんですよ。頑張らないと、何故なら彼らの方が努力していて、自分には何もないんだからと。
できないと思い込んでいるだけなのでしょうか。
このままだとまた自分のせいにしたくなくて、責任転嫁してしまう。自分が壊れてしまいそうになる。
それさえも劣等感に代わり、泣きたくなる。
涙は流れない。泣きたいのに、、
「泣きたいときほど涙は出なくて 唇噛んでる真っ白い夜」
私の好きな歌です。これは誰かに向けての悲しみの歌詞だと思うのですが、僕自身も状態的には同じ。
泣きたいのに、泣けないんです。涙も出そうなほど、悲しいのに出ない。
碇シンジ君も劇中で「涙では自分しか救えない。」と言っていた。
おれも誰かを救いたいし、救われたい。
シンジ君は自分以外のみんなを救うことを選んだんだ。私も誰かを救いたい。
いま、私は何をしたくて、何ができなくて、何が悲しいのだろう。わからないんだよ。救いたい対象も。
現実には私よりも悩んでいる人、苦しんでいる人、死のうと思っている人、その日暮らしでいつその生が終わるのかわからない人、いるのだろう。すべてを投げ出した人、何もかも忘れてしまった人、残したいものがない人、いるのだろう。
自分よりも、それらの人の方がつらいのであろう。わかっている。わかっている気でいる。
ネガティブに捉えすぎるのが悪い癖だ。次また彼らに会う時まで生きよう。そして救ってもらおう。劣等感は感じるけれど、悲しみをそのまま背負っていくけれど、その彼らに救ってもらえばいいのだ。今はそれだけを信じよう。ありがとう。
p.s.
このまま死ぬわけにもいかないし、何でここまで追い詰められているのかもイマイチ自分でも理解していないが、悲しみ、後悔、恥辱、何かが蓄積された結果なのかな。それか重なるマイナスに対してのプラスが得られていないか。
ぼーっとして、電車も乗り過ごしてしまった。まさに心ここにあらずでした。生死を考えるほどではないのだよ。自分に言い聞かせないとどうにも落ち着かない。
これが私です。(略)
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