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世に出るとも分からないけど

小説が脱稿してから校閲に入るつかの間。

空白の谷間に落ちたような感じを引きずりつつ、次作の小説の第二稿に取り掛かっている。最初の作品の合間、合間に書き進めていたもので、一通り完成しているが、どこの出版社から出るともまだ決まっていないので少々心もとない。こういう「世に出るかどうかわからないもの」をそれでも推し進める、というのは最初のデビュー作の絵本以来で、絵本の時は私が幼かったせいもあって3年ほどかかってしまったけど、今回は1年かかって12万字、なので32ページの絵本に比べたら大した進歩である(と思いたい)「世間に受け入れられるかわからないけれど、それでも書きたい」と思うものを書いている時というのは、不安だけど不思議なパワーがみなぎる。なんていうか目には見えない靴底みたいに、熱くて、踏みしめるに値する、力強いものに支えられている感じだ。他の誰もこの作業をする・しないを決められない、他ならぬ私だけがこの物語の出生を左右するのだ、という責任感。園芸にも似ている。人からこうと頼られず、一人黙々と、庭に植えた苗に水をやる感じ。味が実るとも限らない。「できたら見せてください」と言ってくださる編集者さんは居れど、その人の気に入るとは限らないのだ。なんたって自分の好きな要素だけを詰め込んで書いているのだから、他の誰かに「No」と言われる可能性は多分にあるのだ。誰かにプロットを見てもらったりしたわけでもないし、アドバイスを受けているわけでもない。新人賞に応募する書き手の人ってこういう気持ちなんだろうと思う。自分が「面白い」と思う世界を、未知の空白に向かって、エイや、と差し出す。私はブログからお声がかかって第二作のエッセイを出版できたわけだけど、この怖さとは無縁だったことが、よくも悪くも「守り」の方に自分を導いている、という感覚がある。ご機嫌を伺ってしまう。最近友達が本を出して、内容自体はそんなに正直に言って面白くはなかったんだけど、それでもその人の「どうなってもいいや、どう思われてもいいや」感とともにエイやっと出した感じ、その思い切りの良さみたいなものが、行間から溢れ出していて、「いいな」と思わず思ったのだった。本人には言わないけど。そういうのって、言葉の滑りとか、単語の継ぎ目とか、比喩の潔さなんかにどうやったってにじみ出てしまう。そういう意味では、私の第1作はまだまだ、彼の作品には負けていて、山でいうとまだ0.5合目も登った感じがせず、煮え切らない気分。校閲原稿の段階で、できればその殻を破りたいもの。とはいえ第二作目、非常に気分が良い。好きなものばかりかけるというのはこうも嬉しいものなのだろうか。好きなもの、と言うより、好きなテイスト、なのかな。「銀河鉄道の夜」をずーっとここのところ鞄に入れて持ち歩き、なんどもなんども読み返しているのだけど、私はどうやったって耽美で、きらやかで、背後にいくらでも層のある抽象的な物語が好きなのだなあ。銀河鉄道の夜なんて、台詞の一つ一つ、行の一行一行に違った色のライトが灯って見えて、電車の中で読みながら窓の外のごうっと過ぎ去る地下壁のランプと行の明かりがクロスして思わずとらっと泣いてしまったりもする。この歳になって、なんども読んだ話で泣くと思わなかった。とにかく、賢治の提示してくる世界は、なんどページを開いても変わらぬ鮮度で目の前に立ち現れて、これって結構、すごいことよね。あたまの中で、やんややんや、ああ、明日はあれをこうしなきゃ、とかあれをもっとああしたい、だの鳴り響いている雑音が、ページを開いて賢治の世界とかちあった瞬間に木っ端の軽さでノックダウン。遥か彼方に流れてしまって、後には、乳白色の天の川だの、蒼く暗い空に光る南十字星だの、蠍の燃える炎だの、束になったかささぎだの、沈んだ船から浮かんできた幼い兄弟の林檎色の頰だのに胸がいっぱいになって、もう、自分が現実を生きているのか、どちらの世界にいるのか、わからないようになってしまうのだった。賢治先生の紡ぐ言葉は、もわんとしているようで、どんと刺さって、幻想的なのに足腰のねばりがあり、苦しいくらいに色が濃いのだ。ああ、これだけの強さで胸に食い込む言葉が私も書ければ、と思うだが、そうは言っても彼の世界観は、あの、孤独だの、岩手の厳しい自然だの、妹さんの死だのに培われたもので、一朝一夕で誰かが真似できるものではない。作家の代わりには誰もなれない。自分のやり方で、各々が胸に届く言葉のあり方を発明して行くしかないのであると、そのことを、読んでも読んでも胸に刻まれて、よしと決意する頃には、電車は目的の駅へと到着し、地上の世界に勇み足で戻るのだった。そういえば賢治先生の作品の多くは死後に発掘・再評価されたもので、彼も、生きているうちには、誰が読むとも、世に出るともわからないまま、あれだけの世界をたった一人で築き上げたのだなあ。

そういえば韓国の出版社から「宮沢賢治にまつわる旅行エッセイを書きませんか」と今時滅多にないような贅沢な企画のご提案があったのだけど、やり取りを途中にしたまま早1年。母さん、あの企画どうなったのでせうね。


ありがとうございます。