祖母、肝臓がん、末期、幸せな最期ってなに?④働いて稼ぐ事だけが「活躍」ではない


祖母が入院して1週間。母と二人で、昼夜と交替でつききりで看病していたが、先に私が倒れた。

ストレス性胃炎で胃痛が止まらず、吐き気と熱と下痢に苦しんで、結局2日間寝込んだ。

体が崩れると、同時に心までもが崩れる。

ちょっとのことで涙が出てとまらなくなる。

しまいには

「家族の中で一番若いのに、こんなにも使いものにならない私は、生きていてもしょうがないのではないか」とさえ思ってくる。

頭の片隅では

「ああ、これが『看病うつ』ってやつかぁ」

と、冷静に判断しているのだが、どうにもコントロールがきかない。(薄暗い病室で、一日中下を向いて作業するのって、とっても気持ちが塞ぐ!)

一週間、看病しただけでこれなのだ。つききりで長年介護している人なんか、もっともっと大変だろう。

さらに、私の場合、この鬱、とか無力感というのは、

「看病によって仕事がままならず、社会の流れから取り残されている感じがする」ということにかなり起因していた。

看病を始めてから、仕事の打ち合わせなどをどんどんリスケしてもらっている。原稿も遅れているし、連載の開始も遅れている。看病の合間に、病室でパソコンを開いて仕事しようとするのだが、祖母がたびたび痛いと訴えてその度に手が止まるので、思考が細切れになり、なかなか進まない。夜中、病室で寝ていても、祖母のちょっとした動作で心配になり、飛び起きてしまう。

ふと、時間があいた時に、病院の外に出ると、世の中は平常運転で回っているし、私の同じ歳くらいの人間が一生懸命働いている。

ネットを開けば、同世代で成功している人の輝かしいニュースなんかがバンバン入ってくる。

フリーランスで、今比較的時間の都合がつきやすいからこうして祖母につききりで看病しているけど、本来ならば、私も今の時間はバリバリ働いているべきなのだ。

そう思うと、とたんに自分のやっていることが、つまらない、ちっぽけな役に立たないことのように思えて来て、看病と仕事を両立できていない自分がとてもダメな人間のように感じてしまう。

病院の外って、輝かしい、オモテの世界だ。

元気だからこれまで知らなかっただけで、社会のオモテ面を、ぺらりとめくってみたら、そこには、死を待つ人、病気の人の、苦しさ、停滞、行きつ戻りつするような世界(命と言うのはなんと効率とは無縁の世界なのだろう!)が、確かに存在したのだ。

私は拝金主義ではないつもりだったし、「その人の稼ぎがそのヒトの価値だ」とは全く思わないが、知らないうちに、「収入に結びつかないことは、意味の無いことだ」という発想をしていることに気づいて、戦慄してしまう。

その次に気づいたのが、もしかして、この無力感や不安というのは、「育児中の女性が感じる無力感や不安」と、まったく相似形ではないか?ということだ。

これまでばりばり働いていた女性が、育児のために仕事を休んだ時に「自分は社会に取り残されている」と思い、不安や無力感を感じるというのはよく聞く話だ。

いつから、「家の中」は「世の中」と結びつかないものになってしまったのだろう。

看病も、育児も、介護も、世の中を回す、大事なサイクルなのに。

働きながら、育児や介護や看病ができるように、社会のシステムを整備することも大変重要だが、

それと同時に、そういったことに携わっている人々に、

「あなたがやっていることは、社会的に十分、価値のあることなんですよ」とアナウンスすることも、とても大事なことなのではないかと思う。

人間は生と死のサイクルから逃れられない。

「一億総活躍社会」とか言ってるけど、

働いて収入を得る事だけが「活躍」ではない。女性も、男性も。

家族の、生と死の営みに携わっていることが、仕事で収入を得る事よりも「下」だと思わないようにしたいし、できればそう思わずにいられる社会に生きたい。

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小野美由紀

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