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東京を描く

東京の街が好きだ。地方から上京して、長く東京に暮らす人に、最初に東京に出てきた時にどう思いましたか、と聞くのが好きだ。他人がこの街に注ぐ眼差しが好きだ。他の人が語る、決して私には見られない、この街の素顔が好きだ。

2月某日
作家の五百田先生が幹事をしてくださり、「メゾン刻の湯」の出版記念お祝いの会に。五百田さんのお知り合いの編集者さんや、作詞家の高橋久美子さんや作家の米光一成さんが来てくださった。
大人がいっぱいいるので緊張する。
メゾン刻の湯の話から、東京の街の話に。高橋さんや米光さんに、初めて東京に出てきたばかりの頃の印象を聞く。東京育ちでこの街を愛する私にとって、他の地方から上京してきた人がこの街に対して抱く、もぎたての果汁のようなフレッシュな感情は至高の甘美である。

久美子さんに「東京ってどんな色のイメージですか?」と聞いたら「スーツの黒!」と答えた。「私の実家、愛媛の田舎やから。誰も家に鍵なんか、かけんようなとこやったから。東京に出てきて、スーツのひとの多さにびっくりした!」久美子さんのみずみずしい感性で拾われた最初の東京のイメージは、もっと美しいものかなと思っていたので意外だった。

「ぼくは久美子さんと違って、故郷の広島市もまあまあ都会だし、各地方から人が出てくる街だから、東京を見ても”都会だなあ”って感じはしなかったね」とは米光さん。米光さんは瞳がキラキラしていて、大木の乾いた幹の中にみずみずしい若葉が茂っているような不思議な人だ。
「でも、東京は空が狭いでしょう。田舎の広い空に月が出ているのと違って、月が、高いビルとビルの隙間に灯っているのなんかみた時は、また風情が感じられてねぇ」
この感じは、東京育ちの私にも分かる。ふと歩いていて、月がビルの隙間に引っかかって見えた時、私もお腹の底をひっかかれるようなざわざわする感動がある。

「東京だと人が道に転がってても全然気にもかけんし止めんよね」と久美子さん。久美子さん、最近世田谷区の路上で急病のおじいちゃんを拾ったらしい。車の通る通りに倒れていたにもかかわらず久美子さん以外のひとがスルーして通ることにショックを受けたのだとか。そりゃそうだ。東京に住んで32年の私にだって、そういう光景はショックだもの。
「みんなさあ、街で異変とか、困ってる人を見かけた時って、"あ、あ、どうしよう”って思ってるはずだよね、思ってて、声かけられないんだろうね、でもさ、"声かけられなかった"って気持ちは、絶対ずっと、残るはずだよね」

私は小さい頃、母と一緒に出かけると、母がすぐにその辺の人に声をかけることが恥ずかしかった。本当に母はすぐに困っていそうな人に声をかけるのだ。


倒れてる人、道に迷っている人。怪我したり体調が悪そうなひとにはハンカチまで渡してしまったり、駅員さんを呼んだり、用事があるのにそれを後回しにして、タクシー乗り場まで連れて言ったりする。
お母さんやめてよって思っていた。なんかよくわからないけど、母が、普通の人はやらないことをやる、変な人のように思えて嫌だった。
大人になった今、気がついたら、街を歩きながらそういう人がいないか、気にかけている自分がいる。ぼうっと視野を広くして、行き先の隅々まで見ようとしている自分がいる。ホームレスを見かけたり、倒れてるのか酔っ払っているのかの判別がつかない人が横たわっていたりすると、ドキドキする。

私もあと数十年後には人目もはばからず見知らぬ人に声をかけるおばさんになるのだろうか。

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