才能のある無しは考えるだけ時間の無駄

この前、Bar bossaの林さんに

「自分は才能のある・なしについてがどうしても気になってしまうんですが、小野さんは才能のある・なしについてはどう思いますか?」と聞かれた。

その時にとっさに浮かんだ答えは

「ないわけ、ないじゃん!」だった。

いや、これね、私マジでそう思うんですけれども。

私は超がつくほどのピュアちゃんなので、

「誰でも世界に一つだけの花」思想を半ば本気で信じている。

自分でさえ文筆業で食べて行けているんだから、誰だって何かしらの才能があり、それが世に発露するかどうかは本当に微妙な差によるものでしかない、と真面目に思っている。

それはこの前、1日限りの「子供のための作文教室」を開催した時にも思った。

教室に来る子達は、親御さんが「うちの子、作文苦手なんですよ」と言って連れてくる。

子供たちに聞いても「あんまり作文好きじゃない」と言う。

学校の作文っていうのはルールがある。

「ヒトマス空ける」とか「カギカッコはマス目の右下に」とか。

そういうルールが面倒臭くて作文が嫌い、という子がたくさんいた。

けど、実際に「何でもいいから、好きなことについて書いてごらん」というと、皆、驚くほど多才で、それぞれの個性によった素晴らしい作文を書くのだ。

最初、一人で書き始めた時には2行で終わりだったのに、「この時は誰と一緒にいたの?」「その時、どんな気持ちだった?」と質問してあげるだけで、途端にスイッチが入って、すらすらすら〜〜〜っと誰よりも多い文章量の作文を書き上げる子がいたり。

引っ込み思案で、あまり喋るタイプではなかったけど、「その時感じた気持ちを、色・形・動物で表してごらん」と言ったら、大人もびっくりするような美しい比喩表現で、友達と遊ぶ時の楽しさについて書き上げた子もいる。

小学校2年生なのに、自分の好きなものについて自力で詳しく調べ、親にインタビューして中学生の小論文レベルでまとめあげた子もいる。

みんな、自分のスイッチの入れ方を知らなかっただけなのだ。

そりゃそうだよ、だって学校の授業って、みんながみんな、同じことしかやんないんだもん。

その中で「自分だけの表現方法を見つけて伸ばそう」なんて、子供一人ではとてもじゃないけど難しいだろう。

バツとかマルだけで判断されて、親に「この子は作文が苦手」と決めつけられたら、余計に難しい。

でも、焦らず急がず、一人一人の違いを受け入れ、それぞれにとって最良の方法をじっくり模索しさえすれば、子供達は自分で自分の才能を発見し、それを肯定して、安心して発揮できる。

たった400字の作文で、これだけそれぞれの「才能」が顕著に現れるのだ。

「才能がある無し」なんて、論じるのもバカバカしいじゃないですか。

本当に才能うんぬんって、引き出す人の力と、環境と、それから本人の努力次第で、

・自分の才能を伸ばしてくれる人(助言を与えてくれる相手)

・安心して試行錯誤できる環境

・技術を磨くための時間

この3つがありさえすれば、どんな人間でもなんとかなりはするんじゃないか、と本気で信じている。

つまり、何が言いたいかというと、

「才能のある無しを気にするのは時間の無駄。その時間があるなら、今ある能力を伸ばすことに頭使え」ってことです。

「自分には才能があると思い込む」って、とってもコスパがいい。

悩まなくて済むから。

そういう感じです。


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才能のある無しは考えるだけ時間の無駄

小野美由紀

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小野美由紀

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