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専門学校に行きたかった話

SNSを眺めていたら、写真家の荻野直之さんのウェブサイトが流れてきたので、久しぶりに彼の作品を見る。

荻野さんは医大を出た後、電通に勤めて、辞めて、写真家になった。

インドネシアの奥地のシャーマンの写真や、ウズベキスタンのバレリーナの写真、京都の祇園の置屋での舞妓さんの写真など、神秘的な女性を中心に撮り続けている。

窃盗で逮捕された元彼の知り合いで、紹介してもらって仲良くなった。

私が最初に小説を書くことになって、書けなくて、悩んでいるときに相談したら、彼は

「広告を作る仕事をしていたから、アーティストになった後も、どうしても商業ベースでものを考えてしまう癖がね、残ってるでしょう。本来はそうじゃないはずなんだけど、辞めてから6年くらいは、どうしてもその呪縛に囚われて、抜け出すのに苦労した」と言っていた。

すごく辛くて、苦しくて、怖かった。

最初に小説を書いていたときの話である。

商業的に、売れるもの、評価されるもの、わかりやすくて見栄えのいいものを書かなければ、という思いが強かった。勝手に期待を背負い込んでいた。ライターの仕事をしていたせいもあるし、子供の頃から、そういうものを求められていたから、コルセットのように身体中を締め付けて、いつのまにかその補正なしではいられなくなっていた。

好き勝手にやってはいけない、どうしても売れなければ、経済的に合理的なものを作らなければ。

今でも、そうじゃなければ、見てはもらえない、と思い込んでいる。

けれど荻野さんの作品や作品作りの姿勢を見ていると、そうじゃないのかもな、と思えて来る。一つ一つにすごく時間をかけるし、一旦プロジェクトを始めても、違うなと思ったらこれまでかけた時間なんて気にせずに全部やめている。すごく非効率だ。でも出来上がった作品には嘘がなくて、どれも素晴らしい。どこまでいっても彼自身でしかないように感じられる。


こういうものを作れるだろうか、と思う。商業的な成功とか失敗の二択ではなくて、効率性の罠に絡め取られてしまわないでいられるかどうかの話だ。

最近、仲良くしている編集者さんに

「いま12月に出る予定の新刊の原稿を書いていてね」

と話して、言い訳のように

「でもあんまり売れそうにないんだけど」

と付け加えたら(聞かれてもいないのに)、彼はボソッと

「売れたいんですか」

と言って、私はハッとなった。

彼自身は売れる本を作っていて、なんでそんなこと言うんだろう?全ての編集者にとって本を売ることは目的の一つではないのか、と思いもするのだが、でも確かに、私が「売りたい」と思うことと「売れ線じゃないものを書くこと」と、それを出す出版社が「売りたい」と思うことと、読者がそれを「いい」と思うこと、そして最後に私が「書きたい」と思うことは全く別の話である。言われて見るまで気づかなかった。

全部を効率的にやろうとするからおかしくなるのだ。全部が別々の独立した価値観であるのに。

(彼はいつも、本質的な所を言葉少なに突いてくるからすごい。杭のように刺さる。刺された場所から血が滲んで、細胞組織が壊れて、フレッシュな考えが浮かんでくる)

もっと自由に書きたいな、と思う。

効率性から離れたところで作品を作りたい。もちろん命は有限だから、その間にできること、を考える必要はあるのだけど、一文にでも魂が込めきれたらそれでいいと思えるような作品作りをしたい。

6月某日

ベトナムのビーチリゾートにいる。

ベトナムのビーチはパッとしない。ぼんやり曇ってるし、オシャレでもないし、他の東南アジアのビーチのようにアッパーでもない。だからこそ、何にもない薄曇りの景色を眺めていると、脳が漂白されたようになって、隙間にもやもやと押し込めていた思いが湧いてくる。

高校2年生の頃、私は大学ではなく専門学校に行きたかった。

とにかく家から自由になりたかった。手っ取り早く手に職をつけたかったし、大好きなファッションや絵を描くことに関して技術を身につけたかった。表現したいものや作りたいものを実際に形にする能力を持っていなかったので、それを身につけていろいろなものを形にしたかった。
進路を決める時になって、親に言ったら大反対された。

うちの家系で、大学にいかないなんてあり得ない、絶対にお金なんか出さないし、なんなら勘当する、と脅された。

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