たんぽぽ

『ショムニ』の安田先生と会ったこと、インナーチャイルドのこと、自分の感情を無視することについて

「ショムニ」「ちひろさん」などの作品を書かれている、漫画家の安田弘之先生とお会いした。

私は「ちひろ」及び「ちひろさん」の大ファンで、過去にコラムで紹介したこともある。

また安田先生も私のブログを数年前から読んでくださっていたようで、twitterで以前からやり取りしていて、ついにお会いすることになった。

池袋の「楽太郎」で先生と飲み始める。

先生は帽子が似合う。カオがつるっとしていて、肌に不思議なハリがあって、日本の中年男性独特の疲れみたいなものが全く顔に浮かんでいない。なんだか、宇宙から池袋に突然、降ってきた人って感じ。

植田一子さんのエッセイ「かなわない」にも安田先生が登場する。

一子さんが子供の頃から抱えてきた母親へのトラウマを、自身で見つめなおす糸口を作ったカウンセラーのような役割として先生は作中に出てくる。かなり重要な役だ。


会食の終盤、ジンギスカンを2人でつつきながら、たわいもない話をしている最中、不意に、先生に「自分の中の小さな子供と会話できますか」と言われた。

目を閉じて、胸からお腹のあたりに意識を集中する。もやもやとしたイメージが湧いてきて、5歳児の子供が現れた。

ワンピースを着て、くるくるの髪を肩まで伸ばしている。物語を作ったり、絵を描いたりするのが大好きだった頃の私。

インナーチャイルドという言葉は聞いたことがあったし、これまでそれを使ったカウンセリングや催眠療法を受けたことはあった。ただ、それらの中では、彼女(子供)の存在自体をすごく劇的な存在のように扱っていて、無理に和解させられたり、愛してあげてくださいなどと言われたのが胡散臭く、あんまり効いた感じは正直しなかった。

先生に、5歳の女の子のイメージが浮かんだことを伝えると、

「その子は今、どんな顔をしていますか?」と聞かれた。

「悲しい顔をしています」

「それはなぜ?と聞いてみてください」

「今、書いている小説が、、、、楽しくないから」

「なんで楽しくないの?と聞いてみて」

「自分の意思で、始めたわけじゃないから。ルールがたくさんあるから。ああしろ、こうしろ、って売れるものを狙って作れって言われるのが苦しくて、つまんないから」

「それを言ってくるのは誰?」

「うーん、編集者さん……ううん、自分、かも。”世の中の期待に応えろ”って、自分に対してずっと言い続けてます」

先生は続ける。

「では、もう少し年齢を上げてください。次に浮かんできたのはどんな美由紀さんですか?」

その質問は予想外だった。どんなセラピーでも、問われるのは一定の年齢のインナーチャイルドだけだ。

パッと頭に浮かんだのは、中学1年生の時の私だ。セーラー服を着ている。

「中学1年生です」

「その子は今どんな感じ?どんなことをしてますか?」

「手首、切ってます」

うわあ、と先生がのけぞる。

「その子には近づけなさそうだねえ」

目を閉じたまま、私は答える。

「可哀想だな、って思います。」

「そうですね。実はその子こそが、本当にケアしてあげるべき存在なんですよ……次に、中1の子と、5歳の子の間の子を呼んであげてください。できますか?」

「できます。8歳です」

「その子は何をしていますか?」

「怒ってます。何で私の言うこと、間違ってるってみんな言うんだって、何で私のことをみんな否定するんだ、って怒っています」

「みんなって誰?親?先生?」

「親も、先生も、友達もです。クラスで私だけが間違ってるってすごく言われて。それに対して、私は『自分は絶対に間違ってない』って言ってる。とても怒っています」

そうだ。その頃の私はすでにとても傷ついていたし、怒っていた。私のすることを真っ向から否定してくる先生にも親にも、友達にも。

なんでみんな、私のことをおかしいって言うんだろう。

先生も親も、私が間違っているという。友達は馬鹿にする。

確かに生意気な子供だった。本をよく読むおかげで、先生も知らないような知識をすでに持っていた。

でも、なぜ私が叩かれなきゃいけないんだろう。みんなの前で吊るし上げを喰らわなければいけないのだろう。そんなの絶対おかしい。間違っている。8歳の子供は、荒野のような荒んだ景色の中、一人、そう叫んでいた。

「その子にどんな言葉をかける?」

「『あなたは間違ってない』って。『あなたの考えは間違ってない』って言います」

そう言って、薄く目を開けると、さっきと同じ、メニューの札が目の前にずらりと並んでいた。楽太郎のカウンターだった。

「今みたいに、小野さんの中にもいろんな子がいるんですよ。5歳の時の小野さん、8歳の時の小野さん。13歳の時の小野さん。インナーチャイルドは1人ではありません。年齢によって、抱えている問題は様々です。その子達は大人になった小野さんの人生の中で、その時々の状況に合わせて顔を出します。小野さんの抱えている悩みは、その子たちが抱えている感情や記憶に関係しているんですよ。だから、その子達とできるだけ会話をしてあげてください」

「小野さんが生きていて『苦しい』と感じる時は、その子達の主張を無視しているんですよ。理性でああしたほうがいい、こうしたほうがいい、って考えて、彼らの情動を押さえつけている。だから、彼らは拗ねてます。”どうせ、私たちの言うことを無視して行動するんでしょ”って」

「今やっていることは、本当はすごく苦しいんです。やめたいんです。本当はやりたくないです」

先生は言った。

「小野さんはストライクゾーンが非常に狭いんです。相性の合わない編集者なんて山ほどいるし、『やりたくない』という企画なんて山ほどあるはずです。でもそれでいいんです。書きたいと思ったものを書いてください。やりたくないと思いながら何かをやるのは、ブレーキを踏みながらアクセルを踏んでいるみたいなもんですよ。そういうやり方でものを書くのはすぐにでもやめたほうがいい」

そう、私は頑固なのだ。本当はすごくストライクゾーンが狭い。書きたいことだって本当は山ほどある。けれど、それを表に出さないままで「こういうの書いたら売れるんでしょ」と思うことを、おとなしくやっている。何にも納得がいかず、不満をずっと、募らせたまま。

「他人や社会の期待というのは小野さんの幻想です。これまでの人生で、親とか、教師によって植えつけられたものです。『社会は自分にこう言うことを期待している』って思い込んでいる。本当はそんなものはないのにね。それを作り出している元が過去の経験の中にあるはずです。それを癒してあげてください」

他人の期待を吸い込みすぎてしまう。相手が期待する私を演じてしまう。寂しい苦しい悲しいつらい。そういうことが表現できない。嫌われるのが怖いから。ギリギリになってバーン、と崩壊するまで人にそれを伝えられない。本当は聞いて欲しい。でも、聞いてくれない、無神経なタイプばかりをいつだって選んでしまう。

「5歳の時の子は、小野さんのエネルギーの源です。その子に創作の手綱を握らせてあげてください。

現在の私たちが御者じゃないんです。本当は抑圧されて悲しんだり怒ったりしている、その子達をこそ、人生の御者に据えてあげるべきなんです」

店の外に出ると、あまりの寒さに頭がきぃんとした。先生の話が巨大すぎて、めまいがした。でも、異常に思考はクリアだ。

ああ、自分が無視していたものはこれだったんだ、って気付いたから。

家に帰ってこんこんと寝て、朝、目を開けたら、世界が違って見えた。

以前、コルクの佐渡島さんに原稿を見せた時、言われたことがある。

「小野さんの小説には、読者の感情をこう動かしたいっていう凸凹がない」って。

自分が感じたことを、読者にも伝えたくて、読者の心を動かしたくて、小説って書くものでしょう?って。

それを言われた時、正直ピンとこなかった。

多分それは、自分で自分の感情を無視してきたからだ。

とにかく、人に言われたことを、世間が喜びそうなテーマで、筋書きで書く、そのことにこだわり続けていて、とりあえずストーリーの形をとってたらいいじゃん、って、そう思っていた。

私は自分の感情を、言葉に込めることを、キレイさっぱり忘れていた。一見書けたふうでも、深い楽しみはなかった。書く喜びはなかった。

エッセイの書き方すら、気がついたらよくわかんなくなっていた。何書いても楽しくなくなっていた。本当を言うと、1冊目の本を書いた時から。

そうじゃない。

表現したい気持ちは山ほどあるのだ。心の中に。全部押さえ込んでいた。とりあえず「仕事になってるもの」の方が先だから、って。

なんでそれを書けていなかったんだろう。書いていなかったんだろう。

自分の感情、それ以外に大事なもんなんて、ないはずなのに。

ここまで書いて、もう全部どうでもよくなった。

別にもう、何でもどうでもいいよ。

別に売れなくていい。作家でなんかいなくたっていい。

無駄な人付き合いに使っている時間は1秒もないし、やりたくないことは死んでもやらない。

私が感じていること、それが全てだ。

それ以上に大事なことなんか何一つない。

ものを書くのに、それ以上に大事なことなんか、何一つない。



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