力の抜き加減、の話

2月某日

物書きの小池みきさん、佐々木ののかさん、占い師のシュガーさん、編集者の小林くんを呼んで、うちでパーティーをする。張り切って料理するぞ!とわざわざ自由が丘まで肉を買いに行ったが、大人数分の調理は久々だったため、勘が戻らず配分を間違えて自分としてはイマイチな味。あーもっと美味しいもの作りたかったな、こういう風に、気合を入れすぎて上手くいかないこと、って人生の中に結構あって、いつも通っている整体の先生が「小野さん、どんな物事も気合い入れりゃいいってもんじゃないんですよ、”頑張るぞ!”とか”絶対にこうするんだ!”みたいに考えると、絶対うまくいかないから適当に力抜いてやるのがいいんですよ」と口をすっぱくして言うのを思い出す。「気合入れると体が硬くなるでしょ、そうすると現実にすぐ対応できなくなるんですよ。例えばね、熱いやかんを触った時、普通人は”熱っ”とか言うでしょ。人体は外から入ってくる情報を受け取るには0.000002秒かかる。けど、それを思考で捉えて口に出すまでには0.000005秒かかる。体より思考の方がずっと反応としては遅いわけ。でもそこで思考で体を統御してたら、現実の変化に追いつけなくなるわけだよ。現実の方がずっと人間の思考よりも早くて多いんだからさ」……全くその通りでございますし、私も重ね重ね「やりすぎ厳禁」と自分に命じているのだが、しかしそれ自体もまた思考であって、気合、入っちゃっている最中にはなぜだか絶対に先生のこの言葉は思い浮かんではこないのだった。
小説も最初の頃はガッチガチに気合い入れて書いていて、だから、書いている間じゅう、ずっと「うまくいってる感覚」は得られなかった。そりゃそうだろうなと思う。最初は「50万部売れるものを書かなければ」とか「デビュー作なのだから、『限りなく透明に近いブルー』みたいなやつを書かなければ」と割とまじめに思っていて、けど、そんなこと考えてるうちは、決して面白いものは書けないのだ、イメージとか思い込みの力って強力で、しなやかさを体から失わせる、はっと気づいた時にはいつだって世界は私より半歩先を進んでいて、取り残されていることに気づいて唖然、必死で手足をばたつかせて追いつこうとするも大体においては後の祭り、「はあ、私ってなんでこうも上手くいかないのだろう」とため息をつくこと必至で、思考も欲も全て捨てて体オンリーになれたらどれだけ良いだろう。

「我欲がない方がうまくいくんですよ、我欲をなくすことが物事を進ませる一番いい方法です」とその先生はよく言うし私もその通りだとは思うけど、もう何周も回って欲なんかとうに抜け切ったような、枯れ木みたいな体つきのその先生を見ると、ちょっと寂しい、と感じてしまう。

とまれ、その日の話で面白かったのは、女性の加害者性、について。性暴力に関心があるという小林くん、「男性の加害者性についてはよく糾弾されたり問われたりすると思うんですけど、女性だって加害者性があると思うんですよね」というと、小池さんが「そりゃあると思うけど『人が誰しも持つ加害者性』を語るうえで『女性にだって加害者性はある』という言い方をしたら、その言葉にはカウンターとしての意味が付与されてしまうよね」と切り返す。女が加害者性があるかどうか、は置いておいて、私が思うのは、男も女も加害者性を持つことはあるが、「男が加害者になる時」と「女が加害者になる時」はきっと、別だろうなあ、ということ、同じシチュエーション、同じ内容の加害行為を男と女が役割を交代してやったとしても、きっと、それをやられた側が加害と取るか、取らないかは、一致しないと思う。村上春樹も書いていたけど、「女の悪は火山の噴火の溶岩のようにドロドロとしていて、男の悪とは根本的に異なるもの」だと思うから。
性について、あらゆる書き手のスタンスの表明が求められている時代だなあ、と最近とみに思うが、私はあえてなら男と女は平等ではないし、決して均質にはならない、という態度を表明したい。「男女は平等ではない」と主張したいと言うよりは、「男女は平等であるべき」と言い切る時、そこからこぼれ落ちてしまういろいろのことが気になってしょうがないから。もちろん、仕事や政治的市民的権利について、女が、男が、それぞれが欲している権利を得ることはとても重要だけど、しかしそれは「男女平等が正しいから」ではない。重要なのはそれぞれの性が、もっと言うとそれぞれの個が今の時代に持っている「ニーズ」を満たすことであり、「平等」「均質」がそれをカバーするとは限らない。社会の抱える問題を解決するには、結局のところ身近な一対一の人間関係の中でできるだけそれぞれの抱えるニーズを伝えあって満たしやすくするしかなく、それが今の時代においては女性も男性と同じくらい働きやすくすることだったり、成果に対する報酬を揃えることだったりするだけで、性そのものが本質的には均質ってわけじゃないのだ。
何でもかんでも平等にすれば解消するってあーた、全然、セクシーじゃないじゃないですか。……この辺、ニュアンスが伝わりづらくて誤解されそうなのに上手く説明できないんだけど、なんか最近の小学校では「くん」「ちゃん」付けで児童の名前を呼ばずに「さん」付けで呼ぶとか、そういう話を聞いた時に感じるもや、が関係しているんだろうな。

しかし、話は変わるけど、女性の加害者性に関して言えばひとつ、前にどこかの媒体で読んだ「男なんて5歳児と同じ」みたいな記事に私は未だに平気でそんなこと言う人がいるんだってわりとびっくりしてしまったんだけど。女から「5歳児」って言われて、男の人は何にも思わないんだろうか?これ、男が女に対して言ってたらすごい炎上すると思うんだけど、こういうのこそ、女性の加害者性だと思うなぁ。

2月某日
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作家小野美由紀によるエッセイマガジンです。タイトル通り "それでもやはり、意識せざるをえない” 物事について、月に5-10本程度配信します。日々のエッセイ、恋愛、性愛、家族、また書くことについて、作家という職業について、ジャンル問わず本気でおすすめしたいもの・こと、お店、本...
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コメント3件

傷口から人生やメゾン刻の湯をきっかけに、もっと小野さんの文章を読みたいと思って、マガジンも購読してみました。これからの更新を楽しみにしています。傷口から人生未収録の5つの記事なども一緒に読めると思っていたのですが、こちらは別売ということなんでしょうか…?
ABさま>コメントありがとうございます。現在、このマガジンには15記事ほど収録されています。そのうち、(『傷口から人生』こぼれ原稿集)と書かれているものが、傷口から人生未収録のものになります。無料で読めるようになっているはずなのですが、ABさまのブラウザではいかがになっていますでしょうか。よろしくお願いいたします。
小野さん、ご返信ありがとうございます。
マガジン「それでもやはり、意識せざるをえない」に、過去の記事も含め15記事収録されているのは確認できました。
ただ、ノート「絵画の汚さ〜」の以降の5記事は「購読中」のステータスで拝読できるのですが、例えば、こぼれ原稿集の一つひとつのノートは、「この続きをみるには 残り◯◯文字」と表示され、そのノートを単体で購入するか、マガジン「手放してゆく言葉」を購読するかの案内が表示されます。
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