記事にならない日々。

普段、他人が読んでも面白くなさそーな、日記のようなものはあまり書かないのだけど、どうしても今日は書きたくなって、日記。

小説が進まない。

同じところを行ったり来たりしている。

その悩みというのが、すごい根本的な、「主人公は男なのか、女なのか」とか「このストーリーラインでいいのか」みたいな、「おい!そんなの書き始める前から考えとけよ!」みたいなことで、後2ヶ月で書き終わる予定なのに、どうしてこんな単純なことも決められないんだろうと自分が嫌になってくる。

よく「決断思考」とか言いますよね。

あれが出来る人ってすごいと思います。

3秒で決める、とかね。どうやって決めてるんだろう、物事を考え始めた途端にうわ〜〜〜〜っと枝葉のように思考が生えて、その枝の先の新芽の部分まで克明に見ようとした結果、どれをも切り落とせずに結局枯れるまでずっと眺めている、みたいな、面倒臭い頭の使い方を止められない自分としては、本当に、決断の早い人というのは、コストとリターンを瞬時に計算できる人であり、自分にとって何がめんどくさくないかをすぐにみぬける人であり、それはつまり自分の実力を推し量るのが上手い人ってことなんだと思う。

私は無理だ。

ついつい、自分に期待しちゃう。

「これぐらい、できるでしょ」って自分に期待して、結果、泥舟ごと沈むタイプ。

なんだっけ、なんかの名言に

「最も愚かな人間というのは、外部評価を低く見積もり、内部評価を高く見積もりすぎる人間のことだ」というのがあるけれど、私はまさにそれなんじゃないかと思う。結果、どれもこれもやりたくなって選べず、手のひらからこぼれてゆく。


小さい頃、母に、目の前に、返却されたテストをずらっと並べられて、ぐるぐると何時間も自転させられたことがあった。確か、小学校3年生くらいだったと思う。

「自分が間違えたところを、なんで間違えたのか、全部、報告して、思い出せるまで回っとき」と言われ、半ばパニックになりながら、

「私は〜〜を間違えました。原因は❌❌です」と一つ一つ挙げさせられるのだ。小学生の脳で、回りながら(ピルエットみたいにその場でぐるぐる回転させられるのだ)自分のやったことを冷静に報告することなんかとてもできず、何で間違えたのかなんて思い出しようもなく、泣きながらクラクラする頭でそれをずっと考えて、母は私が時間がかかっていることに腹を立てて、ソファでずっと私のことをにらみながら「まだ終わらないの」と怒っていた。

テストの点数は、悪いものもあれば98点、みたいなものもあり、どちらかというと怒られなくてもいいような点数のものの方が多かったような気がするが、自分の過ちを、なぜこのような辛いことをしなければいけないのか、納得できないまま、一つ一つ挙げてゆかねばならないのはだいぶ辛い作業だった。

今思えばそれって虐待じゃん、と冷静に振り返って判断できるものの、当時の私は自分のどこが悪いのかを必死に考えていた。母の納得のいく「自分が悪い理由」を。


今の自分も、この時のぐるぐる回っていた自分と、同じような思考をしていることにふと気づくことがある。パニックになり、自分の悪いところを、洗いざらい探し求めて毎日、点検しているようなところがある。

今まで記事になったり、コラムとして掲載されたり、本になったりした文章は、そうやって、語られない膨大なものの中から、かろうじて❌がつかなかったわずかなものだけをすくい取って掲載した、みたいなところがあり、それはそれでしんどい。

そうじゃない思考法で、書いたものを外に出す方法が本当はたくさんあるはずなんだけど。

とりあえずは「パニックの中で、自分の悪いところを探し回る」みたいなのをやめたら、もっと、すらすら体の内側から出てくる何かを言葉にできるような気がするんだけどなぁ。

まずは、回るのを辞めるとこからだなあ。




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ありがとうございます。

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小野美由紀

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隣人たちには隣がいない

コメント3件

ああ~、私にもあるなぁ~そういうとき。orz
子どもの頃に親からうける影響は、大人になっても根底に残りますものね…
根底を治療してくれるクスリがあったらいいなぁと時々思う。
母親の家庭は、娘に対して躾が厳しかったのかもしれませんね。
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