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創作は「あなたも私も知らないこと」を書く行為である


安田弘之先生に池袋で会う。
昨日編集者さんに送ったばかりだという、「ちひろさん」の最新話の原稿のコピーを見せていただく。単行本で見るのと違って、大きなサイズで見るとやっぱり迫力がある。
あるシーンの一枚絵で、鳥肌がブワアッと立った。

先生は「毎回すごく苦しんで書いているんだよ」と言う。

「何描くか、描きはじめる前に決めてないから」って。
先生は毎回、頭の後ろの空間にある巨大な沼から、何かを引きずり出すようにして書いている気がする。そうじゃなかったら、そんなに苦しくない。きっとそれが何なのか、先生自身も知らないで描かれているのだろう。

ものを作る、とか、もの書く、という行為は『世界も私もまだ知らないこと』を無意識の領域から引っ張り出して来るってことだと思う。

昔、西洋占星術師の友人に「良い占い師と悪い占い師の違いはなんですか」と聞いた時、彼は

「未知に触れるかどうか」だと言った。

「占いっていうのはさ、『あなたも私も知らないこと』を会話とホロスコープの中から引っ張り出してくる作業なんだよ。二流の、というかまがい物の占い師はさ、自分の知ってることしか言わない。鑑定に来る人って言うのは『自分の知らないこと』を知りたくて占いに来るわけでしょ、だからさ、ホロスコープのチャート見て、あなたこうですね!って断定したら、それでとりあえずお客さんは安心して満足する。でも本当はさ、そうじゃないわけ。鑑定を申し込んだ時点でお客さん自身がまだ自覚しきれていない、彼らにとっての真の課題とか『本当に知りたいこと』を引っ張り出して来る力のある人、まだ占い師ですらも気づいていない、チャートにすら現れない、その人の根底にある部分をセッションの間にどう引き摺り出して来るかが、良い占いとそうでない占いを分けるんだと思う」

うろ覚えだけどこんな感じ。

あなたも知らないし、私も知らない。

創作も同じだ。
得体の知れない「何か」を、無意識の底、自分でも見たことの無い、頭の後ろ側にある巨大な領域から無理矢理にでも引っ張り出して来る行為が「ものを作る」ってこと。

"すでに知っていること"を書くのが「ライター」だとすると、
書く前には本人にもまだそこに足を踏み入れたことの無い、暗い茂み、深い井戸、白昼夢の領域から「私の知らない何か」を引っ張り出して来るのが「創作者」である。

書くこと、表現することに自己治癒の効果があるのはそのためだ。

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